その神社は「森浅間神社」という神社だ。京急屛風浦駅から磯子方面に歩くと、見落としてしまいそうなところにひっそりと参道がある。
この先に本当に神社が……? という雰囲気がとても良い。また、神社へ向かう道の途中に小さな稲荷神社のお社があった。
一瞬、まさか森浅間神社とはこれのことか……? と思ったが違った。
道の途中の神社からさらに進むと、階段の上に神社があった。
これは目的の森浅間神社ではなく、森浅間神社の下宮だ。こちらは江戸時代に元は神明大神宮だった建物が、移築再建されたものと考えられている。
下宮とは、ひとつの神社にいくつか神社が含まれる時、最も低地にある神社のこと。
下宮の目の前には幹線道路(環状2号線)が走っており、これがめちゃくちゃ近い。通行量も多めで、ひっきりなしに車が通る音が聞こえる。
動画でも撮っていたのでどうぞ。幹線道路を見つめる神社……。
ここも森浅間神社の参道にあたると思うのだが、幹線道路が見下ろせておもしろい。道路側からも見えるので神社の存在が気になってた人もいるかもしれない。幹線道路をじっくり観察したい人にもおすすめな神社である。
階段をのぼると鳥居が見えてきた。実はこの時、森浅間神社に来るのは2回目だった。
1回目はのぼった先にさらに長い階段が見え、その時既に夕方だったのもあって日和って引き返したのだ。なので今日はリベンジの機会だった。
思ったよりも意外と階段がきつい。“横浜の市街地だし、お山の上といってもそんな大したことないだろう”と正直なめていた。先ほど下に下宮が用意されていたことにも納得できる。
そしてふと振り返ってみると、磯子を眼下に見下ろすきれいな景色が広がっていた。
ボーイ・ミーツ・ガールの物語の舞台になりそうではないか。新海誠作品の世界観のようだと私は思った。
予想外の景色に癒されたけど階段は続く。途中振り返ってどれくらいのぼってきたかな~と確認した時の景色がこちら。
横浜の真ん中にこんな場所があったんだ……。そして帰りはここを下らなければならないんだな。
そしてようやく森浅間神社に到着! 朱塗りの社殿がまぶしい~。
海路及び戦略上の要所である森村に鎌倉幕府が陣屋を設けた際、「我沙羅山」の山頂に富士山の神霊を祀ったのが森浅間神社の起源。
また、別の説として、1335年(建武2年)鎌倉幕府最後の将軍である守邦親王が鎌倉を抜け出して森村へ移った際、薬師仏像をここに納めたという話がある。
そしてここまでのぼった階段の数を、過去記事ではまれぽさんが数えていたんだけど、255段もあるらしい(下宮周辺の階段は別カウント)。そりゃしんどいわけだ~。
この階段、著名な格闘家が選手時代にここを使ってトレーニングをしていたようで、格闘ファンの一部では聖地になっているらしい。
幹線道路が上から観察出来て、磯子を眼下に眺める予想外の眺望が広がる面白い神社だった。
そしてまた行かなくてはならない理由ができた。
ここまで来るのに必死だったのだが、こちらから少し離れた所に、江戸時代に修験で使われていた小さな滝(朝日不動滝)があるらしいということを後で知った。
こんな横浜の真ん中に滝がー!?
そちらも気になるので、またこちらに行かなくてはならない理由ができてしまった。