2018年の元日。まだ旅行が当たり前の娯楽だったころのこと。このお話は真冬のシベリア鉄道でまっしろな大陸をひた走りながら、狭い寝台の上で5日間の虚無を過ごした記録です。
ここが4泊5日を過ごすおれの城だぜ
二畳ほどの小空間に、えんじ色の寝台が上下段で4つ。大きめの窓。その下の小さな跳ね上げ式テーブル。このコンパートメントに元々しつらえてあるものといえば、これでほぼすべて。
こちらは向かい側から見たアングル。
この日のモスクワは思いがけず穏やかな気候だ。最低気温ゼロ度。降雪はなし。ただし空の色はイメージ通り、ぼってり重たい鈍色。
プラットフォームで、門番のように威厳のある中年女性の車掌にチケットを見せて客車に乗り込む。自席を見つけたら、分厚い防寒着を脱ぐ。ごついブーツからスリッパに履き替える。あとはソワソワと室内をあらためているうちに、特に合図もなく列車はぬるっと滑り出した。ここからは、外を歩き回る自由とは、しばしお別れなのです。
バカンスかもしれない
ロシアのシベリア鉄道は、世界最長の鉄道として名高い。主要路線は首都モスクワから、日本海に面したウラジオストクまでユーラシア大陸をずどんと貫く。おれは鉄道ファンではないけど、旅客飛行機が普及する以前は日本人がヨーロッパに向かう主要ルートだったというから、ただならぬロマンを感じる。
今回の旅程は、モスクワをスタート地点として東に向けて5,000km。バイカル湖を望む都市、イルクーツクまで。途中下車なし。乗り換えなし。4泊5日、列車に乗りっぱなしの旅です。
しかしそうはいってもあなた。こんな狭い空間で5日間もどうやって過ごすというんですか。そこはまあ、本を読んだり音楽を聴いたり、寝台にねそべって思索にふけったりするわけです。というかそれ以外の選択肢がないわけです。
おれは海外旅行がすきであちこちの国に行くけど、そういえば南の島のビーチでバカンス、というタイプの旅行にはこれまで縁がなかった。バカンスというのは空白の意味で、日常の倦み疲れから解放されて、何もしないことを楽しむ贅沢な時間の使い方のことだ。ということで見ようによっては、この旅は人生初の海外バカンスといって差し支えはない。氷点下の雪原のどまんなかでバカンス。
来訪者たち
閉鎖空間での5日間を飽きずに過ごせるか。そのカギを握るのは同室となる他の乗客の存在だ。今回の旅行は日本人の知人との2人旅。このコンパートメントの定員は4人。したがって常に2人の他人がルームメイトとなる可能性がある。
実はシベリア鉄道の乗車はこれが二度目。前回の乗車時には、同室のロシア人たちから透明で生命力にあふれたお水をじゃんじゃか勧められて、夜遅くまで楽しい時間を過ごした。
彼らのうちの一人とは降りる駅が同じという縁もあり、翌日に一家の食事会に招待され、ウォッカ&ダンスパーティーのゆうべを過ごすという濃密体験だった。今回の旅でも期待するのはこうした、一期一会の素敵な出会いである。
快調に走り始めた車内。期待に胸を膨らませていると、コンパートメントの戸口にさっそく人影が見えた。最初の来訪者は、プラットフォームで改札してくれた女性の車掌であった。手にしたカゴにはお菓子やインスタント食品、ロシア国鉄のノベルティなどが入っている。つまり車内販売だ。
車内販売とはいっても東海道新幹線のそれとは趣がことなる。厳しい顔の車掌が、お菓子を一つずつ手に取ってロシア語で説明しながら、我々の目の前にかざす謎の儀式が行われている。儀式の作法については、ネット上のシベリア鉄道体験記事でしっかり予習してきた。先人たちの共通見解は「車掌の機嫌は損ねるな、何かひとつは買いなさい」である。
