日本は核の傘を出て核武装するか – BLOGOS編集部

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撮影:弘田充

田原総一朗と毒蝮三太夫、政治に世相に常に目を光らせBLOGOSで定期的に発言を続けるふたり。田原が87歳で毒蝮が85歳、まさにBLOGOSが誇る長老同士。お互いに少年時代に戦争体験を持ち、戦後日本を昭和・平成・令和とメディアに身を置き歩んできた。今もって現役で活動を続ける両人がBLOGOSレギュラー同士という縁により、初のロング対談が実現。長老同士が老いを超えて語り合う超老対談です。

全5回にわたるロング対談、日本人、戦争、核問題、政治、若者と多岐にわたって語りあったその第3回は…

アメリカはなぜ勝ち戦で原爆を落としたのか

写真AC

田原 広島、長崎に原爆なんて落とさなくたってよかった。だけど落とした。僕はなんでアメリカが広島、長崎に原爆を落としたのかを全部調べました。当時、アメリカとソ連の関係は良くなかった。ヘタをすると日米の戦争が終わった後、ソ連がアメリカに戦争を仕掛ける可能性があった。アメリカはソ連に仕掛けさせないために「俺たちには原爆があるぞ!」とソ連に示すために原爆をやった、広島、長崎を。

毒蝮 要するに、アメリカはルーズベルトから戦争引き継いだトルーマン、ソ連はスターリン。この米ソの戦いだったんですね。

田原 日本は敗戦が決まってた。ソ連に戦争を仕掛けさせないために、アメリカが原爆を使った。

毒蝮 ああ、そうして日本を支配下にすれば、ソ連に対する橋頭堡になる。対ソ連・・・今はロシアだけど、そのボーダーラインとして戦後から令和の現在まで、どうあれそれはつながっている。アメリカの軍事政策として日本をそう位置づけたことは、アメリカからしたらうまくいってるってことですよね。

田原 これによって日本はどうなったか。もっと言うと、話は飛びますけど、自衛隊ができたのは1954年です。

毒蝮 その前は警察予備隊だった。

田原 で、自民党ができたのが1955年なんです。最初の総理大臣は鳩山一郎。ところが、自衛隊と日本国憲法は大矛盾ですよ。憲法は第9条第2項で、日本は戦力を持たない、交戦権を持たない、と明記されている。となると、あきらかに自衛隊は戦力であり憲法に矛盾している。鳩山一郎は、自主憲法を作らなければ、となった。憲法改正だ。岸信介も憲法改正を言った。ところが池田勇人以後は憲法改正を言わなくなった。佐藤栄作、田中角栄も。

僕は、佐藤政権で沖縄が返還(1972年5月15日)されたあと、72年の秋、当時日本の頭脳派でハト派の代表的な政治家である宮沢喜一さんに会った。そこで宮沢さんに「池田佐藤は国民をだましてる、憲法と自衛隊は大矛盾だ。憲法を改正しなかったら国民をだましてる、政界を辞めたほうがいい!」と言った。その時の宮沢さんの意見に僕はすっかり感動してしまったんです。

毒蝮 それはいったい?

田原 宮沢さんはなんて言ったか、「田原さん、日本人っていうのは自分の体にあった洋服を作るのは下手だ。自分の体にあってる服を作ろうとしても、どうしても自分の体よりも大きな服を作ろうとする」んだと。つまり、身の丈よりも強い国になろうとして、軍隊が突出して、満州事変、日中戦争、大東亜戦争と突き進んだ。それを抑えようとすると、5・15事件、2・26事件、政治家が殺されちゃう。「日本人は自分の体にあった洋服を作るのが下手。むしろ押し付けられた服に体を合わせるのは全然大丈夫」だと宮沢さんは言った。押し付けられた服っていうのは今の憲法なんですよ。だから、戦争自体を否定してしまえばいいと。

毒蝮 なるほど…。

田原 実は吉田内閣の時に池田勇人と宮沢さんでアメリカに行ってる。当時は池田が代表で、宮沢さんは補佐。だけど英語ベラベラは宮沢さん。宮沢さんはアメリカに言った、「あんな憲法を押し付けられたら日本はまともな軍隊が持てない。だから日本の安全保障はアメリカが責任持ってくれ」と。アメリカは当時、日本を強い国にしたいから「わかった、引き受けた」と。それで日本は安全保障を考えなくてよくなった。

毒蝮 日本としてもアメリカに任せたんだ。

田原 ところが1965年にベトナム戦争が始まった。そしたらアメリカが日本に「自衛隊よ、ベトナムで戦え」と言ってきた。日本はアメリカに言われたらNOと言えない。当時の首相は佐藤栄作。佐藤は困った。その時、佐藤と宮沢さんでアメリカに行ってこう言った、「日米同盟だから当然日本はベトナムで戦うべきだけど、あんたの国から難しい憲法を押し付けられたからベトナムには行くに行けないんだ」と。それで日本はベトナムに行かないで済んだんです。日本は憲法を逆手に取ってアメリカの戦争に巻き込まれなかった。自衛隊は専守防衛でやっていけるようになった。

毒蝮 憲法の力はそれだけ大きいんですね。

田原 そうして池田勇人以後、田中角栄、福田赳夫、中曾根康弘・・・、みんな日本の安全保障をアメリカに押し付けて経済復興をやって来た。それがある程度成功した。日本は経済大国になっていった。

毒蝮 そうですね、戦争で敗けてぼろぼろだった所からアメリカに次ぐ経済大国にまでなりました。

田原 ところが問題が起きて、アメリカの経済が悪化していった。第二次大戦後、アメリカは世界で一番強い国で、一番豊かな国になり、世界の平和はアメリカが守るっていうのがアメリカの使命感だった。パックスアメリカーナですよ。その見返りとしてアメリカの経済が潤う仕組みだった。だけど、次第にアメリカの経済は悪化。世界の警察をし続けるには金がかかる。オバマ大統領は「アメリカは世界の警察官を辞める」と言った(※2013年)。そのあとさらにトランプ大統領は「アメリカ・ファースト」と言って、世界はどうでもいい、アメリカが良ければいいと。パックスアメリカーナを放棄した。

毒蝮 アメリカは世界に出した軍隊を引き揚げてますね。昨年はアフガンから米軍が撤退したのが大きなニュースでした。

田原 そこで日本はどうか。僕は2020年5月に安倍晋三さんと会って言った。「今まで日本はアメリカに守ってもらってた。だけどアメリカは変わって、そうはいかなくなる。日本の安全保障を主体的に考えざるをえない、どうか?」と。安倍さんは「そうだ」と。「主体的に取り組むことを考えよう」と。そのあと安倍さんに8月3日に電話した。すると秘書官の今井が出て「総理は体調が悪い」と。それで辞めちゃった。で、総理が菅さんになった。菅さんは安全保障をどうするんだと。だけど菅さんは「自分は今コロナで手一杯だ、コロナが一段落したらやる」と。それから結局何もできずに菅さんも1年で辞めちゃった。それで岸田内閣です。この安全保障問題をどうするか。

毒蝮 いやあ、戦後から現在までの、日本の安全保障の問題を田原さんが一気に語ってくれましたね。

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