私は群馬県の桐生市で生まれ育ったが、その地域の給食の「プリン」の出し方が、今思うと奇妙だった。
友人らと昔の給食の話になったとき、その「プリン」の話をすると必ず驚かれる。
どんな出し方かというと、「おかず用の天ぷらバットになみなみ注がれている」状態。それをクラスの人数分に切り分けていた。
なんなんだ、ウェディングケーキか。
今さらだが再現してみた。ゲップ。
※2007年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
今日は網は要りません
まず、家に「給食用の大きな天ぷらバット」というものがないので、浅草は合羽橋の道具街に買いに行く。プロ用から家庭用まで調理道具なら何でも揃うぞ。
その前に天ぷらバットの大きさを決めねばならない。冷蔵庫にまるまる入らないとダメだ。
そう、今回のプリンは冷蔵庫で冷やして固めるタイプを採用した。焼きプリン・蒸しプリンは、そのバット以上のオーブンなり入れ物なりが必要で手間がかかる。
お店にはいろいろな深さ・大きさのバットが並んでいたが、できるだけ当時の感覚を思い出してそのイメージに近いものを選ぶ。小学校のときの自分には大きく見えたが今見たらもうちょっと小さいだろうし・・・などと。
41cm×29cm×7cmの角バット8枚取、というものを買ってきた。8枚取、が何を意味するかは不明。
本体が2000円、フタが2100円、しめて4100円なり。そう、本体とフタは別売り。「中に敷く網もいるでしょ」と店員さんが持ってこようとしたが、「今回はいいです」と断る。天ぷらじゃないんです、作るの。プリンなんです。
量が多い、それだけでも人は
家でバットの容量を確かめ、それに合った分の材料を買いに行く。今回は手軽にプリンの素で。買ってきたのは牛乳4リットル、プリンの素10箱。まあ、給食だから当然の量だな。
プリンの素まとめ買いがちょっと恥ずかしかったので、数店舗のスーパーで少しづつ購入したことも付け加えておく。
鍋に粉を入れ、牛乳を加えて中火でかき混ぜる。沸騰後は弱火にして1分。
4リットルぎりぎり入る鍋なのだが、実際には粉の分だけ かさが増したので、使ったプリンの素は8箱。3.2リットルの牛乳が1クラス分のプリンに消費されたわけだ。
しかしなかなか沸騰しません。こんなに大量の牛乳をあたためるのは初めてだ。給食って全部こういう分量なんだよなぁ。もし給食センターの職員にでもなったら、毎日ドキドキしっぱなしである。大量の食べ物に。
いつ固まったかは不明
煮始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。30分くらいか。やっと表面が泡立ってきた。
吹きこぼれる寸前で火を止め、バットにプリン液を移す。が、この量ともなると鍋を持ち上げるのだけでも相当重い。カップで汲んで少しづつ流し入れる。
冷蔵庫に入れる前に放置してプリンの粗熱を取るのだが、それだけでも3時間ほどかかった。どんだけの量なんだ。
作り始めたのが深夜だったこともあり、冷蔵庫に収めるやすぐに寝てしまった。よって、いつ固まったかウォッチングしていない。
そして翌朝。冷蔵庫を開けて取り出してみると・・・。
うーん、そうそうこんな感じ。小・中学校の給食当番のときにフタを開けて最初に見た光景は、こういうものだったのだ。豪快にして素朴。見渡す限りのプリン。プリン・・・。なぜプリンがこんな入れ方なんだ。ふだんはひじき煮や鳥の照り焼きが入っているバットになぜ。あらためて込み上げてくる、薄っすらとした不安感。
このプリンをこれからどうするかといえば、ある場所に持っていき給食当番よろしく私が配膳して回るのだ。そこまでがこの給食プリンの完全形、なのである。
桐生っ子が一度は通過した苦悩
ある場所とは、大森のニフティで開かれる、デイリーポータルZの企画会議。その会議室に4キロのバットプリンを持ち込んだ。タクシーからエレベーターあがるまでに大汗かいてしまった。
本当の給食当番ならバットの両端に持ち手がついていて、2人1組で運べたのだが。
さてこの会議室に、当時の学校における1クラス分―40人から45人の生徒が座っているとしよう。
配膳の前に、あの一面のプリンを人数分に切り分けないといけない。切り分けるにはナイフなどは使わない。そこにあるもので行う。それは「お玉の持つほう」だ。お玉の柄である。
お玉の柄で5×9=45個になるように切り分ける。奇数かける奇数。小学生がうまく均等に分けられるはずもない。そう、切れ目を入れるのも児童の役目だったのだ。
ただでさえ「カレーの大鍋を廊下で取り落とす」などのアクシデントに見舞われることの多い給食当番の、なんと責任の重かったことだろう。
責任が重い、というのは、「各自に均等な大きさでいきわたらないことへの申し訳なさ」ばかりでなく、直接的な圧力をも指す。いじめっ子からの脅迫である。
「そこの角の大きいところ、くれよー!」「あ、だめだよ、端っこから順番に配ってるんだから・・・」「いいじゃん、ほら、お玉貸せ!」ってなことになるのである。当時、実際そういう輩に泣かされている男子もいた。
給食当番には脅迫に屈しない強い心も求められるのである。
食べたプリンは、幼い頃に母親が作ってくれたような懐かしい味がした。まだ若かった頃の母親が、お金をかけず手間要らずで作ったプリン。
実際に給食で出たプリンは「具無しの甘い茶碗蒸し」のような、もっと寂れた感じの味だったように思う。が、お玉で無謀に切り分ける再体験をできたので、満足だ。
実際には4人分くらいしかお腹に入りませんでした。半分弱余ってしまったので、タッパーに入れて持ち帰った。家でも数日かけて消費した。当分プリンは見ないようにしよう。
「クラスの人数分作る」ということがいかに大変かわかった。同時に、なんだか楽しそうにも思えてきた。45人分のカレー。45人分のポテトサラダ。45人分の肉だんご。頭に思い描くだけで興奮するので試してみよう。