世界最古の日刊紙と北の「金星銀行」

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国営日刊紙「ウィーン新聞」(ヴィーナー・ツァイトゥング)が今年6月30日を最終発行日とし、紙の発行を止めてネットメディアに移行することになった。同紙関係者が27日、明らかにした。メディア関連法の改正に基づくものだ。

世界最古の現存する日刊紙「ウィーン新聞」(「ウィーン新聞」公式サイトから、2023年4月27日)

同紙は1703年に始まって2023年まで320年の歴史を有する「現在まで発行している世界最古の日刊紙」と受け取られてきた。320年間といえば、神童モーツァルトも楽聖ベートーヴェンも同新聞に目を通していただろうし、ハプスブルク王朝の栄枯盛衰を目撃してきたことになる。第1次、第2次の世界大戦を目撃し、1938年以降はヒトラーのナチス政権をフォローしたはずだ。

当方が1980年初頭にウィーンに赴任した時、「ウィーン新聞」の名前は知っていたが、申し訳ないが読むことはほとんどなかった。国連の記者室にはオーストリア代表紙プレッセ、ザルツブルガ―ナハリヒト、カトリック系週刊誌フルヒェなどが毎日、配達されてきたが、「ウィーン新聞」はなかった。官製新聞(Amtsblatt)ということで、オーストリア通信(APA)の記事がそのまま掲載されていたので、簡単にいえば、読んで面白いとか、関心を引くという記事はあまり無かった。前日の出来事を通信社主体の記事で埋めている。

ただし、当方が年に数回は「ウィーン新聞」を読んだり、キオスクで買ったのには、理由がある。欧州で唯一の北朝鮮の銀行「金星銀行」の会計報告書が掲載されるからだ。全ての金融機関や法人などはその会計報告を公表する義務がある。その掲載先は官製の「ウィーン新聞」だからだ。

「金星銀行」は現地では「ゴールデン・スター・バンク」と呼ばれていた。同銀行は1982年、ウィーンの一等地バーベンベルガー通りに開業した。ウィーン金融界は当時、北の銀行の開業は金融拠点のウィーンの評判を落とすとして反対が強かったが、社会党関係者の支援を受けてオープンした。同銀行はその後、ウィーン市7区カイザー通りに移転した。

同銀行は北朝鮮の商業銀行「大聖銀行」の頭取、崔秀吉氏が故金日成主席の意向を受けて、100%出資して開設した銀行だ。崔頭取は労働党中央委員会財政部長の肩書をもち、日朝国交正常化政府間交渉の際には、日本を頻繁に訪問、在日朝鮮人の資産の見積もりをしていた人物だ。

銀行が入った同ビル上階には北のスパイ工作機関「ゴールデン・ウイング」の事務所があった。要するに、「金星銀行」と「ゴールデン・ウイング」が入った同ビルは北朝鮮の欧州工作の主要拠点だったわけだ。

「金星銀行」は2004年6月末、中道保守派シュッセル政権時代に営業を閉じた、というより、閉じざるを得なくなった。シュッセル政権は財務省独立機関「金融市場監査」(FMA)に「金星銀行」の業務監視を実施させた。米国が不法経済活動の証拠をつかんだことを知った北側は、強制閉鎖に追い込まれる前に自主的に営業を停止した、というのが真相だ。「金星銀行」は米ドル紙幣偽造、麻薬密売、武器取引などの不法な活動の拠点だったこともあって、米中央情報局(CIA)が早くからマークしていた。

当方は数回、同銀行に入って、関係者と話したことがあるが、客はほとんどいない。2人の銀行員が窓口にいる。1人は現地雇いの社員で、部屋の奥には北朝鮮の銀行マンが事務仕事をしている、といった感じだった。「金星銀行」が通常の銀行業務をしていないことは外観からでも明らかだった。その「金星銀行」の活動を知る数少ない道は、毎年公表される会計報告書を入手することだった。だから、当方は普段は読まない「ウィーン新聞」を購入した。「金星銀行」の取材では「ウィーン新聞」は貴重な情報源だった。他のメディアは北朝鮮の銀行の年間会計報告書などを掲載しない。載るのは官製新聞だけだ。

そういう訳で、当方は、世界最古の日刊紙「ウィーン新聞」といえば北朝鮮唯一の欧州銀行「金星銀行」を思い出すのだ。その「金星銀行」は2004年6月に閉鎖された。「ウィーン新聞」は今年6月末にネットメディアに移行するが、その後、存続できるか否かは不確かだという。時代は確実に動いている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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