SNSは、そこに参加している個々のユーザーの資質が、そのサービスの評価にダイレクトにつながる。どんなに優れたプラットフォームでも、コンテンツはそれを提供するユーザーに依存するからだ。迷走するTwitterに代替するSNSとして、Meta(メタ)のThreadsが注目されてはいるが、エンドユーザーはこの新しいSNSに、本当にTwitterクローンを求めているのだろうか。
コミュニケーションと情報収集
個人的にSNSにそう熱心なユーザーではない。1日何十ものメッセージを投稿するどころか、最近では、1カ月の書き込みが数回といったところだろうか。
それでもTwitterとFacebookには目を通すようにしてきた。日常的に出会うことはなくても、いわゆる顔見知りの書き込みを読み、いいねをクリックしたり、内容的にサポートする情報提供ができるようならコメントしたりもする。リアルでの対面は数年していなくても、それだけで距離が縮まるような錯覚もできる。
特に、この数年のコロナ禍は、SNSでプレゼンスを維持できたと言ってもいい。リアルな出会いが少なく、ずっとSNSを通じてリアルな友人、知人、先輩、後輩、仲間、取引先、支援者などに、自分のプレゼンスを示してきた(つもり)だからだ。
その一方で、SNSは情報収集のための手段としても、ずいぶん重宝している。何しろ、そのほとんどがリアルタイムで提供される情報だ。地震で揺れたり、ゲリラ豪雨があったり、また、大きなサイレンが近隣で鳴り響いたようなときに、それなりのキーワードでTwitterを検索すると、状況を容易に把握できる。ある場所の桜開花や紅葉がどのくらい進んでいるかもすぐに分かる。Twitterは個人が自由に使えるつぶやきの拡声器だからだ。
Twitterにはトレンドを教える機能もあり、モバイルアプリでは、虫眼鏡のアイコンをクリックして検索モードに入ったときにトレンドタブで確認でき、世の中の流行ゴトをザッと把握するにも便利だ。でも、個人的にはあまりそれにはつられない。
Twitterアカウントは個人のみならず企業アカウントも多い。メディアも常に新しいニュースをTwitterメッセージとして発信している。死語となった「ネットサーフィン」では、めぼしいメディアサイトを自分でブックマークに登録しておき、それを順にたどったり、また、必要に応じてRSSフィードを取得して更新された情報を読んでいた。
Twitterにはリストと呼ばれる機能があって、フォローとは無関係に複数のアカウントを束ねておき、そのメッセージだけを時系列で読むことができる。ぼくは、「ニュース」というリストを作っていて、さっき見たら224個の企業/メディアアカウントが登録されていた。仕事場などでPCに向かっているときに、ディスプレイの隅っこでスルスルとスクロールしていくメッセージを見るのが好きだ。そのために欠かせないアプリがTweetDeckだった。
日課としてのMeta
毎日の暮らしの中で、FacebookとTwitterを読むのにそれなりの時間を使ってきた。といっても、ニュースのリストにあるメッセージを全部見るというのは不可能に近い。フォローしているすべてのアカウントのメッセージを全部読むというのも難しい。だから、一般的なアカウントのTwitterについてはもう1つ特別なリストを作ってある。これまたフォロー関係とは別に、発言を読み逃したくないアカウントを束ねてあって、日常的にはそこだけを読む。
これなら、全体のメッセージ数もさほどではない。1日に数度、ザッとタイムラインを見るだけで、気になるメッセージの全数を把握することができる。
Facebookについては、もうほとんどプラットフォームにおまかせだ。このSNSは、どこまで何を読んだかという概念が希薄なので、読み飽きたら、あるいは、別の用事が発生したらそこでおしまいにする。必然的に投稿自体も、あまり積極的ではない。
なんだかんだいって、Twitterに費やす時間が多くなってしまうのは、このSNSが互いの顔を見知った間柄と、一方的にこちらだけが知っている相手との中間にいる、素性はよく分からないけれどもイケているアカウントの存在が妙に心地よいからだ。ああ、これはパソコン通信でもそうだったなと数十年前を思い出す。
世に言うSNSはこの2つ以外にも、YouTubeをSNSだとする論調もあるし、Instagramこそ最高のSNSだという考え方もある。TikTokもすごいらしい。もちろんLINEも巨頭だがマルチデバイスを頑なに拒むので使い勝手は悪い。UXはとてもよくできているだけに残念だ。
若い世代の人たちは、何か知りたいことがあったらGoogleではなく、YouTubeやInstagramを開くのだそうで、もうテキストの時代ではないのかもしれないなと思ったりもする。でも、参照してほしいリンクを書き込めないメッセージってどうなんだろうと不満に思うのは、古い人間だからなのか。
