私は枝野氏は賞味期限切れだと申し上げました。選挙を踏まえて福山哲郎幹事長が辞意を表明したもののその時、枝野氏はまだやる気でした。が、すぐにその強気の姿勢は崩れ去るようになり、11月2日に何かを発表するとしました。直観的に辞めるとみていました。
「枝野氏の敗因は何か」ですが今回の選挙だけを見れば共産党を含む野党との共闘が祟ったということになるのですが、ここに至るまでの道のりで枝野氏は勘違いを犯していました。それはビジネス目線だとよくわかるかと思います。
枝野氏が立憲民主党を立ち上げたのは2017年。当時を思い出してみましょう。旧民主党の流れを受けた民進党の代表は前原誠司氏。そして9月の衆議院選挙直前に前原氏は小池百合子氏率いる希望の党への合流を決めます。が、小池氏はリベラルや左派を「排除する」という強い姿勢を示し、民進党は瓦解します。そこで行き先を失った議員の受け皿として枝野氏が立ち上げた立憲民主党が機能し始めます。
その点では小池百合子氏のあの発言がなければ枝野氏の立憲民主党はなかったのかもしれません。偶然の産物でありますが、歴史とはこうやって作られていくのでしょう。
さて、枝野氏はコアな支持層を梃にどんどん議員数を増やします。18年には旧国民民主党との共同会派を結成し、代表選では国民出身の泉健太氏との選挙に勝ち、頑強な枝野体制が生まれます。ただ、枝野氏はここでロジックスの過ちを犯したのです。
政治は数の勝負
こう考えたわけです。「たった一人の党から野党第一党、そして100人を超える野党に成長へ」であります。枝野氏の成長理論は野党共闘という形で共産党までも巻き込む勝負に出ます。多分ですが、枝野氏は日本に二大政党時代を持ち込めばあとは世論の後押しで再度、自分たちで政権奪取できるだろうと考えたはずです。
ではビジネスの論理と照らし合わせると何が違ったのでしょうか?
枝野氏はビジネスでいう売り上げ至上主義だったのです。数を増やせば市場占有率が上がり、いつかは自分たちが一番になる、と。ならば売り上げを上げるならその中に毒だろうが劇薬だろうが何が混じっていても構わん、という最終戦争論理になっているのです。その時点でこのゲームは詰んでいます。
ビジネスに於いて商品にクオリティがついてこないと「もう二度と買わない」と言われます。「奥さん、これすごくいいわよ」という口コミがあれば勝手に売れるようになります。つまり、数を先に考えるのではなく、質を上げ、自然とそれが選ばれるようにしなくてはいけなかったのです。
が、枝野氏は今回の選挙戦もライバル会社の製品をこき下ろす一方でした。ではお宅の製品は?と言われて政策を作ります。これが「1億総中流社会復活を」でした。自民が令和版所得倍増と言っていたのでそれに対抗したわけですが、キリンビールとアサヒビールのシェア戦争ではないのですから、頑強な自民の岩盤を崩すには自分たちがクラフトビール、いや、フレーバー付きアルコール炭酸飲料という全く違う切り口で攻めるぐらいの工夫が必要だったのです。
政治は数の論理か、といえば私は数は後からついてくるものだと思っています。今回の選挙でも各党の獲得議席数のみが大写しにされたのですが、そこに至る道のりは十分に検証されたとは言えません。事実、立民の敗北要因の一つは維新の大躍進でした。
落選した辻元清美氏がいみじくも維新はたかが地方政党、眼中になかったという趣旨のことを述べています。全体を見れば維新の30議席増は自民と立民が献上したものです。数の理論から言えば選挙前の立民109議席と共産の12議席を足した121議席が減るはずがないのに選挙後には合わせて106議席、その減少数は15議席なので共産党の議席がそっくり無くなった以上の衝撃だったのです。
ビジネスでいう買収失敗でその投資額が全部無くなったのと同じです。これでは、企業なら社長は引責辞任でしょう。枝野氏の退任はこう見れば当然のことだったともいえるのです。
野党はもっとしっかりしてもらわねば困ります。攻め方が甘く、過去のやり方に固執しすぎています。切り口を変え、野党として求められるものをしっかり見据えて与党を大いに刺激してもらいたいものです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年11月3日の記事より転載させていただきました。