ブッシュはイラク侵攻を後悔していない

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よみがえるブッシュ政権の記憶

2001年から2009年までアメリカ大統領を務めたジョージ.W.ブッシュ元大統領は、直近の共和党大統領とは違い、退任後は表舞台から去り隠居生活を行っている。その在任中はリベラル派からは好戦的な外交方針、対テロ戦争を名目とした国民のプライバシーを脅かす監視体制の設置などによって蛇蝎の如く嫌われていた。現在も上記の負のレガシーに対する根強い批評家は存在する。

しかし、時間の経過が影響したのだろうか、今では在任中に付いていた負のイメージは薄れ、アクの強いトランプ前大統領のおかげで浄化作用が働き、リベラル界隈では移民の油絵を描く元大統領という上書きされたイメージに落ち着きつつある。

ジョージ・W・ブッシュ大統領 Wikipediaより narvikk/iStock

だが、先日の失言はブッシュ氏の振舞いが落ち着いたように見えて、19年前のイラク侵攻を決断した彼と思考に関しては全く変化が無いことが明らかになったように思える。

ブッシュはプーチンと同列なのか?

ブッシュは地元テキサス州、ダラスでの集会でロシアのウクライナ侵攻を非難するつもりが、ウクライナ侵攻ではなく、イラク侵攻と言い間違えてしまい、自らの過去の決断がプーチンと同列に並べてしまう失言をしてしまった。

ブッシュの失言は文字通り受け止めればその通りであるとも言える。まず、両者の事例は喫緊の脅威が無いにも関わらず侵攻したという点では予防的自衛権の行使であり、国際法違反の軍事行動でもある。

また、両者の事例は大義のない戦争(イラク戦争はイラクの大量破壊兵器の保有が最大の大義名分であり、後に虚偽と判明)のせいで、無辜の市民を大量に犠牲にしたという点では共通点がある。アメリカの侵攻、それに伴う内戦により約50万人が死亡している。皮肉にもプーチンは開戦を表明する際にアメリカへの当てつけなのかウクライナの大量破壊兵器の保持を戦争の大義名分として挙げている。

一方で、ブッシュとプーチンの戦争は全く違った様相も兼ね備えている。ウクライナのゼレンスキー大統領は開戦によって世界的なヒーローに昇華したが、イラク戦争の場合は同じく侵略された側のフセイン大統領に全く同情が集まらなかった。

また、西側の主要な国はアメリカのイラク侵攻を支持し、当初反対した同盟国も開戦後はイラク再建を支援し、それ以上アメリカを批判することはしなかった。それもあってか、ブッシュ氏は国際的な追求を受けることなく今に至る。一方、プーチン氏は有力な支援者がいないせいで戦争犯罪者認定され、個人的な制裁を受けるはめになっている。

イラク侵攻はブッシュに責任が帰する

近年、従来のイラク戦争の開戦決定プロセスの理解に一石を投じる本が出版されている。NYタイムズの記者であるロバート・ドレッパー氏が書いた「戦争を始めるために(未訳)」である。

それまでイラク戦争に至る経緯が語られる時に、決まって出てくるのがネオコンと言われる民主主義を世界中に広めるために武力行使をいとわない考えを持った人々の存在だ。

ブッシュ氏の側近がネオコンで固められており、それらの人々に誘導されてイラク戦争の開戦に踏み切ったのが一般的な理解であろう。

しかし、ドレッパー氏の著書の特徴はいわゆるネオコンの影響が誇張されたものであるとし、9.11の衝撃がブッシュのイラク侵攻の決断を確固たるものとしたというナラティブを提示する。

そもそもブッシュ氏は就任直後、イラクはおろか、外交・安保政策にあまり関心は示していなかった。課題としていたのは移民、教育、そして税制改革であった。選挙中に外交知識の欠如は指摘されており、それに対して「最高の外交チーム」を用意すると反論し、それは彼の外交・安保の関心の低さを示唆する。また、今ではネオコンの筆頭と目されているチェイニー元副大統領が政権内の対立を仲裁する「穏健派」と当初は思われていたことも興味深い事実もドレッパー氏は紹介する。

だが、転機となったのが9.11の同時多発テロだ。CIAからの幾度の警告がありながらも、約3000人もの犠牲者を出すテロ攻撃を止められなかった反省は大きく、ブッシュ氏と閣僚はパラノイアの塊と化し、次のテロ攻撃を防ぐためにどんな些細な情報にも手を出し、フセインは大量破壊兵器を保持しているという虚構のナラティブを構築し、信じるに至る。

この過程におけるウォルフォイッツ氏などの正真正銘のネオコンの影響力は否定できない。だが、彼らはブッシュ氏のイラクを侵攻するという決断をより強固なものしただけであり、彼らが存在が無くともブッシュ氏は決断に踏み切ったとドレッパー氏は示唆する。

それほど確固たる意志でブッシュ氏はイラク侵攻を決断した。自らが悪からアメリカ人守り、抑圧されているイラク人を解放する存在だと自負していた。

一片の悔いも無し

ブッシュ氏は自分が誤った情報を下にイラクを侵攻したことは謝罪はしているが、侵攻そのもの自体に後悔は感じていないように見受けられる。しかし、上記の失言は今でもイラク侵攻という決断に強い思い入れがあることを感じさせる。

心のどこかでは後悔はあるのかもしれない。しかし、例えそれがあったとしても彼は死ぬまでそれは表に出さないであろう。

ブッシュ氏は2013年にイラク侵攻の決断は後に「歴史が審判を下す」と述べている。今でもイラク戦争の評価は定まった解釈がなされていない。だが、今回の失言の背後にあるブッシュ氏の日頃からの思考は後世の歴史家が叙述する彼の伝記の終盤で記述、または分析される対象となるであろう。