何でも「キャンセル」扱いに呆れ – 赤木智弘

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兵庫県を中心に活動する「明石フィルハーモニー管弦楽団」が、3月21日の定期演奏会で、チャイコフスキーの「1812年」の演奏を予定していたが、ロシアがウクライナに侵攻した世情を踏まえて曲目を変更することにしたとTwitterで告知した。(*1)

一見すると、よくあるニュースのようだが、ネット上ではこれに対して大量の反発があった。曲目変更は、「キャンセルカルチャーだ!」「芸術と現実の区別が付かないのか?」「表現規制に他ならない」というのだ。(*2)

一体どういうことなのだろうか?

ミュンヘンでもロシア人の指揮者が解任

同じ頃、ドイツのミュンヘン市は、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者を務めていたロシア人指揮者、ヴァレリー・ゲルギエフ氏を解任したという一報が日本で報じられていた。(*3)

ミュンヘン市はゲルギエフ氏に対し、ロシアによるウクライナ侵攻に対して明確に反対するように求めたが、ゲルギエフ氏が返答をしなかったために解任したのである。

この報道の存在が、日本の市民楽団という同じクラシックの場でロシア人作曲家の音楽の演奏が中止されたことと重なり、市民楽団に対する反発に繋がったと考えている。

まずゲルギエフ氏の解任の件についてだが、僕は解任という処分は不当であると考えている。ゲルギエフ氏はプーチンの長年の友人として知られているそうだが、ロシアの世界的な指揮者が国のトップと仲が良いのは決して不思議なことではない。

ゲルギエフ氏の立場を考えれば、仮に侵攻に反対という心情があったとしても、そうそうその意見を表に出せるものではない。ゲルギエフ氏自身はドイツにいるため危機はなくとも、彼が政治的発言をすることで、ロシア国内にいる彼の親類縁者がロシア側から不当に扱われる可能性もある。

彼がロシアの侵攻に対して何もメッセージを出さないことは、決して問題のある行動ではない。そしてなにより、楽団の指揮者という職を遂行するに対し、彼の思想信条は一切問題にならない。

むしろ、ミュンヘン市という行政が個人の思想信条にみだりに立ち入ったことの方が問題であり、解任処分はミュンヘン市側の差別的な態度であるといえるだろう。

演奏中止は妥当、「1812年」の背景

一方で市民楽団による「1812年」の演奏中止については、僕は何ら問題のない判断であると考えている。

まず、チャイコフスキーの「1812年」という楽曲は、ナポレオンによるロシア侵攻にロシア側が勝利したことを祝う楽曲である。現在ロシアがウクライナに侵攻していることと比べれば構図が逆の話ではあるが、ロシア側の勝利を祝う曲である以上、今の時世で演奏するのははばかられる。

反発の中に「チャイコフスキーというロシアの作曲家だというだけで排除するな」といっている人は「1812年」という曲の背景を知らないと考えられる。

さらに重要なのは、中止を決定したのが楽団自身であるという点だ。

極めて単純な話、楽団には自分たちが演奏したい曲を選ぶ権利がある。そして同時に演奏したくない曲を演奏しない権利もある。楽団自身が中止を判断した以上、その決定に楽団の外の人たちが踏み込んで非難する権利はないのである。

確かに同じ「楽団の話」ではあるが、片や思想信条に踏み込んだ差別的扱いという問題、片や市民楽団が楽曲を中止しただけの話が、なぜ同じであるかのように混同され、市民楽団が叩かれることになってしまったのか。

これを繋ぐ単語が「キャンセルカルチャー」である。

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