7月半ば、筆者は新型コロナウィルスに感染した。
マスク、手洗い、うがいはもちろん、密すぎるところには行かないなど自分なりに対策はきちんとしていたつもりだ。
だが、仕事もあり、ずっと家に引きこもっていたかといえば明らかにNOで、知人のお店や潰れてほしくない飲食店には顔を出していた。「なんとなく自分はかからないだろう」とたかをくくっていた。
結局、感染。苦しんだ。
全国で緊急事態宣言が解除され、10月24日には東京都の感染者数が今年最小の19人となるなど状況は改善に向かっている。25日からは都内で認証店の時短要請が解除された。賑わいは戻りつつある。
でも、油断しないで。
コロナ感染とその後の視線に苦しんだ筆者は心からそう伝えたい。感染者を1人でも減らすために自分の経験を綴りたいと思う。
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真夏なのに身震いするほど寒い
これまで友人や仕事関係者など、周囲にコロナ感染経験者は数人いたが、筆者自身が濃厚接触者になったことはなかった。ライターなどの仕事柄、人と接することも多いため、念のためのPCR検査はしつこいほど受けていた。去年は10回近く受けただろう。
インフルエンザにもかかったこともなく、ここ数年高熱も出ていない。それが7月某日、起きた瞬間にものすごい倦怠感と寒気に襲われた。クーラーの温度が低すぎて寒い、などではない。真夏なのに身震いするように寒いのだ。
「あれ、なんかちょっとおかしいのかも…」と感じ、体温計を測ると37.8℃。私の平熱は、35℃台。どうりで身体がキツイはずだ。とりあえず私は市販の解熱剤を飲んで、暖かくしてもう一度、眠りについた。翌日には熱が下がっていた。
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15分に1回、後頭部を鈍器で殴られたような痛みが…
打ち合わせの帰り道、「病院に行かなければ」と思う反面、迷いも生じる。もしコロナに感染していたら、SNSで公表しなければいけないだろう…。
仕事にも大きな影響が出る。その週はグラビアの撮影やライター業の記事締切、取材といくつも仕事が入っていて、どれも楽しみにしていた。なかには初めて一緒に仕事をする方もいて、休みたくなんてなかった。解熱剤を飲んで元気なフリをして仕事をこなせば大丈夫なんじゃないか? 実際に1回熱は下がったし…とバカげた考えが頭に浮かんだがすぐに消えた。
熱はどんどんあがり続け、いつの間にか39℃台。とにかく咳が止まらない。左の後頭部だけ15分に1回程度、鈍器で殴られたような痛みが続く。あまりの痛みに脳の病気ではないか? と疑ったほどだ。
PCR検査なんか受けなくても100%陽性だと思っていた。言葉でうまく表せないが、普通の風邪じゃない。インフルエンザ経験もない筆者としては体験したことのない辛さだった。感染者を増やし、この辛さを自分のせいで人に味わわせるなんてことは絶対にできないと思った。
「もう予約がいっぱいで検査できない」
すぐに東京都発熱相談センターに電話したところ、おそらく感染しているだろうからPCR検査を受けに行くように言われ、検査可能な病院を紹介してくれた。すぐ病院に連絡を入れるも、昼の時間帯だったため、繋がらない。その間、仕事の断りの連絡を入れ続けた。
指定された病院は「もう予約が一杯で」「今日は検査ができない」ために行けず、自分でネット検索をして行ける病院を探した。見つかった病院は自宅から徒歩15分。タクシーは気が引けて乗れず、歩いて向かったが、結局40分以上かかってしまった。少し歩いては咳が止まらず休憩する。やや貧血気味なのもありクラクラして、石段に腰かけてゼーゼーしていた。
病院について、先生はすぐ「多分陽性だね。かわいそうに」と検査を指示した。「濃厚接触者でもないし、なんで感染したか理由がわからないんです」と伝えると、「最近はそういう人がほとんどだ」と先生は答えた。
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保健所の救援物資で隣人に知られる恐怖
唾液でのPCR検査をし、翌日には「陽性」の結果が出た。保健所からの連絡を待つように言われたので、自宅で大量に購入しておいたポカリスエットを飲みグッタリしていた。とにかく頭が痛い。だるくてだるくて、トイレまでの距離は10メートルもなかったが、そこまでも歩きたくなくて極限まで我慢していた。
保健所からは19時に連絡がきた。状況を説明すると、「症状は重いほうだが入院するまででもない」らしい。ホテル療養もあるが、遠い地区のホテルになる可能性もあるとのこと。
1人暮らしなので、自宅療養でもし症状が急激に悪化したら…? など悪いことばかり考えてしまい、ホテル療養も考えた。だが、もうあまりの倦怠感に支度をする気力もなく自宅療養を選んだ。
