もう一人の自分:驚愕するほど変わってしまった若者の生き様

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池袋にある日本最大級のアニメショップは10代、20代の人の聖域と言ったらよいでしょう。私は仕事の関係で行かざるを得ないのですが、ごった返す土日は避け、平日の早い時間に行くようにしています。それでも抵抗があるのは「見てはいけない世界」であるからでしょう。客の目線は完全にオタクであり、自分の世界に浸りきっています。

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探していたものが見つかった時、かつては「あっ(た)ー!」で呼吸は吐きながら声を上げたのですが、最近の女子は「はっ!!」と息を吸い込みます。これは私がカナダの販売フェアなどで現場に立っていてもかなりの確率でそのシーンに出くわします。当然、今回、東京のアニメショップでも10代ぐらいの女子が息を吸い込みながら嬉しそうな顔をしているところに出くわします。

この息を吸い込みながら驚きの表現をするのはなかなか慣れないと難しいのですが、たぶん、声を出さないようにしながら感情表現をしようとしているのではないか、と勝手に想像しています。

なぜ、若者はアニメに没入するのか、いろいろな切り口があるのだと思いますが、一つの見方に自分だけがそのマンガに没入できる物語があるのではないかと言う気がするのです。とくに隠れたヒットとなっているBL系にその世界を見ることができます。このアニメショップの片隅には美男子の写真集のコーナーがあります。(なぜか、美少女の写真集は一冊も置いていません。)ですが、何度行っても手に取る人は少ないように感じます。我が社のオタク系社員の解説ではそれを「リアルには興味がないから」と断じています。なるほど、リアルの写真では憧れになるけれど、自分を投影することはできません。しかし、アニメならそれは可能なのでしょう。

アバターにせよ、メタバースにせよ、そこにいるのは自分の代わりです。自分の推しキャラのアクリルスタンドを常にカバンに入れて食事をする時やお茶する時に一緒に写真を撮る行為は他人から見れば奇妙かもしれませんが、彼女たちにすればペットを連れている人たちの気持ちと何ら変わらないのでしょう。

なぜ、このような行動が生まれたのでしょうか?

現実の世界で実現できないけれどもう一人の自分にはそれを託せるのではないかと考えています。例えば社会に対して不満がある、なぜ、自分だけこんなに苦労しても楽になれないし、楽しくないのだろうと考えます。どうして彼女や彼氏ができないのか、会社の会議では自分の意見はなかなか言えないし、いろいろな作業を押し付けられるし、自分の行きたかったお店に行けば長蛇の列で暑いのに並びたくない、といった思い通りにならない日々の中、もう一人の自分ならそれが成し遂げられるのでしょう。

かつてのアニメヒーロー、ヒロインよりもっと現実に即した感じがあるように思うのです。

以前、若い人が会社に入っても偉く成りたがらないという話題を振りました。その背景は「責任をとりたくない」です。自分の上司が問題解決のために東奔西走し、汗をかきながら頭を下げているシーンを見て自分はああなりたくない、と強く思います。ならば一生ヒラでいいか、なのです。お金は欲しいけれどそこまでして欲しくはない、なのです。

これは北米の若い人の典型的パターンとも共通します。こちらの会社は人遣いは荒いし、最初のオリエンテーションはともかく、あとは自分で学んで、というスタイルだと途中で失敗もするし、嫌になってすぐに退職するケースは後を絶ちません。「自分の思っていた会社と違っていました」は北米のみならず、日本でも常に上位に入る退職理由です。

私がもう一つ着目するのはもう一人の自分を持つことでより自分だけの世界に没入しやすくなることでしょうか?自分のことを分かってくれるのはリアルの世界でも2-3人、あとバーチャルの自分だけ、だけど自分は幸せ、なぜなら誰からも私の生き方にいちゃもんをつけられることは無いから、です。一歩間違えば現実逃避なのですが、自分と意見や生き方が違う人はそれぐらい「ウザい」のでしょう。

これを我々のような成熟した世代が自分たちと比較して、批判してはいけないと考えています。これは今の人たちの価値観そのものであり、そういう変化を作り出したのは我々にも大いに原因があるのです。これを嘆かず、社会が受け入れてながらも社会の構造をどう作り上げていくのか、考えなくてはいけません。

今回東京にいて思ったことはこの暑さの中、まだマスクをした若者が多いということ。マスクは感染症対策もあるのでしょうが、マスクをすることで自分を社会から隠蔽したい心理があるようにも見えます。つまり自分の存在を社会にアピールせず、ひっそり自分だけの世界に浸るのです。

私が少子化問題はお金だけの問題ではないと再三申し上げているのは若者の生き様が我々からすれば驚愕するほど変わってしまったことにあるのです。彼氏、彼女はバーチャルで。そのうち、バーチャル結婚にバーチャル家族ができるかもしれません。案外これは冗談ではなく、本当に起こりそうな気がします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年6月30日の記事より転載させていただきました。