終戦の日と「靖国参拝」

アゴラ 言論プラットフォーム

どんな兵士でも祖国のために戦った人は、敬って丁重に葬ります。

「真珠湾攻撃80周年」取材で、昨年12月ハワイを訪問した。

オアフ島北東の米海兵隊基地内に慰霊碑がひっそりと佇む。「日本機墜落場所。パイロット飯田大尉。第3制空隊長。1941年12月7日」と読める。

オアフ島北東の米海兵隊基地内の慰霊碑
筆者撮影

周りには誰もいない。静寂。筆者は写真を撮り、数分間黙祷をした。

飯田大尉(戦死後中佐に特進)。享年29歳。空母「蒼龍」から出撃、攻撃中に被弾。帰還できないと悟って、自爆したといわれる。

日本側の同僚の証言として以下が残っている。

「飯田機の燃料タンクの損傷は、帰還できないほどではなかった。燃料は母艦に戻れるくらいあったかもしれない」。

飯田大尉は昔「こんなバカな戦争を続けていたら、大変なことになる」という言葉も残している。

いまや藪の中だが、最初から自爆するつもりだったのかも知れない。

彼の思いとは直接関係なく、80年以上前の日曜日朝、日本軍の真珠湾攻撃により、米側は軍人だけでなく、多数の民間人も死んだ。宣戦布告がなかったため、卑怯な行為、米国人にとっては「屈辱的な攻撃をされた」という声がすぐに出た。

飯田大尉の米軍葬

だが米軍の対応は驚くべきことだった。潰れたゼロ戦の機体から遺体を引出し、飯田大尉に敬意を表して、米軍兵士とほぼ同じように弔った。銃による栄誉礼だ。

筆者は40年くらい継続して米軍の取材をしてきた。国防長官や高官から1兵卒までだ。米国らしく、多様性だらけ、いろいろな考え方、行動パターンがある。

だが共通していることがある。祖国のために戦い戦死した人間への尊敬の念だ。もちろん、自国の兵士と敵国の兵士はある程度扱いが違う。だが尊弔の基本は同じだ。

米軍による日本兵の似たような扱いは他にも幾つかある。これは30年前に取材した。もう日本が降伏する時だが、降伏調印で有名なミズーリ号に日本軍機2機が攻撃。1機は撃墜、1機は突っ込んだ。米側は(星条旗の代わりに)日章旗に包んで、米海軍と同じような海葬にした。艦上には日章旗はなかったので、水兵が徹夜で縫ったという。正式葬を命じた艦長の兄は、少し前に日本軍との戦いで死んだばかりだ。

これは戦争の行方が判明したという状況なので、余裕があったのでまだ分かる。だが、飯田大尉のケースは、奇襲攻撃で始まったばかり。米が関係した戦争で、理由はともかく作戦的には高評価、5本の指に入るとも言われる。だから戦局がどうなるか分からなかった。下手すれば、米国は負けたかもしれない。よくそんな余裕があったと思える。

ファクトベースでいうが、日本人は聞きたくないだろう。戦局関係なく、日本側の米軍捕虜と戦死者の扱いはむごい。そもそもジュネーブ条約は関係ない。東條の命令で、自分さえも捕虜にならずに自決する。そんな軍隊だから、米兵の扱いは大変なことになる。「バターン死の行進」の餓死者、日本空爆で墜落したB29搭乗員を、日本の非戦闘員の民間人女性も含めた人々が、竹槍も使用して惨殺した。生きたまま焼き殺したという話も聞いた。

死んだ米軍捕虜を、日本軍兵士と同じように敬意をもって丁重に葬ったという話は聞いたことがない。

だが筆者は戦争に参加した米兵の証言も多数聞き取った。日本女性の強姦、銀行強盗、(同僚が性器を切断され惨殺されたのをみた直後)両手上げた日本兵を射殺した、文書には残っていない色々な話を直接聞いた。日本側が戦死した米兵を丁重に葬った話はそこにもなかった。

oasis2me/iStock

そんな戦争もやっと1945年8月に終結した。今年も終戦の15日に日本人多数が、靖国神社を参拝した。

どこの国でもどんな時代でも祖国のために命を捧げた「英霊」を弔う。敬意をもって頭を下げ、ご冥福を祈るのは当たり前だろう。ここは誰も反論はないはずだ。

だが、日本のケースは少々違う。昭和53年、国民にほぼ内緒で、A級戦犯14柱の御霊が合祀された。当時、国民の気持ちも調べないで、松平という宮司が勝手にやったと言われる。宮内庁さえも知らなかったらしい。

民主国家としてあり得ないことが起きた。極端に言えば、開戦した時と同じような国民無視が、戦後30年位経過してまた起きた。こんなことがいまだに許されている日本では、これからも国民軽視の蛮行が起きるだろう。

そして当然、議論が巻き起こった。A級戦犯の扱いは、東京裁判で決められた。当時から裁判そのものを否定する論はあった。A級の合祀は当然、東京裁判の否定につながる。さらに解釈によっては、あの戦争を正当化することにもつながる。

