ペコちゃんのパッケージでおなじみ、あのミルキーに、高級版があるという。
「プレミアム生ミルキー」と呼ばれ、不二家の店舗のなかでも西洋菓子舗 不二家を冠したお店に並ぶそうだ。
なんでもその店では1995年に販売が終了したうずまきのキャラメル、ノースキャロライナの復刻版も扱っていると聞いた。
昭和30年ごろの復刻パッケージがはちゃめちゃのかわいさ
人形 不二家でプレミアム生ミルキーとノースキャロライナを買ってくる話の前に、ちょっとこれを見てほしい。
昭和30年代に販売されたミルキーのパッケージの復刻版だ。
楕円の動眼で目がきょろきょろ動くのも当時のままだというからめちゃくちゃに熱い。
先日、読者の方とお話する機会にめぐまれ、その際にお土産としていただいた。
喜び驚いて「これ、どうなさったんですか」とつい聞くと、「銀座の三越で見つけたんです」とのこと。
帰宅後、さっそく箱から出したミルキーを噛まないように用心しつつなめながら調べて知ったのが「西洋菓子舗 不二家」の存在だった。
100年を超える不二家の歴史を詰め込むことをコンセプトとした限定店舗で、2019年の3月に日本橋三越にオープン(その後日本橋三越のお店は終了)、現在は全国に6店舗あるという。
上で紹介した復刻パッケージや、渦巻きキャラメルの「ノースキャロライナ」といった懐かしい商品に加え、「プレミアム生ミルキー」など、なぬ? と思わせる商品を扱っているようだ。
生ミルキーは要冷蔵
ちょっとこれは放っておいてはいけないな!? と感性がわきたち、いさんで銀座三越のお店に行ってきた。
商品は順次入れ替えられているそうで前述の復刻パッケージのミルキーは行ったタイミングでは無かったが、目当てのプレミアム生ミルキーとノースキャロライナはまちがいなく並んでいる。
プレミアム生ミルキーは要冷蔵品で、保冷剤を入れて包んでくれた。
焼き魚が常温である程度耐えるいっぽう、刺身は断固要冷蔵である。「生」という言葉を、生ミルキーはただしく体現しているのだ。
保冷剤がとけるまえにいそいで帰宅、いきなり食べた。
やわらけ~~~!
お菓子のくせに、妙に口内で堅牢にふるまうのがミルキーだろう。
もったり甘いのに固いから、口のなかで徐々に溶かしていくのが楽しい。
プレミアム生ミルキーは、そんないつものミルキーと食感とはまったく違った。口に入れた瞬間からもうやわらかい。
くにゅっと舌と上あごでつぶすと、まちがいなくミルキーのとおりの味がした。
やわらかく濃厚でありながら、ミルキーという根本を間違えていない、味に、名のもとの正確性がある。
生ミルキーはフレーバー展開されている。私がおとずれた際には北海道産夕張メロンとあまおう苺があって、買ってきた。
うれしかったのは、ちゃんとチープさに片足を残す味だったところだ。メロンやいちごの味が、果実よりももっと、わかりやすいイメージ上の味に近い。
高級化しすぎない、ちょっとおもちゃのような味をちゃんとさせるところに求めるものを作る仕事を感じた。
1995年まで現役だったノースキャロライナ
復刻版のノースキャロライナも買ってきた。
実は私は、サイトで見た段階では記憶がちょっとあいまいだったのだ。
だが、お店に並んでいるのを見て息をのんだ。
これ、あった! あったよね!! ひとりで行ったのだから誰もいないのに、隣人の袖をつかんでゆするみたいな気持ちになった。
1995年にいったん終売になったものの再販だそう。私は1979年うまれだから、時代的には子ども時代を共に過ごしたお菓子のはずで、自宅にあった覚えはないが、おそらく友人宅で食べたりもらったりしたのだろう。思い出すわけだ。
一般的な懐かしさと、パーソナルな懐かしさ
先日、幼なじみの結婚式に出た。一緒に通っていた地元の幼稚園に、大人になってから教諭として就職した子だ。
式には私たちが当時お世話になって今も現役でお勤めの先生もいらっしゃるという。
名前はわかる、でもお顔を覚えていないな……と私は思ったのだけど、お会いして瞬間、声が出た「せ、先生!!!!」。
先生も「ちかこちゃん!!!!」と、かけよって手を取り合った。
覚えているかどうか分からない、でも見たら急にしびれるように思い出す。ノースキャロライナもそれだ。
これこそがリアルな懐かしさの反応だと思う。
最初に紹介した昭和30年のパッケージが現役だったのは私にとって生まれる前のこと。でも、デザインの質感などから、あらかじめの「懐かしさ」がある。
ノースキャロライナには、そうじゃない、ガチの懐かしさを感じることができた。
生ミルキーとノースキャロライナ、概念としての「話題」
西洋菓子舗 不二家には、不二家が工夫して出した商品がならぶ。こういうことは、ぼんやりしていると本当に知らずに暮らしてしまうものだ。
概念としての「話題」を具現化したようなお店だと私は感じて、となるとやっぱり知っている側にまわりたくなる。