独民間放送とBBCでソ連最後の大統領、ミハイル・ゴルバチョフ氏の葬儀の様子を観た。葬儀は3日、モスクワ市内のホールで行われた後、棺は著名な政治家、知識人たちが眠るノボデビッチ墓地に運ばれ、ライサ夫人が埋葬されている墓の傍に葬られた。
ゴルバチョフ氏に最後の別れをしようとする多数のモスクワ市民が路上に長い列を作っていた。8月30日、長い闘病生活の後、91歳で亡くなったゴルバチョフ氏の葬儀にはプーチン大統領の姿はなく、海外からのゲストはウクライナ戦争での制裁もあってハンガリーのオルバン首相1人だけだったが、駐ロシアの欧米大使らの姿は見られたという。
ロシアのメディアによると、葬儀にはゴルバチョフ氏の娘イリーナさんが喪服を着て棺の傍に坐り、参列者の弔意の言葉を受けていた。ロシア側からドミトリー・メドベージェフ元大統領のほか、リベラル野党政治家のグリゴリー・ヤブリンスキー氏、ジャーナリストでノーベル平和賞受賞者のドミトリー・ムラトフ氏らも参列した。
欧州のメディアは葬儀に参列するモスクワ市民の声を拾っていた。初老の男性は、「ゴルバチョフ氏は我々に自由をもたらしてくれた。それに感謝したいと思って来た」という。葬儀に参列したロシア人はゴルバチョフ時代に青年だった人が多いが、大統領と言えばプーチン氏しか知らない若い世代の青年の姿も多数見られた。
ノボデビッチ墓地で中継していたBBCのモスクワ特派員は、「ゴルバチョフ氏は権力を愛したが、それ以上にライサ夫人を愛していた」と述べていた。歌曲の王フランツ・シューベルトは生前、尊敬するベートーベンの傍に埋葬してほしいと語っていた。ウィーン市の中央墓地では31歳で亡くなったシューベルトの墓は“楽聖”ベートーヴェンの墓の傍に埋葬されている。シューベルトと同じように、ゴルバチョフ氏は生前、「自分が死んだらライサが眠る墓の傍に埋葬してほしい」と関係者に伝えていた。ゴルバチョフ氏の願いはかなえられたわけだ。
モスクワ大学で法学を学んでいたゴルバチョフ氏は1953年、同じ大学で哲学を勉強していたライサ夫人と知り合い、学生結婚している。独仏共同出資のテレビ局「Arte」のゴルバチョフ氏の晩年を紹介するドキュメント番組の中で、同氏は「自分は政権時代もその後もライサと離れて生活をした時間はほとんどなかった」と述懐していた。1999年に急性白血病で亡くなったライサ夫人はその後も常にゴルバチョフ氏の傍にいたのだ。離婚したり、愛人を持ったりする欧米の政治家が多い中、まったく好対照だ(シュレーダー独元首相は5回結婚)。ゴルバチョフ氏はその番組の中で、「ライサがいなくなって、人生の意味を失ってしまった」と述べている。
18年間の長期政権を維持したレオニード・ブレジネフ党書記長の死後(1982年11月)、ユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコの2人の指導者が就任して1年半余りで病死する事態が続いた。そこでソ連共産党は1985年、「若く健康な指導者を」という願いもあって当時54歳のゴルバチョフ氏を党書記長に選出した経緯がある。ゴルバチョフ氏は91年のクーデター後、ボリス・エリツイン氏にその地位を奪われたかたちで権力の座から追われた。ゴルバチョフ氏はペレストロイカを宣言し、硬直したソ連社会の改革に乗り出したが、その成果を刈り取る前に権力から追われた。
ところで、欧州から唯一、ハンガリーのオルバン首相が葬儀に参列したというニュースを聞いた時、欧州のメディアはロシア産の天然ガスの供給問題でロシアから優遇されたオルバン首相がプーチン氏と会談するのではないか、といった憶測が流れたが、プーチン・オルバン首脳会談はなかった。オルバン首相を擁護するつもりはないが、首相は赤いバラをもってゴルバチョフ氏の棺の前で感謝したかったのではないか。ゴルバチョフ氏なくしてハンガリーを含む東欧共産圏の崩壊は考えられなかったのだ。
ハンガリーは1956年に「ハンガリー動乱」を経験している。共産政権を打倒して民主国家を建設することが如何に難しいかを知っている。その鉄のカーテンを破ったのはゴルバチョフ氏だった。オルバン首相は現在は少々独裁的な政治スタイルに傾いているが、青年時代、民主化闘志として改革に燃えた時代があったのだ。
プーチン大統領は1日、個人的にゴルバチョフ氏の棺を訪問し、最後の別れをしている。葬儀の日は「国内の日程上の理由」から葬儀には参列できなかったという。プーチン氏にとって、ペレストロイカの提唱者ゴルバチョフ氏に関する情報が報じられることは決して快いものではないはずだ。監視と検閲を強化し、反体制派活動を弾圧するプーチン氏の政治スタイルはゴルバチョフ氏のそれとは全く異なっている。
葬儀に参列した1人の市民が、「ゴルバチョフ氏は我が国に民主主義と自由をもたらしてくれたが、その2つとも現在は失われてしまった」と嘆いていた。ロシアは、民主主義と自由を取り戻すために“第2のゴルバチョフ”の登場まで待たなければならないのだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年9月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。