一部日本人がいまだに信じている米による経済制裁に対する正当防衛。米が邪悪、戦争犯罪といえる原爆まで落とした非人道国。日本は悪くない、被害国という説だ。

もちろん、反論があれば、議論するべきだ。(最後はそうなるかも知れないが)、戦勝国の論理だと諦めず、当然ながら日本人独自の総括をすればよい。

だが現実は先の戦争責任に関しては、結論など出すまでいかない。その前に逃避、思考停止。議論拒否。日本は悪くない。あれは侵略戦争ではなかった。アジア諸国の解放だ。ルーズベルト自身が戦争をしたかった。やりたくなかったが、やむを得ない。他策なし。正当防衛するしかなかったなどなど、世界には説得力がない理由で、子供のように否定するだけ。議論そのものも中高教育で殆どやっていない。しっかり史実を勉強して、皆で徹底議論するべきだろう。

どんな戦争を日本がやったのか。どれだけ兵站を無視したか、兵士の命を軽んじたか。

戦争はみな悲惨だが、場合によっては殺し合って戦友まで食べないといけない、銃弾ではなく、病死・飢餓で死んだ兵士の方が多い。捕虜になるなと命令されて、家族や自分まで殺した、そんな戦い方は20世紀近代史では日本しかないといえる。

指導者層の中で一線を引くのは難しいが、命令した指導者と、赤紙一枚で戦地に送り込まれた兵士は、同じ責任なのだろうか?

議論をすれば、その結果、東京裁判の問題、A級戦犯合祀の扱いが、日本国民によって決められる。

だが議論をやらない。

だからこそ、天皇もそれ以降、参拝を止めた。原爆に関しては「仕方がなかった」という証言が残る。だが合祀以降、参拝を止めた理由の説明は聞いたことはない。多分、天皇は説明することさえしたくなかった。また1930年代以降の悪夢の再来とお感じになられたなどと、推測できる。ほぼ間違いないと言えるだろう。

GHQ宗教課のウイリアム・バンス課長(右)
筆者提供

筆者は靖国神社の将来を決めたキーパーソンと長時間対談したことがある。GHQのウイリアム・バンス宗教課長。「国家神道の解体」マッカーサー元帥が靖国神社の将来を一任した専門家だ。2008年101歳で死去。

さらに筆者は9条を中心に新憲法を作ったといえるGHQのケーディス大佐、天皇を象徴にしたプール少尉、天皇を生かして戦後統治に利用することをマッカーサー元帥に納得させたボートン教授とも長時間、直接話した。(ケ大佐は1990年90歳、ボ教授は1995年92歳で死去)

皆が基本的に同じ考えであった。侵略戦争の元凶、軍国主義日本の源を完全に潰して2度と同じような蛮行をさせないこと。それが最優先事項だ。つまり靖国と護国神社を潰す。それが最初に頭を過ったという。

だから9条を作り、天皇から政治的な権限を剥奪、靖国や日本中にある護国神社全部を潰し、靖国を遊園地か競馬場にする可能性も論じた。

ケーディス大佐(右)
筆者提供

基本的にバンス課長は(それ以上できたが)、神道など宗教の自由の保証、もう靖国を侵略に使わないと、日本人を信じる性善説を取った。その結果、現在の靖国神社がある。

合祀してから数年、中国などが騒ぎ出した。当然、議論多出の歴史問題とも直結する。内政干渉という見方もあった。米国は中韓ほど強い関心がなかったが、中韓などアジア諸国を中心とした批判の声には耳を傾けた。現在の東アジアにおける米国の政策にも関わる。

天皇が行かなくなった理由を理解しようと、米国は努力している。自国のアーリントン墓地や、他国の国立戦没者慰霊碑・墓地には、世界中どこでもそうだが、他国首脳が相互訪問することが頭を過った。

上述したように、米国は基本的に他国兵士でも、尊敬し弔意を表明するのが大原則。オバマはヒロシマに行った。文句なく、原爆でなくなった人々への慰霊だ。米国の現職大統領としては最初、多分最後だろう。だが、靖国神社だけは、米に限らず世界中、外国首脳クラスは誰も行かないのが現実。

そして日本の総理大臣自身も、いまは原則行かない。岸田総理も今年行かなかった。中韓の抗議もあるが、他の理由もあるだろうか。自民党などの政治家の多くは、このまま現状維持。中韓などが大人しくなれば、総理がまた行き始める。それを狙っているようにみえる。

日本人は本気で、合祀問題を議論したらどうだろうか。A級戦犯だろうが、当時はそれなりにお国を思ってしたこと。御霊に弔意を表明するのは当然という論も成立する。

一方、分祠するのも1つ。千鳥ヶ淵の利用や宗教色があまりない全く別の施設を作るのも1つだが、多分、無理だろう。

やはり靖国神社は日本人にとって「特別の意味」がある。バンス課長もそれを感じて「残すべきだ」と思ったそうだ。

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