信長・秀吉・家康とホトトギスは明治天皇曾祖父が作者

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「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス・信長」「鳴かずとも鳴かせて見せようホトトギス・秀吉」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス・家康」という例え話はたいへん有名だが、作者が誰かというと、なんと明治天皇の曾祖父にあたる、平戸藩主・松浦静山なのである。

田沼意次や松平定信の時代に生きた、たいへん多才な殿様で剣術の名人でもあったが、エッセイストとしての才能があり、「甲子夜話(かっしやわ)」という20年に渡って、政治、世相、歴史、文化など何でもござれで278巻にもなるものである。

原文では、「なかぬなら殺してしまへ時鳥・織田右府」「鳴かずともなかして見せふ杜鵑・豊太閤」「なかぬなら鳴まで待よ郭公・大権現様」だ。

この松浦静山の平戸生まれの娘が公家の中山忠能のもとに輿入れし、その子が明治天皇の生母である中山慶子である。野村克也の座右の銘として知られる「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」も静山の創作だ。

信長・秀吉・家康の比較については、北政所寧々が『私の履歴書』スタイルで回想したという形の『令和太閤記 寧々の戦国日記』(八幡和郞・衣代共著・ワニ書房)でも寧々の眼からみた印象という視点で書いたが、そのあたりについて、ミスiD2021クリエイティブヒロイン賞を受賞し、現在はライターとして活動し、ゴールデン街のママさんである生ハム子さんとの対談でも題材にした。

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ここで紹介しているのは、私の見立てだが、上司として仕えるなら誰がいいかという話である。上記の『令和太閤記 寧々の戦国日記』で以下のように書いてある。

家康さまはひどくケチな人だと皆申します。家来が大きな手柄を立ててもたいして加増されません。そのかわりに、戦死した家臣の遺族などは、とても手厚く厚遇されています。

秀吉は、人情の機微に通じて、上げたり下げたりが上手なのでございます。思いきった抜擢もいたしますが、失敗すると改易など平気でいたします。ところが、しばらく謹慎したり浪人して反省していると、また、チャンスをあげておりました。秀吉や家康さまの人事には不満をもっても謀反するほどのことにはなりません。

ところが、信長さまは気に入ると信じられない抜擢をされますし、秀吉もその恩恵にあずかったわけでございますが、少し期待に応えられなかったり、落ち度がなくても別の人を使いたいと思ったら、突然、お役目や領地を取り上げられたりなさいます。

あるいは、信長さまは会話のなかで人をよくからかわれました。ご本人は、面白がっているだけかもしれませんが、言われた当人はひどく傷つくことがございます。松永久秀さまを例にとれば、徳川家康さまに対して「この老翁は、世の人がなしがたいことを三つもした。将軍を弑虐し、自分の主君である三好を殺し、奈良の大仏殿を焼いた松永という者である」と言ったので、久秀さまは汗を流して赤面したという話が江戸時代の軍記物にございます。

本当にこの言葉の通りかどうか知りませんが、秀吉のことを猿とか鼠とかおっしゃるくらいですから、さもありなんです。

浅井長政さまや荒木村重に裏切られたのも、恩賞への不満が根本にあったと思います。信長さまは合理主義者ですから「何があいつは不満なのか」というのが、裏切られたときの口癖でございました。秀吉などは「信長さまはそういう方だからと割り切って付き合えばよし」だから良かったのですが、誰でもそうとは限りません。

物言いも、本人に向かっても人垂らしですが、たとえば私にも人の評価などいろいろ聞かせたりするのですが、人の口を使って本人にさりげなく聞こえるようにしているわけで、ともかく上手なのでございます。

このほかにも、この三人の性格などをいろいろ本でも対談でも紹介しているので、ぜひ、ご覧頂きたい。

生ハム子さんは、日本女子大学家政学部卒業後、広告代理店勤務を経て、自らの仕事の不出来に絶望。その後、ゴールデン街勤務を天職だと自覚する傍ら、酒場と人間に翻弄される毎日と共にライターを目指す。大学在学中に神奈川県大井町観光大使「ひょうたん娘」を務め、2021年、ミスiD2021クリエイティブヒロイン賞受賞。

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新宿歌舞伎町のゴールデン街で30年以上営業を続ける老舗店舗。ほかの店がコロナで打撃を受けるなか、なぜこの店だけ客足が途切れないのか。ライターの生ハム子が迫る。