新しい資本主義では成長できぬ訳 – WEDGE Infinity

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 岸田文雄首相の唱える「新しい資本主義」とは何だろうか。首相は、2021年12月22日、読売国際経済懇話会で「様々な弱点を強みに代える成長戦略と官民協働で考えていく。これが市場任せでない新しい資本主義だ」と説明。また、対応が急務の気候変動やデジタル、経済安全保障分野で「政府が『方向性はこっちだ』と大きな市場を指し示し、多くの企業が投資することで分野を拡大する。結果として弱点を克服する」。

分配政策では「給与、人への分配はコストではなく、未来への投資だ」と指摘。国が決めることのできる保育士や介護職員の給与を引き上げることも述べ、「資本主義が生み出した弊害にしっかりと向き合っていく」と述べたとのことである(『首相「成長戦略 官民で」』読売新聞21年12月23日)。しかし、これが新しい資本主義として、「新しい資本主義」で成長することは難しいだろう。以下、その理由を述べたい。

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投資の方向は成長抑制

 まず、政府が将来の市場を指し示すというのだが、それが正しいという保証はない。例えば、12月21日の記者会見で岸田首相は、「年末年始には牛乳をいつもより1杯多く飲み、料理に乳製品を活用して欲しい」と述べたとのことである(『「牛乳を飲もう」大号令』日本経済新聞21年12月23日)。乳製品の需給は農林水産省によって統制されており、企業が自由に生産している訳ではない。資本主義が間違っていた訳ではなく、農水省の指し示した方向が間違っていた訳だ。その失敗を国民が引き受けさせられるのはかなわない。

 また、財務省「令和3年度補正予算(第1号)の概要」によれば、「新しい資本主義」のために、「農林水産業の輸出力強化、成長力強化」に3200億円使うという。しかし、農林水産業の輸出額は1兆円でしかない。1兆円の輸出のために3200億円も使うのは、税金の無駄遣いではないだろうか。

 気候変動や経済安全保障分野でしなければならないことはするしかない。その意味では、政府の指し示す方向は正しいというより、前者は国際的約束で、後者は安全保障のためにそうするしかないことだ。しかし、これらはいずれもコストを上げる政策である。

 温暖化を避けるために割高なエネルギーを用い、経済安全保障のために国内あるいは同盟国内で補助金を払ってでも生産するということである。コストが上がれば、その分だけ、実質所得は減少する。また、どのエネルギーを用いるのが二酸化炭素(CO2)削減に効果的か、政府が適切に方向を指し示すことができるとも思われない。

 日本では太陽光発電が欧米の何倍ものコストになっている(木村啓二『日本の太陽光発電はなぜ高いのか』自然エネルギー財団、16年2月4日)。欧州では、よりコストの安い風力発電にシフトしている。これは気象条件にもよるので日本の政策の失敗とは言い切れないが、同じだけのCO2を削減するのに、どの方法がもっともコストが安いのかという視点はなかった。

デジタルについては、政府は効果のないデジタル戦略を繰り返してきただけだ(日経コンピュータ『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 消えた年金からコロナ対策まで』日経BP、21年)。なぜ政府が、民間に対して有効な方向性を示すことができると考えることができるのか私には分からない。

 念のために述べておくが、私は気候変動対策に反対している訳ではない。1970年代の公害対策で、コストをかけてきれいな大気や水を取り戻したことは素晴らしいことだったと思っている。政府は、コストをかけても気候変動対策や経済安全保障対策をしなくてはならないと国民を説得するべきで、これらの対策で成長できるというのは間違いである。

介護職員の低い給与は資本主義のせいではない

 人への分配はコストではなく、未来への投資だというのは、心地よく聞こえるが、それが投資であるかどうかは、企業と個人が決めるべきことだ。企業は、必要があれば高い賃金を払うだろうし、必要がなければ払わない。人は、それが将来の所得を上げるものと認識できれば技能を身に着けようと努力するが、無駄な努力はしない。

 国が決めることのできる保育士や介護職員の給与を引き上げることは望ましいと私は考えるが、その給与が低いのは資本主義のせいではない。図で、介護、保育(社会福祉の専門的職業)、看護の有効求人倍率を見ると、17~19年の職業計の平均が1.5倍前後の時、介護、保育、看護がそれぞれ2倍、3倍、4倍となっていた。

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 職業計が1.1倍に低下した現在でも、それぞれ2倍、3倍、4倍弱である。資本主義であれば、求人倍率の高い仕事の給与は上がり、低い仕事は下がるものだが、そうなってはいない。

 なぜ介護などの給与が上がらないかと言えば、介護は介護保険で運営されているからだ。介護職員の給与が上がれば保険料を上げなければならず、それができないから給与を安くしておくしかない。安い給与では人が集まらないから必死に求人し、求人倍率が高くなる訳である。

予算から新しい取り組みが見えない

 22年度予算から、新しい資本主義関連の予算を「令和4年度予算のポイント」で見ると、「科学技術立国」「デジタル田園都市国家構想」「経済安全保障」という言葉が並ぶが、「科学技術立国」はこれまでもあったものだ。

 「デジタル田園都市国家構想」「経済安全保障」は新しいが、「田園都市」はデジタル予算を地方に配るもの。これまでのデジタル予算の二の舞にならないか心配だ。「経済安全保障」は重要技術の管理体制や量子暗号通信の研究などと書いてあるが、予算金額は書いていない。

「分配戦略」では看護、介護、保育、幼児教育などの職員の給与を3%引き上げること、人への投資の推進に3年間で4000億円、「下請けいじめゼロ」を目指して下請けGメンを倍増して248人にすると書いてある。

 しかし、介護の給与はこれまでも毎年1.7%から1.9%は上がっていた(介護労働安定センター「令和2年度介護労働実態調査」(20年8月7日)により、16年から21年にかけて所定内賃金と所定内賃金に賞与を加えたもので計算)。他の職種の給与が上がっているのに、こちらだけ上げない訳にはいかないからだ。新しい資本主義の世界でなくても2%弱上がっていた。すると、「新しい資本主義」で上げる部分は1%程度となる。

 もちろん、予算の23%は国債費に、34%は社会保障に使われ(コロナ予算の影響を受けていない19年度予算の数字)、合わせて57%は使い道をほとんど変えられないので、「新しい資本主義」に当てる予算はあまりないのだが。

コストばかりがかかる「新しい資本主義」

 「新しい資本主義」の中にはコストを上げる方策が多い。しかし、コストを上げて経済を活性化することはできない。所得分配を重視するのは良いが、実際の予算支出はわずかである。大きく分配状況を変えることはないが、だから成長を阻害するほど分配に力を入れないのは良いことだという判断もあるだろう。