東京都福祉保健局からの救援物資は2日後に届いた。朝9時前後だっただろうか、オートロック越しに、担当者が大きな声で「保健所のものです!救援物資をお持ちしました!」と言った。とてもありがたいが、声が大きすぎる。同じマンションの住人に聞かれているかもと思うと心配になった。
自宅の前におかれたダンボール3箱は助かるが、何も食べていない状態だったため、力が出ない。家の中に入れることを考えるだけで憂鬱だったが、早く部屋に入れないと同じ階の人を不安にさせてしまうのでは…と思い、頑張って運び入れた。その数時間後、酸素測定器であるパルスオキシメーターが届いた。
3日目に「正直、もう無理です」
療養3日間の記憶は曖昧だ。
38〜39℃の下がらない熱。ただひたすら咳をし、咳のしすぎでたまに胃液を吐いて、咳と頭痛で寝ても寝た気がしない、倦怠感と睡眠不足で疲労困憊のまま時間だけがすぎていった。
味覚、嗅覚は共にあったが、空腹感は皆無。とにかくしんどいが薬を飲むために身体がほっしたポカリスエットと水、ヨーグルトだけはとっていた。
3日目の夜中、全く改善されない症状に恐怖を感じ、保健所に電話をした。返答は「自分で調べてオンライン診療をしてくれる病院を探すように」。自力で探すも意識は朦朧とし、「このまま死ぬのか」と恐怖を抱いていると、保健所の別のスタッフから連絡が入った。
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「正直、もう無理です」と伝えると、すぐにオンライン診療可能な病院を手配してくれた。「すぐに対応できなくてごめんなさい。辛いですよね…でも頑張ってください!」と言ってくれた。この言葉に救われ、電話を切った30分後には病院からショートメールがきて、オンライン診療をしてもらった。それから2時間も経たないうちに新しい薬が届いた。
あの時、我慢していたら…
薬を変えて1日、びっくりするほど良くなった。熱は久々の37℃台。昨日までの頭痛が嘘のようになくなり、トイレに行くのも億劫ではなくなった。
薬を変えただけでこんなに変わるのか…と感激したが、あのままだったらどうなっていたんだろう…という恐怖も感じた。
病院の先生も保健所のスタッフも「急激に症状が悪くなるのは感染発覚後3日4日経ってからの場合が多い」と口にしていた。
もしあの時、我慢していたら? 保健所の人がオンライン診療の手配をしてくれなかったら? と思うとゾッとする。
ゆっくりと回復が進んでも、シャワーだけは本当にしんどかった。風呂場で貧血を起こしてしまった時は自分でもびっくりした。シャンプーで頭を泡立てたままの状態で息切れし、意識が遠のき座り込んだのだ。そのまま少し休憩しながら、何とか頭だけは洗ったが、30分はかかった。たかが頭を洗うだけなのにこんなにしんどいとは。いくら熱が下がってもまだ病人なんだな、と感じた。
保健所の指示に従い最後の3日間は解熱剤をやめ、熱があがらなかったので療養生活は最短の10日で終わることができた。最後に保健所の人が「お疲れ様でした、大変でしたね」と言ってくれたのがとても嬉しかった。久々に心から「お世話になりました」と言った。
AP
「吉沢さんが意識低いから感染したんすよ」
キツかったのは療養の間だけではない。回復後は”コロナにかかった者”という周囲の目にさらされることになる。
療養期間は終わっているが、「うつされる」という態度で接する人は多く、コロナに感染したことを責める人もいた。
仕事の断りのLINEを送った際に責められたのが1番精神的にキツかった。
「吉沢さんが意識低いからコロナに感染したんすよ。仕事に穴開けたことをもっと反省すべきだ」と言ってきた人がいる。彼は、「自分はコロナなったことはあるけれど、無症状だから仕事普通にしてたっすよ!」と笑い話にしていた。
彼が無症状で外出を続けたことで、筆者と同じかまたはそれ以上ひどい症状の陽性者を生んだかもしれないのに…。いや、もしかしたら重症化して最悪、死に至る人もいるかもしれない…。
コロナ感染の深刻さを知ったいま、仕事を休んだ私を責め続ける言葉には納得ができないし、陽性とわかっていながら無症状を理由に歩き回っている態度は許せないと思う。
もちろん「申し訳ない」と感じることも多くあった。詳細は書けないが、ある紙媒体の企画で、我ながら良い取材ができていた。良いネタは沢山あったし、体調が悪くとも原稿を書ければ問題ないと思っていた。
だが、コロナ陽性になったことでその仕事はなくなってしまった。私が公表せずとも「感染した」という事実があるかぎり大人の事情でどうしても…ということだった。担当編集に謝られ、私も謝り倒した。電話を切って久々に泣いた。何に対しての涙か自分でもわからなかったけれど、止まらなかった。