無事に儀式をおえて胸をなでおろしていると、今度は同室の乗客がきた。ヤンコという名の青年で、ソフトウェア開発会社を経営するやり手。英語が堪能で気のいいやつなのでいろいろと話しかけてくれたけど、その内容はなかなか刺激的だった。ロシアの最近の政治のこと。モスクワ市民は、モスクワとサンクトペテルブルク以外の都市は辺境の監獄だと思っていること。いまどきこんな鉄道で遠距離移動するのは、暇人か変人か貧乏人だけだということ(ちなみにヤンコは1時間半ほどで降りていった、なるほどやり手である)。
なかでも「君たちが車内販売で買ったというグラスは危険だ。英語だとなんというのかわからないけど、toxicな物質が使用されているから使わないほうがいい」という話はひときわ刺激的であった。
ははは。これがロシアンジョークかとおれたちは笑っていたが、ヤンコは気のいいやつなので、わざわざ女性車掌を呼び出して真剣な顔で返品交渉をしてくれていた。相当マジな様子である。
薄暗い、もしくは暗い
穏やかで静かな夜がやってきた。モスクワの駅前で買っておいたパスタを晩飯にして、紅茶を飲んでいたら早々に眠くなってきた。半日ほど緊張しっぱなしだったせいかもしれない。ちなみに車両にシャワーはないので、これからは毎晩、タオルをお湯で湿らせたもので体をふくだけですませないといけない。
寝台に寝転がると、地面から伝わってくるスムースな振動が心地いい。車内は暖房がしっかり利いていて、寝ている間も寒さを感じることもなく意識が遠のいていった。
しばらく窓の外を眺めていたけど、ひたすら森が続く。新幹線なら、都市部があって住宅地に変わり、田園からまた都市とグラデーションがあるけど、ここでの車窓はいまのところ森、森、森。
ふと。いまどのあたりにいるのだろうか。停車駅の駅名と、車内にある時刻表を照らし合わせてみる。一晩ぐっすり眠っている間にももちろん列車は走り続けており、すでにモスクワから20以上の駅を通過してきたようだ。
さてそれでは目的地のイルクーツクまではどれほどかと数えてみたら、まだあと60駅ほどある。昨晩のうちはまだ都市圏の一部なのか比較的ぽんぽん停車していたが、ここからは多分こだまくらいの駅間隔で60駅なのだ。途方もない。
各車両の端っこには給湯設備がついているので、熱いお湯が24時間手に入るのがありがたい。小腹がすけばインスタント食品が食べられるし、お茶は飲み放題。
今回の旅行に備えて、Kindleに読みたかった本を10冊くらいダウンロードしてきた。しかし人間のさがとして、いざ時間がたくさんあると思うとだらけてしまい、なかなか読み進められない。『オリエント急行殺人事件』を2ページ読んではお茶を入れ、5ページ読んではトイレに行く。ようやく集中して読みはじめて、探偵ポアロが死体を検分していた頃、おれも驚くべきことに気が付いた。
記事の構成上、この日は目が覚めてから時刻表を眺め、マッシュポテトを食い、お茶を飲みながら小説を五章まで読んだだけに見えるかもしれない。実際のところ、そのように時間を使っていたらあっという間に夜になってしまった。
冬のロシアは極端に日が短いのは確かだ。それとは別に、一日じゅう空が薄暗いのも体感時間を狂わせる要素なのだと思う。明け方の薄暗さが午前中いっぱい続き、そのまま夕暮れの薄暗さに接続されて夜がやってきたような感じだった。
氷点下を走るということ
ガツン、ゴッゴッゴッ…
ものすごい騒音で深夜に目が覚める。ボリュームもさることながら、ありえないほど頭の近くで音が鳴っている。いま列車は停まっているようだが、これってひょっとして車両が壊れたんじゃなかろうか。
この音、駅員さんがバールみたいなもので車輪のあたりをぶっ叩いている音のようだ。おそらく凍り付いた雪を落とす作業なのだと思う。夜中なのに本当にご苦労なことである。氷点下で長距離走る交通網を維持しようというのは、ただならぬ労力のいることなのだ。
翌朝はこの旅で初めて青空を見たような気がする。嬉しくてつい、駅での短い停車時間に外に出てみる。夜間もよく晴れていたのだろうか、空気は放射冷却ですんと凍りついている。
