「ほとんど戦力外」だった藤川球児が阪神「JFK」の一角になるまで 岡田彰布元監督が明かした秘話

J-CASTニュース

   プロ野球阪神の元監督で野球解説者の岡田彰布氏(64)が2022年8月1日に公開されたユーチューブ「よしひこチャンネル」の動画に出演し、元広島の高橋慶彦氏(65)と対談。阪神での監督時代を振り返りリリーフ陣で編成された「JFK」誕生秘話を明かした。

  • 藤川球児氏(写真:アフロ)

    藤川球児氏(写真:アフロ)

  • 藤川球児氏(写真:アフロ)

藤川は「トレードが決まりかけていた」

   岡田氏が監督を務めていた05年に藤川球児、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之の継投による勝ちパターンを確立すると、メディアが3人の頭文字を取って「JFK」と命名。3投手はリリーフとしてフル回転し、05年のリーグ優勝に大きく貢献した。

   2軍監督時代、藤川を先発として起用していたが80球を超えると球威が落ちることや、球種が少なかったことなどを理由に中継ぎに配置転換したという。また、03年にはトレードが決まりかけており、ヤクルトと広島が候補に挙がっていたことも明かした。

「(藤川は)ほとんど戦力外。トレードが決まりかけていたが俺が監督になったから『アカン』と言うてやめたんですよ。あの時(年俸)2200万円の選手だったのにね。4億円まで行ってもうた。リリーフのおかげですよ」

岡田氏は04年に星野仙一監督の後を受け1軍監督に就任。「JFK」が誕生したきっかけとなったのは同年に開催されたアテネ五輪だったという。

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