花束を持って日常生活を送ると人生は華やかになる

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花束というものがある。花束をプレゼントするのはロマンチックだし、なんでもない日でも花束を買って部屋に飾れば、部屋が華やかになる。花の持つ力だ。それが束ねられているので、その力は倍の倍の倍、とどんどんと増す。華やかの権化なのだ。

つまり我々の生活を華やかにしようと思えば花束なのだ。花束なき華やかは考えられないのだ。ただ歩いているだけでは華やかではないけれど、花束を持てば華やか。世界を彩るには花束しかないのだ。

1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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人生を彩り華やかに

華やかな毎日と、そうではない毎日ならば、誰もが華やかな毎日を望むのではないだろうか。世界は色鮮やかで、自分自身も華やかで、幸せそうな感じが漂う。そのような毎日を求めているのだ。 

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華やかではない人

上記の写真は私だ。ここに華やかさを感じるだろうか。私は感じない。自分で自分を華やかではないと書くのは複雑だけれど、事実として華やかではないのだ。彼は色を持ち合わせていない。華やかの真逆と言ってもいい。

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そこで花束です!

人生を華やかにする方法はないかと考えた。私はとても考えた。事業に成功してタワマンに住むというのも華やかだろう。しかし、それは現実的ではない。私の能力ではそれは非現実的なのだ。でも、華やかにしたい。そこで辿り着いたのが「花束」でした。

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華やかでしょ!

花束を超える華やかにはなかなか出会えない。これを持つだけで人は華やかになれるのだ。ひまわりもあれば、ユリもある。華やかさがなかった私がこれを持つだけで、世界は彩られるのだ。写真を見れば一目瞭然だ。

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花束のない私、、、
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花束のある私!

華やかさのパレード

写真を見たら誰もが花束がある方を華やかと思うはずだ。どちらも駅前の写真で寸分違わず同じ状況なのに、花束を持つだけで華やかになる。これが花の力。全てで通用する。花束で華やかになるのだ。 

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花束のない状況、、、
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華やか!!!

花束を持っている方がやはり華やかだ。何かドラマを感じる。これからロマンチックなことが起きるのではないか、と第三者が見ても思うはずだ。そう、花束を持っていればね。

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水分補給も、
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花束があればオシャレ!

水分を補給するという同じ状況なのに、花束がある方が圧倒的にオシャレである。華やかでありオシャレなのだ。花束の持つ力が持っている人にも伝わり、オシャレで華やかになるのだ。これを覚えてほしい。

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同じく、
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水分補給!
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華やかで涼しい!

花束を持っている方が幸せを感じる。ただ水分を補給するだけではなく、そこに幸せがあるのだ。涼しくすら感じる。あきらかに花束を持った写真の方が、「涼しいだろう」と第三者は思う、クーラーありそうだし。しかしほぼ同じ場所なのだ。これが花の力だ。パワーだ。

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ブランコも、
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花束で華やか!

場所が微妙に違うんではないか、という意見がありそうだったので、ブランコという同じ状況で写真を撮った。結果はやはり変わらない。花束を持っている方がオシャレであり、幸せそうであり、華やかなのだ。これで花束の力を証明できたのではないだろうか。

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カッコいいしね!

花束の欠点

花束の力がここまでで痛いくらいにわかったと思う。我々に足りなかったのは花束なのだ。服を着て、バッグを持って、花束を持つ。これが我々の正しい外出のファッション。花束がないから華やかにならなかったのだ。 

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問題もあります!
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ここがあつい!

花束を抱える際に腕が花束のビニール的な部分に触れるのだけれど、そこがあつい。そこだけ集中的に汗をかく気がする。華やかさがあるので、そのくらい些細な問題ではあるけれど、あえてあげれば欠点かもしれない。

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爪先が汚い!

爪先がとても汚かった。しかし、これは花束とは全く関係ない。花束を買う前に畑作業をしていたためだ。花束の欠点があまりにもないので苦し紛れに書いてみた。いや、この花束5000円した。5000円でこのボリュームは正直安いけれど、5000円は私には高い。それくらいだろうか。

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花束のパワーですな!

引き続き花束で華やか

ここまででほぼ花束に欠点はなく、ただただ華やかな毎日になるということがわかったと思う。引き続きそれを検証していきたい。同じ状況でも花束を持つだけで、我々の毎日は色鮮やかで華やかになるのだ。 

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川でもやはり、
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花束を持つと華やか!

同じように川にいるのだ。しかし、花束を持つと華やかだ。何より楽しそうに感じる。同じ川なのに花束を持つだけでこうも変わる。それをわかって欲しいのだ。違いは花束の有無だけなのだ。

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華やかが流れていくよ!

場所は川だけれど、やっていることが違うではないか、という意見もあるだろう。それは無視しよう。その疑問は却下だ。しかし、あえて語るとすれば、花束が我々の行動を変えるということだ。つまり結局は花束の有無だけが違うということになる。

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寝ているだけでも、
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こうも違う!

寝転がっているだけなのに、花束を持つと急にアイドルになった気がしてくる。花束があろうがなかろうが、寝転ぶという行為に変わりはないのに、花束があると華やかになる。花束こそ全てと言ってもいいかもしれない。

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花束が全てなのです!

花のある生活を!

花束が我々の生活に華やかさを与える。そういうことなのだ。同じことをしていても印象が全然違った。花束が我々の行動すら変えてしまう。そのような力を持っているのだ。問題は花束代5000円だけど、月に数回とか「華やかな日」を決めても良いかもしれない。

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撮影後は袋に入れて大切に持ち帰りました! 5000円もしたから!

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