「峠の我が家」(実はトイレ)
数年前、礼文島に行ったときに崖に登った。風が強くて寒くてずっと早く帰りたいと思っていたのだが、帰ってきてからそこが夕陽がきれいな場所として有名であることを知った。
そうだと知っていればきちんと景色を見たのに。半笑いでぼんやり突っ立っていたよ。写真として額縁に入れといてくれればちゃんと見たのに。
そうか、額縁か。額縁に入ってればいいわけだ。
※2007年2月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
なんでも絵になる装置です
白い板に額縁を貼って、額縁部分を切り抜いた。これがあれば何気ない景色でもちょっとしたいい景色になってしまうのだ。ほんとうだ。
余命の宣告を受けた人がこの世のすべてが輝いて見えるなどという話を聞いたことがあるが、この額縁を通して見える景色はまさにそれである。しかも、おれ健康。申し訳ない。
さてその効果をご覧ください。
まるで代々木公園が歯医者の待合室に飾ってある絵みたいになってしまった。それっぽいタイトルをつけるのも一興である。
大学生のころ、学園祭で「エロス」という題の自主制作の映画を見たら「肉」と書いたメスシリンダーからねばねばした液体が流れるという映像を10分ぐらい見せられたことがあった。エッチなものをあてにして外れるというパターンはよくあるが、あそこまでのハズレはそれ以来ない。
もっとべたに利用することもできる。
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公園に落ちていたパンツですら「晩秋の想い出」と呼びたくなる一品になった。
フレームが必要だ
ドラマチックな人生に必要なのは波乱ではなく額縁だ。毎日が退屈だと思ったら額縁を持って歩くといいと思う。
退屈どころか近寄りがたい雰囲気になること必至です。