独シュピーゲル創刊75周年

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独週刊誌シュピーゲルからインタビューの申し込みがあった場合、多くの政治家は「栄誉」と感じる一方、「何か不味いことを掴んだのかな」と不安になるという。政界で活躍している政治家は程度の差こそあれ、100%ピュアということはないから、追及していけば、汚職や腐敗も見つかり、不倫問題に絡んでくるケースも出てくる。欧州の代表的週刊誌シュピーゲルは政治家の汚職などを暴露することで定評があり、その調査報道でこれまで多くの政治家が辞任に追い込まれていった。そのシュピーゲルから「先生、インタビューをお願いします」と言われれば、嬉しい半面、考え込む政治家が出てきても不思議ではないわけだ。

欧州の代表的オピニオン・リーダー、シュピーゲルの本社(ウィキぺディアから)

シュピーゲルが創刊されて今年1月で75周年を迎えた。同誌の前身は1946年、ハノーバーで創刊された「今週」だ。シュピーゲルと改名されたのは1947年1月4日号からだ。時の為政者、政権者におもねることなく鋭く批判する週刊誌に対し、「ドイツの良心」(Deutsches Gewissen)と評価する声が上がる一方、時の政治家やドイツ社会の恥辱面を厳しく追及するトーンに対し、「ドイツの汚染者」(Nestbeschmutzer)といった批判も聞かれた。米英仏ソの占領国からも警戒される一方で、ナチス・ドイツ政権時代の問題点を徹底的に暴露していったシュピーゲルは短期間でドイツの代表的なメディアにのし上がり、新しいニュース・マガジン、調査ジャーナリズムが生まれていったわけだ。

シュピーゲルは1950年、ボンがドイツ連邦共和国の臨時首都に選出されたとき、議員が賄賂を受け取ったことをいち早く報道し、1962年には伝説的な「シュピーゲル事件」を引き起こしている。シュピーゲルが1962年10月10日号で、「北大西洋条約機構(NATO)の演習計画を報道したことから、ルドルフ・アウクスタイン編集者(当時)は反逆罪の疑いで103日間刑務所に収監された。その間、雑誌の発行部数は50万部を超えている。

シュュピーゲル事件は「報道の自由」への蹂躙として国内外で非難の声が挙がり、最終的には第3次アデナウアー政権は同年11月末に総辞職に追いこまれていった。同事件を通じて、シュピーゲルはドイツばかりか、欧州のオピニオン・リーダーの地位を固めていったわけだ。同誌の発行部数は現在、110万部と推定されている。世界20カ国に特派員を派遣している。

もちろん、シュピーゲルの75年の歴史は輝かしいスクープ記事やインタビューだけではない。シュピーゲルの若手の星と受け取られていた記者が捏造記事を書いてきたことが暴露され、独シュテルン誌の「ヒトラーの日記」(1983年)以来のスキャンダルとして独メディア界に大きな衝撃を与えたことがある。

シュピーゲルを震撼させた捏造記事について、同誌は2018年12月19日、オンラインで発表した。捏造記事を書いてきたのは33歳のクラース・レロティウス(Claas Relotius)氏で7年間余りシュピーゲル編集部に勤務し、社会問題を中心に書く記者だった。

同誌によると、約60本の記事が過去、掲載されたが、少なくとも14本は捏造、創作記事の疑いがあるという。同記者はシリア内戦の青年たちの素顔などのルポ記事を掲載し、2014年にはCNNの「今年のジャ―ナリスト」に選出されるなど、各種のメディア賞を受賞してきた若手ホープのジャーナリストだ。

捏造が発覚した最初のきっかけは、米・メキシコ国境のルポ記事だ。シュピーゲルの同僚ユアン・モレノ記者(Juan Moreno)が現場に出かけ、記事の内容を検証取材したところ、レロティウス記者が会見したという2人とは会っていないことが判明するなど、記者の捏造疑惑が強まった経緯がある。

レロティウス記者は最初は捏造記事という疑いを否定してきたが、最後は捏造記事であることを認めている。同記者は調べに対し、「失敗するのではないかという不安と恐怖があった」と述べ、上司の期待に応えなければならないといったストレスが強く、インタビューしていないのにインタビュー記事を書き、現場取材していなくてもルポ記事を自分で勝手に創作するなどを繰り返してきたという。同誌編集関係者のショックと失望は大きい。シュピーゲルのウルリッヒ・フヒトナー編集員は、「シュピーゲル70年の歴史の中で最悪な出来事だ」と嘆いたほどだ。

当方はシュピーゲルを購読している。土曜日発行だが、オーストリアには月曜日に届くケースが多い。オーストリアの政治が主要テーマとなった場合は「オーストリア版」が発行され、表紙の写真にはドイツ版用と異なる写真が利用されることがある。

シュピーゲルの取材力には常に感心させられる。特に、ベネディクト16世がローマ教皇に選出されて以来、シュピーゲルのバチカン報道は非常に詳細だった。論調は左派的傾向が強かったが、ここにきて中道寄りになってきたともいわれている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。