およそ90年もの間、稼働し続けているパスタマシンを引退前に見学させていただきました。
ニューオークボというパスタメーカーで稼働中の、現役としては日本一古いであろう業務用パスタマシン(以下、レジェンド)が、近々引退するというネットニュースをみた。製麺機の愛好家としてはとても気になる話題である。
そこで90年という長きに渡って働き続けてきたレジェンドが現役であるうちに記録すべく、工場見学をさせていただいた。
老舗パスタメーカーのニューオークボ
株式会社ニューオークボがあるのは東京の新大久保ではなく千葉の柏市。現在の本社工場から東武アーバンパークライン(野田線)で二駅ほど離れた増尾工場へ、引退を控えたレジェンドを見学させていただきに向かった。
1986年に建てられたという増尾工場は、学生時代にバイトをしたコンビニ弁当の工場を思い出させる、なかなか年季の入った外観だった。
レジェンドはパスタの本場イタリアからやってきた
レジェンドといきなり対面するのは、予備知識ゼロで武藤敬司選手(近々引退する大物レスラー)にインタビューするくらいもったいない話なので、思い入れや憧れを急造すべく、見学の前にニューオークボの方々からしっかりと話を伺った。
――御社が所有する、引退を控えたパスタマシンの歴史を教えていただけますか。
「ニューオークボは2022年11月に40周年を迎えましたが、その前身となる会社があります。1933年に大久保仙七氏が立ち上げた『大久保マカロニ』です。直接イタリアからパスタマシンを買い付けたそうで、諸説ありますが日本で初めて業務用パスタを作った会社だと言われています」
――1933年といえば昭和8年ですか。およそ90年前にパスタマシンを買いにイタリアまで行くってすごいですね。
「当時はパスタやスパゲティといった概念が日本になかったので、西洋うどんという呼び方だったと聞いております。
国内の有名なホテルやレストランに卸していたそうですが、大久保マカロニの創業者である大久保氏がお亡くなりになり、その後1982年に工場が閉鎖されます。その時に大久保マカロニの社員だった伊藤敏光がパスタマシンを譲り受けて、自宅の庭に立てたプレハブ小屋に運び込み、製造を引き継いだのがニューオークボとしての始まりです」
――大久保マカロニを引き継いで新しく立ち上げた会社ということで、ニューオークボという社名なんですね。
「ですから現在の会社の歴史はまだ40年ですが、パスタマシンは90年物。うちは機械の方が古いんです。
この時代のパスタ製造マシンで現役のものは、おそらく他にはないと思います。日本はもちろん、イタリアでも資料館などに展示してあるくらいのようです」
――すごい。生産国ではすでに走っていない蒸気機関車が、遠く離れた異国でまだ現役みたいな話だ!
レジェンドは押出式のパスタマシン
――そのマシンをネットニュースで見て驚いたのですが、私がパスタマシンと聞いて想像した、銀色でハンドルをクルクルするやつとはだいぶ違う構造のようですね。
「イタリアのパスタには、大きく分けて二種類あります。北部では普通小麦(軟質小麦)の粉に玉子やオリーブオイルを加えて、捏ねて伸ばして裁断する生パスタの食文化。それに使うのが皆さんご存知のパスタマシンです。
それに対して南部はデュラム小麦という、乾燥した地域を好む硬質小麦を育ててきました。この小麦はとても固くてパンには向きません。細かい粒子にしづらい上に生地にすると弾力が強すぎるので、捏ねて伸ばして麺にするも難しい。そこでデュラム小麦のセモリナ(粗挽き粉)を少量の水で捏ねた生地を押し出して、乾燥パスタにして食べる文化が発達しました。弊社で作っているのはこちらです」
――イタリアでは育てやすい小麦の種類が北部と南部で異なり、その特性が違うために、作られる麺や使われる製麺機の種類が変わってくるんですね。
――御社のサイトで拝見しましたが、ニューオークボでは生パスタも製造していますよね。
「はい。売り上げの多くは飲食店向けの生パスタなのですが、これは一般的な生パスタと違って、乾麺の製法で作った押出式の生パスタなんです。いわば乾麺屋さんの生パスタ」
――ええと、どういうことですか?
「『パスタを乾麺にして売っているけど、乾かす前のパスタもおいしいんじゃない?』っていう話になって、売ってみたら大人気になったそうです。この生パスタが生まれたのは50年くらい前だから、まだ大久保マカロニの時代ですね。
一般的な押出式のパスタマシンよりも強い圧力が掛かる大きな機械で作るパスタなので、圧縮された生地がダイスから出るときに少し膨らむ。これを膨潤と呼びますが、このときに麺の中に空気が含まれ、モチモチっとした食感を生むんです」
「食べてみるとよくわかりますが、押出式の生パスタには独特のモチモチ感があり、様々な麺を楽しむ日本人の口によく合った。だから弊社のフェットチーネ(きしめんみたいな幅広のパスタ)も、横長の穴から押し出したパスタなんです」
――日本人、モチモチが好きだから。ある意味すごく日本らしいガラパゴス進化ですね。
「製品化された押出式の生パスタはイタリアにあまりないので、日本独特の食文化かもしれません。弊社の製法だと、この独特の食感は乾麺になっても生きています」
――実は昨日、ニューオークボの通販サイトで買ったパスタを食べたのですが、乾麺なのにモチっとしていて驚いたところです。どうやって作っているのか、ぜひ見せてください!
