李氏朝鮮儒教の徳川日本への悪影響と韓国キリスト教

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令和太閤記 寧々の戦国日記」は、「自民党をぶっこわせ」といった小泉純一郎に似た織田信長の破壊、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」を座右の銘にしてなにも代わらぬ世こそ理想とした德川家康の守成でもなく、過去よりワンクランク上の新しい国家体制を建設した豊臣秀吉が再評価されないこの国は救われないというメッセージを、女性目線で描いてみた作品だ。

先週は、秀吉が散々、悪く言われる原因になった文禄・慶長の役についての、コリアン視点からのプロパガンダでなく、客観的に世界史視点からの解説を、この本を抜粋しながら紹介した。

鶴松の死は秀吉大陸遠征の原因でなかった」「石田三成と小西行長が考えた朝鮮出兵の現実的落とし所」「慶長の役は日本の大勝利だが秀吉の死で未完成交響曲に」だ。ぜひ、読んで頂きたいし、さらに詳しく知りたければ、拙著のほうもよろしくお願いしたい。日韓交流史について日本人としてしっかり理論武装してほしい部分だからだ。

さて、秀吉の死と関ケ原の戦い以降の政治状況のなかで、家康は朝鮮通信使を派遣して礼を尽くすことを条件として第三次出兵を諦め、日朝は最低限のお付き合いだけにするかたちで、いわば、互いに村八分にするような状態で二世紀半を過ごすことにる。いってみれば、いまの日朝関係みたいなものだ。

ただ、この戦争は両国にいろんな影響を残した。朝鮮における影響については、誰も研究してないので体系的に分からないが、いちばんの遺産は唐辛子が日本から伝えられたことで、秀吉の遠征がなかったらキムチは誕生しなかったであろう。

日本では、ひとつは、陶磁器の技術向上だが、本格的な朱子学、つまり李朝朝鮮の政治家・官僚の政治・社会思想が伝わり、それを德川家康が統治論理の基本に据えたことだ。

以下は、「365日でわかる日本史 時代・地域・文化、3つの視点で「読む年表」」(清談社)の関係の項目の一部である。

德川家康は日本を李朝朝鮮風に変えてしまった

戦国時代までは禅僧が秘書、家庭教師、軍師などを兼ねていた。朱子学は禅宗的教養の一部位の位置づけだった。それが、江戸時代には李氏朝鮮から導入された朱子学が国教的地位を占めるようになった。

戦国時代の女性について宣教師ルイス・フロイスは、「日本では娘たちは両親に断りもしないで1日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける」「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。ときには妻が夫に高利で貸し付ける」と西洋の女性に比べて日本の女性が自由であることを報告している。

戦国時代には男たちと対等に渡り合っていたのは、大河ドラマでもおなじみだが、江戸時代には「大奥」のような隔離されたところいたので、大河ドラマでの女性の扱いには苦労することになる。

庶民社会では、隔離は無理だが、影響は及んだ。明治になると、西洋思想の影響から女性解放の気運があった一方、武士のあいだに留まっていた男尊女卑の考えが庶民にも広がるという困ったことも起きた。女性差別は、徳川家康の生い立ちにも起因する。家康は幼くして母が実家に去り、妻や長男と対立して反逆され彼らを殺すはめになった。

江戸時以前にも賤民として扱われた人々はいたが、江戸時代になって固定化され、目にみえるようにされ、差別が強化された。名君といわれ朱子学の教えに通じている殿様ほど、彼らにすぐに見て分かる服装をしろとか、階級によって何をしてはならないとかいう規制を強化したが、こうしたことも、李氏朝鮮から朱子学が入ってきた弊害だった。

慶長の役のときに藤堂高虎が捕虜として連れてきた官僚に姜沆という人がいて、藤原惺窩に李氏朝鮮流の朱子学を伝授した。そして、その弟子の林羅山が家康に仕官した。

戦国時代のバブリーな風潮に背を向けて、「厭離穢土欣求浄土」を旗印に変化のない世の中を理想とした家康に気に入られたのだ。藤原惺窩は姜沆から理想化された朝鮮の様子を聞いて、明や朝鮮に日本を攻めて世直しをしてほしいとまでいったのである。朝鮮遠征でも、はじめはむしろ歓迎されたくらいの朝鮮社会の悲惨な実情を知らなかったのである。

朱子学は、秩序が保たれることが主眼で、変化を嫌い、身分は固定されたほうが良い、男女はできるだけ接触せず女性が男の領分に口出しすべきでない、身分や性別に応じて社会から求められたことをするべきだとした。

明治以降も、官僚には、牧民思想というのがあり、人民を家畜同様に大事にしろということだ。職業的義務を良心的に果たせということだが、社会は停滞した。

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コリアン思想は統一教会などキリスト教を通じて浸透する

旧統一教会の思想というのは、韓国の国粋主義で再解釈されたキリスト教だ。従ってこれを通じて、知らず知らずのうちに韓国の国粋主義が浸透した。しかし、それは旧統一教会だけの問題ではない。

プロテスタントもカトリックの教会も、本来の教義とはかけ離れて、半島の利益にそった政治運動を繰り広げている。その理由は単純だ。

日本は明治以来、キリスト教信者はだいたい1%になる。それに対して、韓国ではプロテスタントが20%、カトリックが8%となっている。仏教は8%で、残りは無宗教である。つまり、人口を考慮しても、10倍以上の人数のキリスト教信者がいる。

となれば、対日攻勢が強くなるし、日本人も影響されるということになる。もちろん、在日の方のキリスト教比率は、昔からの日本人より多いわけだ。

半島のキリスト教の影響をいちがいに悪いとは言わないが、日本の社会実情とか国益にとって微妙な問題が生じてくる。

江戸時代も李氏朝鮮風に味付けされた朱子学の流入で、同和差別や女性差別の強化、停滞した社会への傾斜という悪い影響があったことも振り返って、そういうことがないように、上手に影響を取捨選択することが大事だろう。

統一教会については、私は壺を高く売るとかいうこともよくないが、それ以上に、日本の信者から集めた金を日本の国益に沿うとは思えない、北朝鮮を温存したかたちでの南北統一の工作のために使っているところは、止めねばならないことだと思う。