PCを使った作業では、情報の消費と生産を並行して行なうことが多い。それぞれに対して別の画面を割り当てることができれば、特別なスキルがなくても、トレンディなイマーシブとハイブリッドな環境がインスタントに手に入る。
生産用アプリと消費用アプリの画面を別に
ディスプレイが大きい方がいいか、小さい方がいいかというのは永遠の課題だ。その解像度との関係も奥深い。
スマホの世界では折りたたみディスプレイがトレンドだが、考え方としては、1画面を2つに区切るというイメージだ。画面を2つに区切り、それぞれで別のアプリを使うことで効率を高める。多くの場合は、片方が生産用アプリ、もう片方が消費用アプリということになるだろう。文字や図版を作るのが情報生産で、資料等を参照するのが情報消費だ。
生産用アプリの画面サイズはそれほど大きくなくてもいい。一方、消費用アプリのウィンドウは大きい方がいい。何かを書いたり描いたりするのに使う画面は小さくてもいいが、参考にする資料を開く画面はできるだけたくさんの情報を一度に表示できた方がいい。
だから、ノートPCに外付けディスプレイをつないで使う場合、生産にはノートPCの画面を使い、消費には外付けの大きな画面を使うというわけだ。
もっとも、アプリによっては大画面の方が使いやすいものもある。例えばAdobeのPremiere Proを使って動画編集ということなら画面は大きい方が使いやすい。
ただ、このアプリ、参照と消費が1つのウィンドウの中にパネルとして共存しているだけなので、消費のためのパネルを別のディスプレイに追い出す、あるいは逆に生産のためのパネルに目の前の画面を占有させればいい。
ところがAdobeのアプリは「パネル」という「ウィンドウのような矩形」を作業用に使う。これがまたややこしい。ウィンドウのようなのだが、ウィンドウと同じような操作で扱えない特別な矩形だ。
例えば画面一杯をパネルを占有させるには、わざわざ矩形の輪郭をドラッグしてサイズを調整しなければならない。さらに、アプリのウィンドウではないため、タスクバーボタンとしても表示されないので、切り替えもやっかいだ。
アプリは遅れている
Adobeのアプリだけではなく、いろんなアプリが複数のウィンドウが共存している環境をちゃんと想定していない。仮に想定していたとしても、そのディスプレイの全画面を占有できると思いこんでいたりもする。
PCでそれなりにマルチタスクができるようになってすでに四半世紀以上が経過しているのが、そのUX(ユーザー体験)はあまり変わっていないということだ。
もちろん、バックグラウンドで重い処理をさせている間に、ほかのことをやるといったシーンでは、プロセッサのマルチタスク/スレッド処理性能が向上したこともあり、かなり快適になったと思う。
だが、人間もマルチタスクで消費と生産を同時にやるということをうまくサポートできているかというと疑問だ。そのあたりがまるで進化していないように感じている。
ここ数年のWindowsは、ようやくそのあたりを考え始めているように感じる。複数のディスプレイをつないだら便利なんだとようやく気がついてくれたという感じだ。
また、1つの画面しかなくても、そこに複数のウィンドウが共存することを考慮するようにもなっている。まだまだだとは思うが25年前に比べれば大きな進化だ。
せめてアプリも、OSであるWindowsと同じくらいにウィンドウという矩形エリアが変幻自在だと考えるようになってくれれば、PCでの作業環境は劇的に変わるはずだが、まだもう少し時間がかかるようだ。
解像度が高ければ視聴距離も短くなる
TVの世界では、すでに4K解像度50型超の画面が主流になりつつある。画面は大きい方がいいのだが、50型という画面の広さは目の前において使うにはちょっと大きい。画面全体を見渡すには、1m以上離れる必要がある。
4K解像度ではフルHDの半分程度の視聴距離が想定されている。距離は、一般に画面の高さの1.5倍程度だそうだ。50型画面なら、その高さは約62cmなので、その1.5倍=約1mというわけだ。
ただ、これは映画などの映像コンテンツを楽しむときの視聴距離なので、ウィンドウ表示されるPCの画面はちょっと別の考え方が必要だ。
このサイズのディスプレイを置き、約1m離れて作業できる環境はかなり限られている。少なくとも幅が1m程度あるデスクを用意しなければならないだろう。
1×1mの正方形のテーブルがあれば50型ディスプレイを1mの距離に安定して設置でき、適切な距離で使うことができる。ちなみに、新JIS規格のデスクでもっとも小さいものは、幅が80cm、奥行きが60cmだ。
このサイズのデスクに50型を置いてPC作業をするのはちょっとつらいかもしれないが、常時、画面全体を見ているわけではないのでなんとかなったりもする。だからこそ、ウィンドウ表示が必要なのだ。
ちなみにWindowsは46型ディスプレイに4K解像度で100%表示したときにOSとしての想定解像度になる。これは23型ディスプレイにフルHD解像度で100%表示したのと同サイズだ。
別の言い方をすると、4枚の23型ディスプレイを田形に並べたイメージになる。市場にはなかなか46型ディスプレイというのが見当たらず、42.5型か50型といったところだろうか。
Windowsには縮小ズーミングの機能がないので、50型100%表示は、OSの想定サイズよりちょっと表示が大きい。本当は92%表示でいい。画面までの距離がとれない場合は余計に大きく感じるだろう。
大きすぎると感じる50型かもしれないが、24型ディスプレイを横に並べればその横幅を超える。それが二段重ねになった状態が50型のサイズ感だ。
PC画面は書類が並ぶ机
絶対的な存在感として各ディスプレイのサイズがあるが、文字が並ぶ1行の横幅についてはちょっと違った基準で考える必要がある。
そこが映画コンテンツなどと異なるところで、そのあたりのことを考え始めると、GUIの作業エリアとなる画面のことを書類ではなく机に見立ててデスクトップと呼ぶようにしたのはさすがだと思う。でも、そのパイオニアたちの想定した未来がちっとも近づいてこない。画面はいつまでたっても書類のままで、書類が並ぶ机として使われることがほぼないからだ。
かと言って、遊びはともかく、仕事の場合、そのために使えるスペースは限られている。誰もが大画面のディスプレイや複数のディスプレイを並べた環境で仕事をするようにはならないだろう。
でも、いざとなれば、あまり大きなコストの負担もなく、リッチな環境が手に入るということは覚えておいて損はない。投資対効果は大きい。高級ディスプレイでなくても、フルHD解像度で14型前後のモバイルディスプレイを1台追加するだけでも、作業はとてもラクになる。消費と生産を別の画面に割り当てることができるからだ。
そのなれの果てが、スーツケースに入れた24型ディスプレイだったわけだが(以下の関連記事を参照)、ようやく時代が追いついてきたと感じている。
先日、PC Watch編集長に、その話をしたら、「まだやってるんですか」とあきれられた。コロナ禍で出張機会が激減どころか皆無になってできないだけなのだが、懲りずにまたやるだろう。当たり前だ。
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