18日の日曜日は父の日だった。ふだん父の日には、いちおう日本酒など贈ってお茶をにごしている私だが、最近流れていたイオンのCM。山口智子さんが父親と2人でどこかいこう、なんてことを言っていて、「そういえばうちは父と娘で2人で過ごすってこと、しないよな」とふと思った。
父との距離はよくわからない。それ以上に父はよくわからない、ところもある。趣味が多いとか、変な武勇伝があるとか。私はそんな父に似ているといわれる。
ちょうど父の日がめぐってきた。実は私には十数年前に父にした約束があり、まだそれを果たしていない。ここで記事のネタにしようという下心もあるわけだが、いい機会なのでその約束も果たすべく実家へ向かった。これはそんな乙幡父娘の、ある1日の記録である。
※2006年6月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
待っていてくれてはいなかった
事前に母に、「帰って一緒に過ごすことを記事にするから、お父さんに言っといて」と伝言をお願いしていた。日のあるうちに、父の趣味や武勇伝についてインタビューし、夜は約束を果たす感動の1日・・・。
そんな絵を思い浮かべつつ帰宅すると、家には誰もいなかった。庭で母が草取りをしていた。
「お父さんね、畑に行ってる」とのこと。父は定年後の第二の職場で、職場名義で畑を借りて世話をしており、最近その熱がやけに上がっている。
私の帰宅が4時近くになったからというせいもあるが、気が抜けた。抜けて眠くなったので1時間半ほど部屋で仮眠をとる。
父、帰る―なんか土産付き
起きてボーッと下へ降りていったが、5時半にもなるのにまだ父は帰っていなかった。
冒頭の「約束」の話でもしよう。いや、たいしたことじゃないんだが、大学を出て就職したあかつきに父の好物のうなぎを初任給でおごる、というものだ。
学生時代お金の面でいろいろお世話になったそのお返しに、せめてもの恩返し。いい娘だ。
でもいざ初任給が入り連絡してみると、「まあ、それはいずれ楽しみにしてるから、貯金しなさい」と言われた。その後も、何回か転職し、デイリーポータルZの初ギャランティーなども出たりするたび「うなぎを・・・」ともちかけるも、「まあ、とっときなさい」と言われ、今に至った。
7時近くなって、やっと父は帰ってきた。「ほれ」とテーブルの上に何か置いた。
「物産展やってたんで買ってきた、ほら、1個7円だ」
うれしそうに言う。本当だ、10個入り70円。1個7円だ、安い。でもまあそう言われれば70円という気もしないでもないが、それを3回くらい言っていた。よほどそこが気に入ったのだろう。
いや、そんなくつろぐ前に、食事に行こうよ。約束を果たして感動させたい。
うなぎが牛になる
結局なじみの焼肉屋に来た。父はうなぎだけでなく牛も好きだ。そして特に焼肉屋が好きだ。理由を聞くと、「わいわいと焼くのが楽しい」と言う。同じ牛でも、ステーキを静かに食べるより、焼くという行為で盛り上がるのが好きなようだ。
で、結局焼肉をおごることになった。
だがクロアチア戦を控えた日曜7時過ぎ。すいているかと思いきや、試合にそなえてなぜか自分らも気合を入れるためか、店内は客でものすごく混んでいる。でも父はその様を見て「焼肉屋が混んでるとうれしいね。狂牛病とかの騒ぎのときはガラガラだった。焼肉屋が混んでないとさびしいね」と、高貴な視点から発言をしている。
しかし、やっと座れたがなかなか肉が来ない。腹が減ると目に見えて不機嫌になっていく父だ。高貴な視点はどこかに行った。
待つ間、私が「これはうなぎの代わりでして」と説明する。母からは伝わってなかったようだ。初めて聞いたような顔をしている。
そこから、うなぎの話になった。
- 父のひいきの店では、上(じょう)が1700円。そのうえに特上2000円があったので頼んでみた。
- ふつう特上と聞けば、うなぎとご飯の2段重ねを想像するよな。
- すると、違いは「冷奴がついてる」だけだった。もう特上は頼まない。
- うちの近くの店では特上が1700円と安い。けどそこはご飯がまずい。
- その店では上を食べたが、その店の特上はどんなんだと聞いたら、「一部分が2段重ね」。
と、ひとしきりうなぎについて語った。
やがてビールと日本酒は来たが、肉はまだだ。ビールを私は飲み終え、父はなんとか半分残している。肉と一緒にビールを飲みたい思いの強さを感じることができる。
