今の時代だから「私塾」があってもいい

アゴラ 言論プラットフォーム

大人向けの塾、つまり私塾についての話題は最近、あまり出てきません。先日、ある報道を読んでいたら松野博一官房長官が松下政経塾ご出身とありました。高市さんもそうですし、あの丸山穂高氏もそうです。松下政経塾出身の著名政治家はあまりにも多く、同塾が政治家輩出のための塾と勘違いされているのも無理はありません。

Rawpixel/iStock

そもそもは1979年に松下幸之助氏が私財をはたいて作った塾です。よって入塾や授業料はかからない上に研究費で年間300-500万円支給されます。2-4年の塾の期間は寮住まいで、例外は許されません。1年の入塾者は5人前後、倍率は数十倍ではないかとされます。狭き門ですが、お金貰って勉強させてもらえるのなら最高じゃないか、と思う輩はまず振り落とされるでしょう。

ではなぜ、政治家を多く輩出したか、といえば一般企業にお勤めの方は一旦退職しなくてはいけないので塾卒業後、再度民間企業への道を進まなくなるのだろうと思います。もっと自分にできることがある、と成長したのだろうと推察しています。とすれば事業家になるか、政治家になるか、という選択肢が自然と生まれてくるのかもしれません。

ところで間違いやすいのですが、同じ「松下」でももう一つの「松下村塾」の方も私塾としては意味がありました。これは吉田松陰が江戸の末期に山口県萩(当時は長州藩)で始めたものです。皆様は吉田松陰についてどういう印象を持たれますか?私のイメージは「自分の知的興味を動物的に追い求めた攘夷の原理思想派」です。異論はあるかもしれませんが、彼の基本的行動は今風で言えば「不思議ちゃん」でありました。

ただ、当時なぜ、吉田松陰が注目されたのでしょうか?江戸が新陳代謝しない260年にわたる日本の歴史に於いてそれを安定期と捉えるか、失われた260年と捉えるか、その議論がペリーの出現によってようやく始まり、松陰がそれに目を付けたのです。その思想と議論に火をつけ、朝廷と幕府の関係にまで深く切り込むきっかけを作ったともいえましょう。

ちなみに江戸幕府は全国を統治したといいますが、実態はそうではなく、徳川に忠誠を誓った大名が支えただけです。全国の藩は三百諸侯と言いますが、実態はそれより1-2割少なかったと思います。徳川が支配したのは必ずしもその全部ではなく、徳川は主要大名の元締めぐらいでありました。それゆえ、誰がこの国家を牛耳っているのか、という議論が幕末になってようやく出てきたわけです。「象徴のような朝廷(天皇)」の復活論もでてくるわけです。松陰の塾はその点で風穴を開けたといえます。

閑話休題。私塾が今、なぜ、必要なのでしょうか?人々のモノの理解度が軽すぎる、それもあまりにも表面なぞりの薄っぺらな知識で右往左往している人への警鐘であり、それに対する理解の深掘りをすることに意味があるためです。例えばこのブログにもコメント欄には数多くの「なるほど」と思わせる意見を毎回頂戴します。Aという意見に対してBやCという切り口があるとすればAの意見が薄っぺらであればあるほど論破されやすくなります。自分の意見、というか、そう勝手に信じていたことがいとも簡単に崩されてもそれに反駁すらできないのです。

日本を含む民主主義の世界では原則、議論をベースに成り立っています。しかし、テレビで見かける政府の会議のシーンでは真ん中に首相や首長が座り、何十人かの会議者は「御意」となることが多いのです。第一、それだけの人数で議論になれば一日やっても終わらないはずです。結論ありきの会議が主流です。

とすればそこに至るまでに手を打たねばならず、いわゆる課長クラスの実務の中枢が考える力、様々な世界を見聞きしていろいろな角度から物事を捉える能力を持たなければ今の複雑な世の中は全く良い方向に進むことはないのです。

ところがほぼすべての人は仕事の合間があればスマホをチェックするという動物的反射行動に明け暮れています。私は何処に行くにしてもスマホをよく家に忘れてきます。なぜならそんなものなくてもやらねばならないことは分かっているし、そこまで急ぐなら会社に電話かけてくればいいし、電話がつながらなければ自分たちで考えて解決すればよい、それだけなのです。

テクノロジーが進む世の中であるからこそ、小集団の議論は重要でそれを実現できるのが私塾なのだろうと思います。ちなみに私塾と寺小屋は違います。塾は塾長が学者など知識者が深掘りした教養を教えるのに対して寺小屋は神社や寺が子供や町人に一般教養を教えるというそもそもの水準の相違があります。高杉晋作が久坂玄瑞に連れられて松陰の塾に入塾する際、高杉が「これは寺小屋か?(それなら俺は入らない)」とされます。

インターネット伝いの軽い知識に洗脳された今だからこそ、私塾復活論は大いにあり得るではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月23日の記事より転載させていただきました。

タイトルとURLをコピーしました