日銀が9月の半期決算で所有する国債の時価評価額と簿価の差が8749億円のマイナスになったと発表しました。もっとも簿価545兆円レベルでの8749億円は0.2%のマイナスですから大した話ではありません。また、中央銀行で国債の評価損を出すところは続出しており、アメリカ、カナダ、オーストラリアをはじめ、ほぼどの国もボロボロ状態であります。理由は金利が上昇しているため、国債相場が下落したことにあります。
但し、中央銀行は国債を満期まで持つのが原則になっているので期中の債券相場の上下運動で上がった、下がったを論じる意味はほとんどありません。むしろ、そんなものは開示する意味すらないと思うのですが、それぞれにルールというものがあるようです。但し、永久国債が発行されるようなことになれば話は別です。
日銀の次期総裁候補の一人、雨宮副総裁が参議院の予算委員会で「金利が1%上がれば28.6兆円、2%の場合、52.7兆円、5%なら108.1兆円の赤字になる」と説明しました。が、日銀の機能はお金を発行できるのだから屋台船がどうこうなるわけではないという趣旨の説明をしています。これも結局、数字ゲームで議員の誰かがこれ、いったいどういうことなんだ、と説明を求めたのだろうと思います。
そんなことはどうでもよいのです。ついでにもう一つ、どうでもよい話です。夏ごろの日経、経済教室に面白い指摘がありました。それはブタ積み(付利)の話です。付利とは、民間銀行が中央銀行の当座預金に預け入れている残高(日銀当座預金残高)に対して適用される利子ですが、これをブタ積みとも言います。民間銀行からすれば企業や個人向けへの貸し出し先がなければお金が余ってしまうのでそれを日銀に一旦、預けておくわけです。この際、一定の条件なら利息が付きます。これを付利というのですが、2016年にルールが変更となり、利息を払うケース、払わないケース、預け金を取るケースの3通りが出来ています。
それでも21年決算では日銀が1800億円ほどの付利への利払いをしています。この記事が指摘する問題点は今は緩和措置で金利が低廉に抑えられていますが、金利が上がった際には日銀のコストは当然意識されるだろうというのです。論理的でありますが机上の空論のような気もします。なぜならそれが日銀の経営を圧迫するほどになればルールを変えてしまえばよいだけです。言わんとしていることは分かるのですが、日銀の規模を考えれば目先の大きな問題にはならないと思います。
私が思ったのは日銀が発行する通貨が全てではない時代が来たらどうするのだろう、という点です。法定通貨の意味とは強制力と国家による価値の保証、この2つなのです。逆に言えば、この2つが代替されれば別に日銀券ではなくてもよいわけです。地域マネーでもベルマークでもよいわけです。日銀の利益は大株主である政府に配当として流れているわけでそのパイプが細るのは都合よくないし、仮に日銀の資産が大きく遺棄された場合、様々な弊害は出てくるかもしれません。
先日イベントに出展して物販をしていたらお客さんがイベントマネー券で払いました。イベントに来た一部のお客さんが一種の地域マネーをもらえたわけです。このマネーはイベント終了後、イベント主催者が現金と交換してくれますので私どものお金はカナダドルという法定通貨に戻ります。
ではイベント運営団体は、法定通貨でもらった入場料やイベントの出展料に対して様々な支払いと共に地域マネー発行分のコストが生じています。これは1地域マネー=1ドルですのでもちろん、収支上なんら影響を及ぼしません。これをもっとグローバル化すると域内が域内通貨で収支がバランスすることも可能になります。強制力と価値の保証は作り出すことは可能なのです。
次に自国以外との取引についてはどうでしょうか?現時点では各中央銀行とも非常に厳しい監視ルールを作っています。例えばワイズという民間業者が行う海外での資金受け取り方法がありますが、最近はちっともワイズではなく、面倒くさく、私も諦めたこともあります。理由はワイズにも当然当局の規制がかかっているからです。
無国籍通貨の金(ゴールド)も一定量以上の取引はきちんと報告しないとダメになっています。もっとも金も物理的に動かすのは大変なのでその点は大したことはありません。では金を担保にした取引はどうでしょうか?この担保という発想を債権債務ではなく、通貨にしてしまうわけです。それが今、世界で議論されているステーブルコイン(暗号資産の一種)の取引であります。私の理解する流れはビットコインとイーサリアムが流通上のインフラとして機能し、そこに無数のコインが存在する、そんな世界です。今は中央銀行と各国政府が対策を施し、双方が追いつ追われつの関係にあります。
当局がそこまで暗号資産に危機感を持っているのは中央銀行は国家の保証をベースに巨額の緩和政策をとっても安全である前提だからです。この前提は遠い将来、絶対なものではないかもしれないと考えています。世の中、担保やベース資産になるものなど、国家や金や暗号資産にかかわらず、企業株式でも不動産でもREITのもつ証券でも規模の大小こそあれど何でも生み出せます。これが今、むくむくと頭をもたげ始めたわけで、中央銀行の絶対性にどこまで依存できるか、これは永遠不変だと決めつけるわけにはいかないでしょう。
もちろん、このストーリーは極端な話です。現実派からすればまた、夢物語を語っていると思われるはずです。しかし中央銀行にも先進国のような立派なところもあればエルサルバドルのようなビットコインを法定通貨にしたところもあるのです。全ての世界が普遍的なルールで守られているわけではない点は頭の隅に置いていてもよいのではないかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月7日の記事より転載させていただきました。