今はもうない場所に思いを馳せることってあると思う。もう二度と行くことはできない、不思議な店。
2018年11月末に閉店してしまった新代田の「中級ユーラシア料理 元祖日の丸軒」の話をしたい。
新代田の駅からすぐそばの、一見すると廃墟のような独特の店構えのレストラン。近くに住んでいた人ならば、記憶に残っているかもしれない。そこはとても不思議な店だった。
一風変わった店がインスタやネットで話題になって「バズる」のを見るたびに、この店のことをふと思い出す。
・不思議な内装、不思議な料理、不思議な店主
店主が独特の人で、客のほうがちょっぴり気を使うけど素敵なレストラン……それが日の丸軒だった。
その店主の名は通称ぺぺ・アンドレ……といっても、日本人の男性である。みんななぜか、ぺぺさんと呼んでいる。
ぺぺさんはマイペースというか、ちょっと変わった人で、普通のレストランのような接客を求める人はならば、怒ってしまうかもしれない。(そもそも外観が独特で入りにくいので「普通」を求めるお客さんは来なさそうだけど)
日の丸軒はレストランだが、食事に行くというより「ぺぺさんの世界にお邪魔しに行く」というのに近かったように思う。「クセが強い」という言葉で表現できるのかもしれない。けど、そのような簡単な言葉を使うには、ぺぺさんの世界は繊細だったように思う。
機嫌がいい日もあれば、機嫌があんまりよくなさそうな日もあったが、ぺぺさんとのやり取りもまた、どことなく楽しかった。ぺぺさんワールドの虜になった私と友人たちは、日の丸軒に何度か通った。
・謎のユーラシア料理
そもそも「中級ユーラシア料理」とはなんなのか。
ユーラシア大陸は、ヨーロッパとアジアを含んでいるので、多国籍料理みたいなものと考えればいいのか。とにかく他ではあまり食べたことがない独特の料理が出てきていた。
自由に注文してもいいと言われてはいたが、複数人でそれぞれ違うものを頼むとぺぺさんに叱られるときもあったので、いつも4000円くらいのコースを頼んでいた記憶がある。
出てくるのは「ターメイヤ」というエジプトのコロッケや、タコのトマト煮、シシカバブ、ナンピザ、生ハムのサラダ……。
ゆっくりと出てくるコース料理はけっこう量が多くて、毎回お腹いっぱいになっていた。インターネットの投稿を見ても、だいたいみな同じような料理を食べているので、これらが定番だったのだと思う。
それらは中級という言葉のとおり、高級料理ではないけど、食卓に普段あがるものとも違う。まさに「中級」としかいいようのない感じだった。
・独自の世界観を貫いた内装
そして、日の丸軒の内装は潜水艦のような、時が止まったお城のようで、ほとんど異空間だった。
独特の芸術的なセンスで作られたぺぺさんの館といってもいいと思う。
壁には横尾忠則の絵画や、天井桟敷のポスターが貼られていたり、アンティークのピアノが置いてあったり……。
そして、テーブルには、中世の馬の絵のテーブルクロスに、銀のスプーンやフォークのテーブルセットが丁寧に置かれていた。今でいえばインスタ映えするような空間でもあった。
ぺぺさんは料理の他にお人形やポーチのようなものも作っていて、それらの作品をお店で売っていた。なつかしい雰囲気の可愛さで「お人形たち、かわいいですね」と声をかけたところ、いたく喜んでお猿の人形を通じてぺぺさんが話してくれたこともある。
・不思議なバランスで守られていた場所
日の丸軒は「モヤさま」なんかで紹介されたこともあるようだが、ネットで大きく話題になるようなことはなかったと思う。
うまく説明するのが難しいが、日の丸軒は不思議なぺぺさんの世界を守りたい……と思っている人たちだけが集まっているような空間だった。そうやって微妙なバランスで守られている場所というのが、少なからずあると思う。
SNSやYouTubeで誰もが情報発信できるようになった今、街の変わった人やお店が面白半分で紹介されてしまうことがある。
日の丸軒には、いつも私達以外の客は1組くらいしかいなかったが、それでもぺぺさんはひどく忙しそうにしていた。もしSNSで話題になって、人がおおぜい押しかけたりしたら大変だっただろう。
閉店はショックだったが、ネットで話題になったお店が長蛇の列になっているのを見ると、日の丸軒が2018年に閉店したのはひょっとしたら幸運だったのかもしれないと思う時がある。
もう「バズる」こともないし、お店の記録を残しておきたいと思って、こうして記事に書いている。ぺぺさんは今もどこかで元気に暮らして、今も不思議な異国の料理と素敵な作品を作っているだろうか。
執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.