どんな由来のパスタマシンなのかを理解したところで、ニューオークボの40周年記念商品である、西洋うどんと呼ばれていた時代の2.3mm極太パスタ(乾麺)を作る工程を見させていただいた。
本来は業務用として生産していたものを一般向けに限定発売したもので、直営レストランのスピガなどで購入できるそうだ。ちなみにこの製品の製造がレジェンドに残された最後の仕事である。
パスタの主原料は特注の粉
パスタマシンにこだわりのあるニューオークボは、主原料であるデュラム小麦のセモリナ(粗挽き粉)に対しても譲歩をしないそうだ。
使用するのはカナダ産デュラム小麦の中心部分を、国内の製粉会社にニューオークボ専用として、かなり粗挽きで製粉してもらっているセモリナ粉。外皮(ふすま)が非常に少なく、酒造りに例えると吟醸酒用に磨いた酒米みたいな材料とのこと。
素人考えだと粉の粒子が細かいほど高品質で製麺しやすいように思えるが、固いデュラム小麦を細かく挽砕しようとすると、どうしても熱を持って劣化してしまうため、あえてパスタ製造のしづらい粗挽きを指定しているそうだ。
加水率がすごく低い
この粉と水と少量の塩をニーダーという機械で10分ほどよく混ぜる。粉に対する加水率は、一般的な機械打ちの中華麺だと33~40%くらい、手打ちうどんなら50%近くなるが、押出式で生成するニューオークボのパスタはなんと30%以下。粉に水が行きわたるギリギリの量だ。
デュラム小麦はタンパク質が多く、水が多いと粘りが強くなりすぎるため、低加水の生地を強い力でプレスして、穴から押し出して麺にする製法が生まれたのである。
なぜかロール式の製麺機が登場
一般的な押出式の製法では、このパラパラした生地を捏ねてまとめる機械に入れる工程へと移るが、より安全性が高く、強い生地にするための独自製法として、ここでなんとロール式(ローラーで挟んで伸ばしたり切ったりするタイプ)の製麺機が登場する。
前に取材した「君は山形県庄内地方の麺、麦切りを知っているか」のうどんや、「大人の社会科見学として街のラーメン屋さんに話を聞く」の中華麺で登場したタイプの機械だ。
この巻き取った生地をさらに薄くして、シュレッダーのように裁断するのがロール式製麺機の製麺方法。だがニューオークボでは生地を鍛えて強いグルテンを作り出す工程としてロール式製麺機を利用しているのだ。
個人的にはすごくびっくりしたポイントなのだが、その驚きは伝わっているだろうか。人気ロックバンドのメンバーが実はクラシック出身みたいな話である。あるいは柔術の選手がキックボクシングを特訓することで総合格闘技の最強を目指すみたいなことかもしれない。これぞハイブリッド製麺。
レジェンドはブロンズダイス
ここで待望の製麺機、大久保マカロニ発足時から90年間稼働し続けている押出式のパスタマシンが登場する。
一見すると麺を作る機械には見えない謎のパーツ類。電信柱とトランスなのでは。
――この機械でどうやって麺を作るんですか?
