フジロックが始まった。とにかく、無事を祈るのみである。クラスターなど起きませんように。これでイベントが終了しませんように。
このエントリーにまとめたが、私は参加を見送った。チケットの払い戻しをし、ホテルもキャンセルした(特別なシーズンとのことで、キャンセル料は全額だった 1人で1泊約2万円な)。テレビ出演、オープンキャンパスなどと重なり、感染リスク的にも体力的にも厳しいと感じたからだ。世間の目を気にしたわけではない。もっとも、教育者として、論者としてどうあるべきかという点は考えた。
五輪にしろ、甲子園にしろ、さらには学校の行事にしろ、何かと賛否を呼ぶわけだが。単なる罵倒の連鎖ではなく。開催する論理、反対する論理をそれぞれより明確に語るべきではないか。
五輪開催直前に日経に掲載された一橋大学の坂上康博教授のこのインタビューが秀逸だった。
仮に冷めた世論にぬくもりを残すものがあるとすれば、選手のありのままの物語ではないか。コロナ禍で参加する葛藤や苦難、国や地域ごとの背景事情……。多様性を重んじる大会において、選手が率直な思いを発信できる機会を主催する側は積極的に設けるべきだ。
もっとも、五輪に関する選手の物語は「ありのまま」とはいかず。どうしてもお涙頂戴の話、美談化が行われ、政治的に利用されてしまった感もあるのだが。
フジロックに関してもそうで。アーティスト、ファン、関係者、それぞれが「ありのままの物語」を発信するべきだ。コロナとどう向き合ってきたのか。音楽生活がどう変化したのか。音楽がなくなる不安とどう向き合ったのかなどだ。「とはいえ参加したい」「正直、迷った」など赤裸々な気持ちを発信してほしい。
“NO MUSIC,NO LIFE”というTOWER RECORDのメッセージは秀逸で。誰もが、よく考えずに思わず使ってしまうのだが。いざ音楽がなくなるとどうなるか。一方、音楽でコロナ感染が広がり、生命が失われるのはどうなのか。
このあたり、ぜひ、私が担当したこのインタビュウーを読んでほしい。そこには、アーティストの苦悩がある。よく、コロナでライブが減り、アーティストの生活が・・・という話があるが、それだけではない。ライブとはエネルギーの交換なのだ。
フジロックといえば、トークイベントに毎年、参加している津田大介さんと・・・。
いまをときめく、斎藤幸平さんが、フジロックを直前キャンセルした。
支持するかどうかでいうと、支持する。直前とはいえ、感染拡大などの状況をみて意思決定したということだろう。ただ、なぜ直前になったのか。もっと早く、意思表示するべきではないのか。感染拡大、というか爆発は明らかだったわけで。出演する理由、なぜ直前に辞退したのかをより丁寧に説明するべきではないか。売れっ子で、誰でも知っている論者がフジロック開催を支持しているようにもみえ。彼らを信じてチケットを買った人に対する説明は十分か。最適の時期だったのか。疑問は残る。
いずれにせよ、フジロックに関わった人はぜひ、「ありのままの物語」を発信してほしい。夏フェスを、音楽を終わらせないために、だ。
結局、私は自宅でYou Tubeで配信をみることにする。
ただ、それすらも、心から楽しめるだろうか。
観たいアーティストだらけだし、音楽を止めたくはない。
いずれにせよ、この感染症とどう向き合うか。このケースをもとに考えたい。