Wild Thing!
先の見えないコロナ禍で僕たちの心は鬱屈に支配されている。そこに一陣のハッピーでピースな風を吹き込んだのがマリトッツォだ。クリームがねっぷりと押し込まれたまっるいフォルム、かわいい、おいしそう、何よりも思いっきりミット目がけて投げ込みたくなるではないか。
9回裏、絶対絶命のピンチ。熱気でむせ返るスタジアム、大歓声の中、ゆっくりと歩いてマウンドへ向かう。サインはもちろんマリトッツォだ。
丸い、白い、投げたい!
突如、インターネット上で丸いものをそのまま丸いと言ってたまるかみたいな情熱的なワードが飛び交った。イタリア発祥の菓子「マリトッツォ」である。
起源は古代ローマ時代にまで遡るともいわれ、ブリオッシュとよばれる生地に窒息しそうなほど生クリームを詰め込んだ菓子である。
昨年、福岡の人気ベーカリーで販売されてから瞬く間にムーブメントを巻き起こし、全国各地のパン屋やカフェ、大手コンビニチェーンでも次々と販売開始、多種多様なマリトッツォが百花繚乱のごとくインターネットメディアの特集ページを飾った。
そんな状況を見ながら私はこのマッシブなスイーツにある思いを抱いていた。
「投げやすそうだな」
いい感じのころんとした丸み、指のかかりもよさそうだ。草原でマリトッツォを投げ、受ける。それはこのニューノーマルな時代において新しいコミュニケーションが生まれる事を意味するのではないか。もう投げるしかない。
野球に関してずぶの素人の私が、メジャーリーグで投打に活躍する大谷選手に続いて、投手とマリトッツォの二刀流を達成するのだ。
投げトッツォを作ろう
もういいおっさんなので、本物のマリトッツォをぶん投げてクリームを撒き散らし、カメラに向かって逆ピースする迷惑系ライターに転生する気はさらさらなくて、じゃあどうするんだというと、丸くて投げやすく、食べ物をそまつにしない雑貨マリトッツォなるものを作り、それを投げようと考えたのである。じつにファンタスティコですね。
マリトッツォを投げるにふさわしい精神性を研ぎ澄ますべく、仏像を彫る宮本武蔵のように一心不乱に削り出す。
まるっとさせたらアクリル絵の具で着色。
絵の具が乾いたら木工用ボンドを塗りたくりコーティング。
だいぶマリトナイズされてきたが、やはりマリトッツォをマリトッツォたらしめているのはあのアルプスの雪壁のような重厚にして純白のクリーム層である。インターネットによればシリコンコーキングがそれっぽくていいらしい。
フィールド・オブ・マリトッツォドリームス!
長い雨があがり、何かが始まる新学期の9月の日差しを思い出させるような晴天に恵まれた。人気の少ない朝の多摩川の河川敷でレジャーシートを広げマリトッツォを取り出し、グローブをはめた。食と運動がないまぜになった秋の遠足である。
グローブを付けてキャッチボールなんて何年ぶりだろう、そうだ、15年前にめちゃめちゃバックスピンがかかったファールフライを捕球しようとして突き指し、中指の第一関節付近を骨折して以来だ。
折れた箇所を固定するために指にワイヤーを埋め込む手術をして、中指から2本のワイヤーが伸びているのをぽかんと見つめていたら執刀医に「どうです、シザーハンズみたいでしょう」と言われたのだった。
もう完全に物を投げる動きのメカニズムを体が忘れている。
回転しながら青空に弧を描くマリトッツォは背中合わせにある正気と狂気がくるくるとひっくり返る今の状況を象徴しているようだった。
投げながらじりじりと距離をつめる。届かないのだ。筋力はすっかり衰え、四十肩が痛い。
たがいの心が寄り添い、負担の少ないマリトッツォ投げの最適距離を模索する。ソーシャルディスタンスにはなかった濃密なディスタンスである。
徐々に投げ方を思い出し、頭の悪いボラギノールみたいな写真をいっぱい撮って体も暖まった。いよいよマリトッツォをキャッチャーが構えたミットに投げ込む時が来た。
9回裏2死満塁フルカウント、キャッチャー藤原のサインはマリトッツォ。目を閉じると地響きのような大歓声、と思いきや田園都市線の走行音が聞こえる。
記念すべきウィニングマリトッツォをスローモーションでとらえた。
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ウワー!
ランナーが思わず気を利かせて拾いに行きそうな大暴投でゲームセット、だがここはいったん時を戻して再チャレンジしよう。ふたたび9回裏2死満塁フルカウント、サインはマリトッツォ。
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ラストの哀愁がたまらないパスボール。
私のフィールド・オブ・マリトッツォドリームスは惨敗に終わった。しかし、この国で使える自由を目いっぱい行使してマリトッツォを投げた事は、人生というスケールで見れば完全に勝利といえるのではないか。
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(おまけ)GoProを交換しながら楽しそうにマリトッツォを投げあうだけの動画をどうぞ。
かの寺山修司は「終戦後、私たちがお互いに信頼を恢復したのは、どんな歴史書でも、政治家の配慮でもなくて、まさにこのキャッチボールのおかげだったのではないだろうか」と述べていた。
※「両手いっぱいの言葉」(寺山修司・新潮文庫)より一部引用
我々はインスタに頼る事なく、物理的に相手めがけて投げ込む事でマリトッツォをシェアした。コロナ禍の後に分断された我々を再びつなぎ止めるのは皆の間を回転しながら飛ぶマリトッツォかもしれない。
【たまには告知です!】
小説家、太田靖久企画編集のインディペンデント文芸ZINE
『ODD ZINE』最新号に参加しています。
特集は<作家たちの手書きメモ>、超豪華なメンバーにちゃっかりまじってDPZ記事構想時の恥ずかしいメモ書きを寄稿しています。
『ODD ZINE vol.7』
9月25日発売予定/A5サイズ/48ページ/販売価格:1000円(税込)
<寄稿者>
青木淳悟(小説家)、伊藤健史(ライター)、太田靖久(小説家)、小山田浩子(小説家)、金川晋吾(写真家)、川口好美(文芸評論家)、鴻池留衣(小説家)、高瀬隼子(小説家)、高山羽根子(小説家)、滝口悠生(小説家)、町屋良平(小説家)、水原涼(小説家)
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太田靖久note:https://note.com/kawataro_o/n/ndc8b3559539c