「巻いた円柱状の生地を90度回転させて、筒の中にセットして、上から200キロの圧力でゆっくりと押していきます。筒の下側にはダイスと呼ばれる穴の開いたパーツがあり、そこからパスタが押し出される構造です」
――シンプル。韓国の冷麺と同じところてん方式ですね。でも生地が固すぎませんか。
「これは一般的なマシンに比べて倍くらいの圧力を掛けられるので、パスタの密度が高くなり、ギュッと圧縮された生地がダイスから出るときに少し膨らむ。そのときに麺の中に空気が含まれて、モチモチっとした食感を生みだします」
「このダイスはブロンズダイスといって、EUの規格に準じた安全な金属製なのですが、この穴を通すことで麺の表面に独特のざらつきが生まれ、その凹凸にパスタソースがよく絡みます。また茹で上げたときに小麦の香りが強く立ち上がるので、この麺にこだわるファンの方に長年愛用していただいています。
ただ摩擦係数が高くなるので、押し出すのに時間が掛かるし、熱を持つ前に休ませないといけない。金属としては柔らかいのでダイス自体がすり減って穴が変形してしまうため、年に一回くらい交換しないといけません」
――90年前のイタリア製パスタマシンのダイスなんて、絶対に市販されていないパーツだから特注ですよね。ダイスの交換だけでも大変そうです。
「大量生産するのであれば、穴部分を滑りやすくテフロン加工したテフロンダイスを使えばいい。ですが、料理人の世界ではブロンズダイス仕上げが根強く求められています。
テフロン仕上げだと麺の表面がツルツルになり、ソースの乗りに差が出てしまいます。表面に小さな凹凸があるから茹で湯に澱粉が程よく溶けだし、それがオリーブオイルと乳化することで絡みやすいソースになるという特徴もあります。微妙な差かもしれませんが、プロにはそれがわかるんですね。
ただテフロンの方が製造コストは安いですし、ツルっとした食感がお好みの方もおられますので、世の中にはテフロンダイスとブロンズダイスの二種類のパスタがあるんです」
90年前から変わらない機械と製法のパスタ
ここまで水分が少なく硬い生地が、本当にパスタとなってニョロニョロと出てくるだろうかと不安に思いつつ見守っていると、黄金に輝く太めの生パスタが、扇風機の風に揺られながら神々しく降臨してきた。天使の梯子や薄明光線と呼ばれる気象現象をイメージさせる。
これが200キロの圧力なのか。さすが押すことしか知らない専用機械、全盛期の小錦関のような力強さが頼もしい。
押し出された麺をカットするのは、包丁を持った人間である。それを人の手で並べて、自然に近い状態でおよそ三日間かけて乾燥させる。
90年前から変わっていないのはパスタマシンの存在だけでなく、パスタの製造工程も、基本的にそのままだったのだ。
変わらない味を作り続けるための引退
――貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。業務用パスタマシンを使った製麺とはいっても、手作業の部分が多くて驚きました。
「これだけ手間のかかるラインはなかなかないと思います。製造途中のどこかで熱が入ったパスタは飴色になりますが、うちのは原材料の段階から、できる限り熱を与えず、また熱を発生させないから飴色にならない。一度も熱変性していないからこそ、乾麺になっても生パスタに近い色と食感になります」
味に全振りしているので生産能力は高くありません。歩留まりも悪い。でもこのパスタマシンを使った、この工程だからこその味がやっぱりあるんですよ」
――でもこのパスタマシンは、今年中の引退が決まっているんですよね。
「ここまで大事に大事に使って、どうにか持たせてきましたが、この工場の建屋自体もだいぶ古くなってきたし、お客様からのご要望が現在の生産量をオーバーしている状態です。
そこで今年中に新しい工場を本社工場の隣に新設して、パスタマシンも変えて生産ラインを強化しつつ、今のものと同じ、あるいはそれ以上の商品を作ることを目標に、イタリアのパスタマシンメーカーと調整しているところです。衛生管理も含めて、もう一つ上位のランクに持っていかないといけません」
――熱い固定ファンがついていると、新工場で作ったパスタを納得してもらうのが大変そうです。
「苦渋の選択ではあるんですけど、ここで一区切りをして、長年愛用していただいているお客様にこの先もずっと供給できる体制に切り替えていかないと。包丁で麺を切る職人を今後も養成できるのかという問題もあります。このままだと生産できなくなる時が絶対に来てしまう。味を守るのは大事、続けるのはもっと大事」
――変わらないために、変えないといけない。
「そういうことですね。これまで良いとされていた部分はちゃんと残して、変えるべき部分は正しく変えていく。生産能力をしっかりと上げつつ、味や品質を守り、より向上させる。どこに着地させるのかを日々研究しているところです」
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工場見学の様子を動画にまとめました。ぜひ動く姿を目に焼き付けてください。
レジェンドの味を確認する
「ぜひパスタの味もレポートしてください」ということで、レジェンドが押し出した2.3mm極太乾麺のプロスパをいただいたので、できる限りの敬意を払って調理させていただいた。
この麺の製造過程に感動してから食べたため、感情移入しまくりで冷静な判断など当然できないのだが、すごくおいしいパスタだった。口に入れた瞬間に「太!」と驚くが、おそらく予備知識がなくてもうまいと思ったはずだ。
近年はコロナ禍ということもあり、家で作る料理でちょっと贅沢しようというニーズが生まれ、ニューオークボのパスタは高級スーパーなどで取り扱いが増えているそうだ。
私は量産品の安い乾麺でも十分おいしいと感じる単純な舌だが、こういう選択肢もあるというのを知れて本当によかった。嗜好品として楽しめるパスタだ。
■取材協力:ニューオークボ
この製麺機が90年間押し出してきたパスタの長さを単純計算すると、なんと地球360周分にもなるそうだ。光の速さでも48秒掛かる途方もない長さ。それがもうすぐ止まってしまう。
ニューオークボの新しい工場ができたら、どのように乾麺が変わったのかを確かめるため、またアーバンパークラインに乗って買いに行ってみようと思う。まず間違いなく私には味の違いがわからないだろうが、それでいいのである。