タマはちゃんと見つかっていた!・アニメにトラウマ回があるのには大切なわけがある ~「うちのタマ知りませんか? 」のことをちゃんと知りたい

デイリーポータルZ

「タマ&フレンズ」がことし40周年を迎えるそうだ。

はて……? と思った方も、「うちのタマ知りませんか?」と言えばわかってもらえるんじゃないか。迷い猫の貼り紙がモチーフの、あのキャラクターだ。

小学生のころブームのど真ん中にいた私も大好きで……実は、ずっと気になっていたことがあった。

40周年の節目に、ちゃんと知っておきたい。

日本一有名な迷い猫であるタマは……見つかったんですか? 

これがタマ。飼い主の岡本たけしくんがはり出した、迷い猫の貼り紙からはじまったキャラクターである
とうふ屋さんで暮らすわんこのポチや、大工さんの家のトラなど、3丁目の猫や犬が「タマ&フレンズ」のメンバー
1988年から現在にいたるまで、小学生向けのドリルのキャラクターとしても活躍
「タマ&フレンズ」が正式なキャラクター名で、「うちのタマ知りませんか?」はキャッチコピーのような形で使われている

迷子のタマは、見つかってました!

「タマは、ちゃんと見つかります」ずばり、こたえて安心させてくれたのは、運営元であるソニー・クリエイティブプロダクツでマーケティングを担当する佐々木智恵子さん。

「タマ探しの貼り紙をだした飼い主のたけしくんが、タマが帰ってきたことを知らせる貼り紙を自宅の塀に貼りだすんです」と、同社デザイナーの松井由美子さんもうなずく。

これがそのお礼の貼り紙! うわ~~~~~っ! よかったよ~~~~~っ

タマ&フレンズというと、グッズ向けのキャラクターとしてのイメージが強い。が、背景をつらぬく物語が絵本やアニメのなかでちゃんと描かれていたのだ。

1988年刊行の絵本「タマの3丁目物語」。その1巻が「うちのタマ知りませんか?」
タマが迷子になって帰ってくるまでの物語だ(ストーリーについてはこのあとまたじっくり!)

タマのファンになった頃、私はまだ小学生だった。ストーリーがあったとは、そこまでちゃんと把握できていなかったのだ……。いきなり感激の嵐である。

奥、左から、お話を聞かせてくださった松井さん、佐々木さん
手前がタマ&フレンズに郷愁をふるわせやってきた編集部の安藤、古賀(30年越しでタマの帰還を知り感動にうちふるえているところ)

もともとはグリーティングカードをデザインしていた部署だった

ソニー・クリエイティブプロダクツはCBS・ソニーグループの、CBS・ソニーファミリークラブ内のペーパーファッションビジネス部門から1978年に独立したため、クリスマスカードやバースデーカードに代表される、グリーティングカードを作っていた。

当時、海外でレコード会社がグリーティングカードを扱うことがよくあり、それを国内へ取り入れたのだそう。

カードをデザインするなかで、徐々にキャラクター商品をはじめとするライフアクセサリーを中心に種々の商品を開発し、多くのヒット商品を生み出した。

そこへやってきたのが80年代、一大ファンシーグッズの大流行だ。

バイキンくんも、ペンジャミンもこの時代にソニー・クリエイティブプロダクツで生まれたオリジナルキャラ! うわあああ、同窓会だ
タマの40周年を祝うみんなたち……これはちょっともう感動でわたし今晩寝られるかどうか……

80年代は文具屋さんがまちに数多くあり、そこでファンシーグッズを扱うことが多かった。さらにファンシーグッズが力を増すにつれ、ファンシーバラエティショップとして専門的に営業する店も出てきた。

そこで一世を風靡したのが、タマや3丁目の仲間たちだったのだ。

ぜひこのまま、タマたちの歴史や活躍についてお伺いしたい!

なぜ「いない」キャラクターが成立したのか

古賀:
「うちのタマ知りませんか?」に最初にふれた当時、小学生ながら、いなくなった飼い猫を探すというデザインとコンセプトに衝撃を受けました。

キャラクターグッズなのにかわいいだけじゃない。ストーリー性があって、なにか切ない。背景には昭和の町並みがフィーチャーされていて、子どもなのにすでに懐かしい感じがあって。

どういったねらいではじまったキャラクターだったのでしょう。

松井:
街角に猫を探す貼り紙って、いまもありますが昔はもっとよく電柱なんかに貼ってありましたよね。それを初代のデザイナーがイラストに起こしたという説と、デザイナー自身が自分の猫を探すために描いた……という、2つ説があるんです。

最初は貼り紙のイラストがグッズのベースだった(1983年の初回商品受注カタログより)

安藤:
メインのキャラクターなのに、いなくなってるわけですよね。主人公不在っていうのはすごい。 

松井:
そうなんですよね。デザイナーのイラストを見た当時の上司がこれいいじゃないってことで商品化をしたそうです。 小規模のシリーズとして試しに出してみた、というのが最初と聞いています。

古賀:
そのちょっとやってみるか、が、あまりにコンセプチュアルでみんなの胸にささったんですね。

そこからの勢いがすごいですね。シリーズがスタートしたのが1983年、5年後の88年には絵本が出て、ビデオでアニメ作品が登場してる。漢字ドリルへの掲載がはじまったのも1988年と。

松井:
80年代のファンシーグッズブームの勢いに乗ったんですね。

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