個人的に、Instagramへの積極的な投稿もすることはない。ただ、InstagramはFacebookのMetaによるもので運営母体が同じだ。Facebookで過去にチェックインした場所に写真を添えたものが、Instagramに自動的に投稿されている。ずっと昔に連携したのを忘れていた。同じ運営母体ならではのサービス連携だ。
居心地のいい行きつけの飲み屋
そして、今、話題になっているThreadsだ。Facebook同様、Metaが運営母体だ。2023年7月5日23時にiOSアプリの配布が始まり、当初の予定の7月6日23時を前倒して早朝にサービスインしたそうだ。Androidアプリも提供が開始されたが、Webブラウザで読み書きができない。
自分自身でもサインアップしてみた。まだ、2日目だがひとこともつぶやいてはいない。ちなみにThreadsのアカウントを削除しようとすると、連携したInstagramのアカウントも一緒に削除されるそうなので注意が必要だ。
そういう意味では連携というよりも、Instagramの拡張サービスと考えるのが妥当だ。そのアプリを別にして別のサービスに見せかけるところがうまい。ぼくの場合は、先のFacebookからInstagramへのチェックイン情報連携と、Threadsサービス利用で、3サービスがつながっている。まさにMetaの思うつぼだ。
Threadsは、Twitterに似てはいるが、クローンのように見えてそうでもなさそうだし、何をエンドユーザーにさせたいのかまだ分からない。それに今の時点ではリスト的な機能もなくて代替になりそうにない。代替を要求するのも違うような気がするが、どうなっていくのだろう。場合によってはInstagramのユーザー層指向を大きく変容させる存在になる可能性もある。
いずれにしても、SNSを居心地のいい行きつけの飲み屋のように使うには、居心地としてのUXはもちろん、そこに集うメンバーが重要だ。Threadsは、サービスインから瞬く間に3,000万ユーザーを突破したそうだが、全員のことを把握できるはずもないし、タイムラインの中で目立っているのは、自分のTwitterのタイムラインでお馴染みのメンバーがほとんどだ。居心地のいい飲み屋の雇われ店長が変わって、新店長になったものの、ギクシャクした感じが出てきたので、常連が新規開店した別の店に移住した感じ。それが今のThreadsだ。
この先、Threadsをどう使っていけばいいのか。それは誰にも分からない。もしかしたら、本家のTwitterが以前のTwitterに戻る可能性だってある。だが、そのときThreadsは、もっと魅力的なサービスに成長しているかもしれない。
SNSは、テクノロジーとは無縁の要素がその魅力を構成する。さらには、大人の事情が「エコシステム」という名の思惑プラットフォームを構築する。集団心理的な面での言動行動も目立つ。それに流される一般大衆もたくさんいる。
だからこそTwitterは変わる
これはもうどうしようもない。
たとえば、今、Twitterの閲覧制限が話題になっている。未認証ユーザーの閲覧を1日あたり1,000メッセージまでとしたり、閲覧のためにはログインを必須とするといった制限だ。
Twitter側としては、そのことについて「ほんの一瞬でも、スピードアップのために速度を落とさなければならないこともあります」と説明している。要旨としては「プラットフォームからスパムやボットを除去するため」に告知なしで「プラットフォームに害を及ぼしているボットやその他の悪質な行為を働いている者を検出して排除」するためだという。AIモデル構築のためのスクレイピングの防止と、会話の操作を防止するのが目的だという。要するに、人が集めた貴重な集合知をタダで持っていくなということだ。
まあ、サービス事業者としては当然の言い分だ。だが、半日ほどTweetDeckで先のリスト「ニュース」をスクロールし続けているだけで制限に達してしまうのでは、ちょっとがっかりだ。読まないメッセージを取得するなと言われれば確かにそうだが悪気はない。
熱心なユーザーではなかったとしても、2009年からTwitterを使ってきて、それなりの愛着もある。このままサービスが終焉してしまうようなことがあってほしくはない。その期待に応えるべく、運営元はさまざまな方法でビジネスモデルを確立しようとしているのだろう。
過去に、アスキーネット(1997年終了)やNIFTY SERVE(2006年終了)、PC-VAN(2001年終了)といったサービスが、順次、終了していったころを思い出した。愛用したサービスたちだ。でも、あのころは、サービス代替をはるかに超えるほどの存在だったインターネットがおもしろすぎた。インターネットはサービスではなくメディアではあったが、それをサービスと勘違いしていたかもしれない。テクノロジーというのはそういうものだ。
来年の今頃は、こんな騒ぎがあったことも多くの人たちは忘れるだろう。ChatGPTのブームも記憶の彼方に追いやられる、きっと。
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