同じ感覚の人いる? 剥製恐怖、海洋恐怖、地図恐怖、巨像恐怖…ウソみたいだけど本人は本当に怖い対象あれこれ

ロケットニュース24


動物の剥製(はくせい)が怖い。

夜に動きそう、かわいそうといった一般的な感覚ではなく、「おぞましい」というレベルで嫌悪感がある。

調べてみると、少ないながらも同じ感覚をもつ人々を発見。さらに海洋恐怖、森林恐怖など、興味深い現象を見つけた。

これは「道徳的に剥製が許せない」といった善悪の話ではなく、人から見たらウソみたいなものに恐怖を感じてしまうという心の不思議の話なので、剥製師や愛好家のみなさんに意見する主旨はまったくない。


・剥製に出会うとどうなるか

自然博物館などにある哺乳類の剥製や、よく応接室に飾られている鳥の剥製。

「あそこに剥製がある!」と気づいた瞬間、全身の毛がぞわっと逆立ち、心臓が止まるような衝撃を受ける。

「近づきたくない」というのが本音だが、見学順路になっているなど選択の余地がないときもある。

そんなときは心をザワザワさせながら、息を止めて足早に通り過ぎる。息を止めるのは緊張のせいもあるが、なんとなく「同じ空気を吸いたくない」からだ。全身をこわばらせ、皮膚はピリピリと過敏になっている。

気持ちの準備をせずに部屋に入り、不意打ちのように発見したりすると、もう卒倒しそうである。大人としての自制心があるので声を出したりはしないが、心の中では悲鳴をあげている。

より恐怖を増幅するのが「展示室など閉鎖的な空間にある」「大量にある」「ホコリっぽく色あせている」といったシチュエーション。


これまでに経験はないが、剥製を「触って」と言われるのが一番恐怖だと思う。とりわけクジャクの尾や、ライオンのたてがみなど、ファサァッとした部分が苦手。そこに手を触れることを想像しただけで……泡を吹きそう。

かつて生命だったものの残滓(ざんし)。排水溝に詰まった髪の毛が気持ち悪いのと少し似ているかもしれない。


・原因は不明

幼少期に怖い経験をした、といった原因はとくに思い当たらない。生きている動物は大好きで、爬虫類も両生類もOKだ。

もっとも古い記憶をさかのぼると、友人の家にあった「伊勢海老の額縁」がどうにも気味悪かった。縁起物だと思うのだが、外殻をそのまま壁掛けに仕立ててある飾り物だ。

似たものとして、神社などに飾られている古いウミガメの甲羅や、理科室にあるスズメバチの巣もダメ。

ロボットやCGなど人間に似せたものが、ある一定のラインを超えてリアルになると逆に気持ち悪く感じられるという「不気味の谷」現象がある。

この理論で剥製恐怖を説明できる例もあるようだが、筆者の場合は「精巧かどうか」は関係ないので、ちょっと違う気がする。


理由を説明するのは難しいのだが、「かつて命だったもの」を土に返さずに保存する、飾るといったことに生理的な忌避感があるのだと思う。

人間の場合は血なまぐさいものも割と大丈夫。それはたぶん「人間というのはそもそも変態的な生き物だ」という感覚があるから。それに対して動物を保存加工することには強い抵抗がある。


一方で剥製を撮影した写真、骨格標本、毛皮、皮革製品、アニマルヘッドなどになれば比較的平気。そこまでいくともう「加工品」「人工物」に近く、魂が残っている感じがしないため。加工の程度が大きいからだろうと思っている。

信心深い性格ではなく、死後の世界などにも懐疑的な筆者だが、この感覚は自分でも理解が難しい。うーむ。

インターネットで調べてみると一定数の同志が見つかる。「剥製を写した写真もダメ」「模型や人形もダメ」「骨格標本もダメ」など、恐怖の度合いは人によってグラデーションがある。


・ほかにもこんな恐怖症

ネットで知って「これ昔あった!」と記憶がよみがえった “海洋恐怖”。どこまでも続く海や湖、深海、大きな波、巨大海洋生物などに対する恐怖。

興味深いのが、泳ぎの得手不得手は関係なさそうなこと、そして現実の海よりも「地図上の海」が苦手だという人が一定数いること。地図をスクロールして、海が視界に入ると閉じてしまうのだとか。

溺れるのが怖いというような現実的な恐怖ではなく、得体の知れない、底が見通せない大量の水に対する根源的な恐怖なのだと思う。

筆者も子どもの頃、水族館が怖かった記憶がある。薄暗い館内で、もしガラスが割れて無数の魚がこちらに飛び出してきたら……。

また、鯉の養殖場のような、足元に水を見ながら橋桁(はしげた)を歩く場所。

実際には子どもでも足がつくような深さだったとは思うが、底が見通せない黒い水、そしてパクパクと口を開けて筆者が落下するのを待っているような鯉……。

しかし筆者の場合、海洋恐怖は大人になるにつれて軽減した。ごくたまーに「水面下に影が見える巨大生物」のような空想にゾッとすることはあるが、日常生活に支障はない。

似たものに “森林恐怖” というのもある。樹木が密集しているところへの恐怖や、森で迷子になることへの極度の不安。

大地を航空写真のように俯瞰(ふかん)するのが怖く、またはなにもない空間が広がっているのが怖く、地図が見られないという “地図恐怖”

見上げるような大きな建造物が怖いという “巨像恐怖”。巨像と名はついているが、大仏のような人型の像だけではなく、大きなビル、オブジェ、鯉のぼりを挙げる人も。


そういえば、とある博物館で天井の高いホールのような展示室に入り、何気なく振り向いた筆者。

自分がいま通ってきた入口の上部に、縦横5メートルはありそうな巨大な和凧がかかっているのを発見したとき。描かれているのは武者絵で、大きな顔がこちらを見ている!

もう心臓が口から飛び出て叫び声をあげるかと思った。表向きは筆者も平然としていたが、同じ経験をしている人は実は多いんじゃないだろうか。


・あなたにもある?

ここでは便宜的に「恐怖症」と呼んでいるが、どれも正式に医学的診断が確立しているものではない。

ただし、本来は危険でも脅威でもないものに逃走反応が生じるという “脳のエラー” が恐怖症だとすれば、対象を選ばず起こりうると思う。

それが日常生活に支障をきたすほど「頻繁に起きる」「激しく反応が起きる」なら治療対象になるだろう。

筆者の場合、普通に生きていれば剥製と出くわす機会はほとんどなく、また「目をそらすなど、我慢すればやり過ごせる」レベルなので、なんとかなっている。

あなたには当てはまるものがあるだろうか。


執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.

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