クルド人自治区で行われた「ある会議」の真相:何が語られたのか(倉持 正胤)

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グローバル・インテリジェンス・ユニット チーフ・アナリスト 倉持 正胤

今年(2021年)9月、イラク北部・クルド人自治区の拠点アルビルで米国のシンクタンクが主催する“ある会議”が行われた。

そこには、部族指導者を含む300人以上のイラク人が集まり、イラク政府に対して、イスラエルとの関係の正常化を求めた。また、イラクをスンニ派、シーア派、クルド人コミュニティの3つの州の連合として設立するよう求める声明も出された(参考)。

図表:アルビルでの会議
出典:Kurdpress

こうした動きは、イラクにおける各地域の宗派・民族を結びつけるある種の“まとまり”を想起させるが、今回の会議はこうした視点のみで理解することができない性格を帯びているという点を指摘しておきたい。つまり、この会議の目的について探っていく際に考慮しなければならないのがイラクとイスラエルとの関係である。

まず、注目される点は、アルビルの会議の主催者であるシンクタンクとは、米ニューヨークに拠点を置く平和コミュニケーションセンター(Center for Peace Communications:CPC)であり、イスラエルとアラブ諸国の関係正常化を提唱し、市民社会における組織の間での関係確立に取り組んでいる団体であるという点である。CPCの創設者ブラウデ(Joseph Braude)氏は、米国市民であるがイラク系ユダヤ人を起源に持つとされる。

イラクのクルディスタンはイスラエルと友好的な関係を維持してきたとされている。アラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコ、スーダンの4か国は昨年(2020年)、「アブラハム合意」と呼ばれるトランプ前政権時代の米国が主導したプロセスでイスラエルとの関係を正常化することに合意したことを踏まえて、アルビルの会議に出席したサハル・アル・タイ(Sahar al-Tai)博士は「我々はアブラハム合意への統合を要求する。我々はイスラエルとの正常な関係を望んでいる」との声明を発表した(参考)。

イスラエルが1948年に設立された後、イラクは残されたユダヤ人を迫害し始め、イラクのユダヤ人を公務員から大量に解雇し、スパイ容疑で逮捕、処刑したとされている。1950年から1952年の間に、10万人以上のイラク系ユダヤ人がイスラエルに移住し、さらに数十年にわたる抑圧と戦争によって移住へと駆り立てられ、残されたユダヤ人はほんの一握りとみられている。

このため、バグダードのイラク政府にとってイスラエルは中東戦争を戦ってきたこともあり、良好な関係を保ってきたとはいえない相手である。イラクの法律は、イスラエル人との接触を維持している市民に厳しい罰則を科しており、何十年もの間、「シオニスト組織」や「シオニストの価値観」を促進することは、刑法が2010年に改正されて終身刑に制限されるまでは死刑とされてきた。イラク政府はアルビルの会議後の声明で、この会議を「違法な会合」として却下し、会議の国交正常化の要請に対する強い拒否の意を示している(参考)。

ここで考えられるのは、バグダードのイラク政府とその他の「クルディスタン」といった親イスラエル勢力という対立の構図である。イスラエルの目下のところの関心事は、米国とイランが今後協議を続けて歩み寄ることになれば、自らが劣勢となるのではないかという危惧ではないだろうか。したがって、イランと米国の接近を避けるためには、両者を離反させる動きに出る動機を有しているものと推察される。そこで、「クルディスタン」との接触を通じてイラクに対してイスラエルとの関係正常化を促し、イランの影響力が強いとされているバグダードのイラク政府に対してある種の揺さぶりをかけたものとも考えられるのである。実際に、クルディスタンの指導者たちは何十年にもわたってイスラエルを繰り返し訪問してきたとされている(参考)。

欧米においては米国防総省の方針を公式に反映していないものの、北大西洋条約機構(NATO)の将校の訓練プログラムで使用されている「新しい中東図(The New Middle East)」というマップが存在する。混乱に乗じ中東の地図の「書き換え」が行われる可能性がイラクの内部にも存在していると、アルビルの会議の主張を通して推測できるのではないだろうか。

図表:「新しい中東(The New Middle East)」
出典:Global Research

倉持 正胤
株式会社 原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
青山学院大学大学院国際政治経済学研究科・国際政治学専攻修士課程修了。民放テレビ報道局にて国際ニュース部門、デジタルメディア編集などを担当した後、2021年8月より現職。