一緒にやって来たカクテキを見て、「今日はあまり赤くない」とぼやいていた。赤くないと「食欲をそそられない」そうだ。焼肉にも一家言ある父だ。
やがて肉到着。無事網に乗せ終え、私も安心だ。
混んでいたので、追加注文のわずらわしさを避けるため、肉のあとのご飯類も一緒に頼んでいた。父は石焼ビビンバが定番だ。
「肉と一緒に来たらどうしよう」と、テーブルのそばを石焼セットの乗ったワゴンが通るたび、ビクビクしていた。父曰く、「長く置くと野菜の水気が出て、焦げが期待できない」ので、ぜひとも食後に来て欲しいそうだ。
でも肉焼きの半ばでついにビビンバが到着してしまい、私たちはあわただしく肉を胃に詰め込むようにして食べた。これでよかったんだろうか。
帰宅後、父に武勇伝を聞く
家でいきなり、父の足の指を見せられた。両方の爪が2~3づつ、剥がれて新しい爪が生えてたり、血マメができてたり、指の皮がめちゃくちゃに破れたりしていた。
「100kmを24時間歩く大会があって、参加したらこうなった」
そう、その大会のために、父は毎日べらぼうに歩いていた。歩く、といえば・・・。
事前に電話したとき、母から初めて聞いたことがある。
「お父さんは昔、勤め先でドロボウを追いかけて走って走って、結局自力では捕まえられなかったがドロボウも追いかけられたせいで疲れて逃げるのをあきらめ警察のご厄介に。後に感謝状をもらった」というもの。おお、武勇伝!それ聞いてみましょ。
「ドロボウ捕まえたことがあったの?聞いたことないよ!」
「いや、捕まえたんじゃなくってさ。勤め先でドロボウが捕まって、お父さんの課で事情を聞いてたらそいつが警察来る前に逃げ出したんだ。お父さん当時喘息がひどいときで、追いかけられなかったから、警察の車に乗って『あいつです!』って指図したんだ。それが表彰された」
事前に母から聞いていた話とほぼ違い、武勇伝武勇伝デデンデンデンデデンデンとまではいかない話だったが、十分誇らしいことである。
他にも、勤務先にクレームを言ってきたヤクザ風の男の話を仕方なく聞いてやったら、後日男から勤務先に手紙が来て『あんなすばらしいお人はいないから大切にしろ』という内容だったという、どうとらえたらいいかわからない「武勇伝」も持っている。その男の人も単純ではある。
翌朝、父に送られ帰路につく
クロアチア戦も始まったので、その日は話はそこまでとなった。
翌朝、帰京すべく最寄り駅まで父に送ってもらった。父はそのまま職場まで出勤である。
今ハマっていることについて聞いてみた。父は昔から、書道や三味線、英会話など、いろいろ興味を持ってはいつのまにかやらなくなっていたりする。不運にも私はそこに似た。
「そういえば手話ってどうなったの?」
「ああ、手話の講座?あんまり行ってない。100km歩く大会とか、畑仕事があったからね」
「……。そういえば油絵は?出展するんでしょ」
「ああ、あの寺院の絵ね。それも進んでないな」
「……。私が買ってあげたNINTENDO DSは使ってる?脳のトレーニングしてる?」
「あれ、この前やったらさ、『1ヶ月ぶりですね』ってDSに言われちゃったよ」
「なんだ、してないじゃん!」
「100km歩く大会とか、畑仕事があったからね」
歩くことも、畑仕事も、そのうちどうなるか心配になってくる。
それに、記事になるのかちょっと不安になってきた。いや、今回はいいんだ。父の日なんだ。
そう思っていると、「畑見せようか」と父が言う。最近の父の興味の対象である。
職場の近くに、共同で借りているという畑があった。
父は実は、心の病を経た方々のリハビリ用作業所の所長を今はしている。そこに通う方々のためということもあって、畑を始めたそうだ。
作業所なので、通う方々にはいくばくかの作業賃が出るが、その足しにと、ブルーベリーを皆で育てているのだった。
やがて駅に着き、「じゃまた帰省するよ」と私が言うと、出るときはふつうのメガネだったのに今はすっかり日差しで茶色く変わったサングラス姿の父が、手を振った。
もっとしんみりさせようとか、感動してもらおうとか、ちょっとはイヤラシイ考えも持っていたけど、いろいろ話せてよかったです。
ネタのため、といいつつ、そういう機会があってよかったです。
お互い元気でがんばろう。今回は取材につきあわせてすいませんでした、父よ。