少し離れたところで、隣の車両のドイツ人の若者たちが、Tシャツ姿で雪を投げあって遊んでいた。元気が過ぎる。こちらは雪合戦どころか、足の筋肉がさぼりすぎて乗車時のタラップを登るのにも違和感が出てきた。
いよいよこの寒さだと、列車に戻り損ねたら死ぬんだろうなと思う。もし取り残されたとして、近くの民家にすがりつけば助けてくれるだろうか。寒さが限界で、早々に部屋に戻って二度寝した。
食堂車という娯楽
狭い車内で最大の楽しみといえば、何を差し置いても食べることに尽きる。食堂車は、シベリア鉄道車内に設けられた唯一の娯楽的設備だ。モスクワで乗り込むときにいろんな食べ物を持ち込んだので、はじめのうちはそれらを優先的に食べ進めていたが、出来合いの食品に飽きの出てくる旅の中盤。満を持して食堂車に乗り込んだ。
大判サイズのメニューブックはロシア語と英語が併記されている。スープ、サラダ、肉、魚などが10ページほどずらりと並び、いっぱしのレストランのような立派なラインナップだ。注文の仕方は、こんな感じでOKだ。
魚のスープというのがうまそうだな。これをください。
ウェイター:ニェット(今はないです)
あ、じゃあきのこのスープを。
ウェイター:ニェット(それもない)
何かスープは…。
ウェイター:メニューを指でトントン(今日はボルシチならある)
この地道な注文作業をサラダと肉料理のページでも繰り返し、サーブしてもらったのが上の三品であった。
メニュー数がきわめて少ないこと自体は決してありがたいことではないが、”なるほどこれはソ連っぽい”という体験できてちょっと楽しかった。
食堂車のウェイター、マクシムは寡黙で不愛想だが、仕事ぶりは真面目な男だ。何度か食堂車に通っているうちに気持ちが通じあうようになってきて、3回目からは席に着くと、こちらが何も言わなくてもマクシムのほうから、
「今日のスープ(指でトントン)」
「サラダだ(指でトントン)」
「フィッシュはこれしかない(指でトントン)」
とかなりスムースに注文できるようになった。
食堂車は、コンパートメントよりも窓が大きくて、外の景色がきれいに見えるところも気に入っている。食事のあとも、ビールを飲みながらだらだらと長居してしまう。
空が青いと車窓はこんなに気持ちがいいものか。ミニチュアみたいな、家々がかわいらしい。
いざイルクーツク
「今日は何日目?」
「4日目」
同行者との会話だ。
「そうか。昨日なにしてたっけ」
「覚えていない」
体感としてかなり長いあいだ乗車していることはわかるのだが、昨日がどんな日だったかはうまく思い出せない。寝て起きて、食べて寝るという単調なサイクルが続いているせいだ。とにかく明日は目的地に着く。もう一度夜が来て、次に起きればおれたちはイルクーツクだ。
久しぶりに大きめの駅についたように思う。列車から降りる人、迎えに来た人でプラットフォームがにぎわっている。この車両に新しく乗ってくる人の気配もあったけど、同じコンパートメントではなかった。そういえば実は、初日にヤンコ(やり手で気のいい青年)と乗り合わせて以来、おれたちのコンパートメントには誰も乗ってきていない。
乗車初日からだらだらと過ごしてきたが、この日は格別の怠惰で、記憶にあるのは食べ物のことばかり。
最後の夜。祝盃ということで、同行者とビールやウォッカを飲んだ。なんの祝盃なのかはよくわからないが、けっこう酔っ払った。去り際、ウェイターのマクシムにおれたちは明日の朝、イルクーツクで降りるのだ。食堂車もこれで最後だと説明した。伝わったのか定かではないが、マクシムは親指を立てて、グッドラック的なことを言っていた。おそらく。
翌朝。定刻通りに到着したイルクーツクの駅舎にデカい温度計がついていたのがちょっと面白かった。
そこは普通、時計のポジションだと思うけど、常軌を逸して寒い街なんだぞという誇りのように見受けた。