色とりどりにその姿を競うさまざまな花たち。公園や川原でそうした様子を見て心がなごむ。
花というのは基本的にそういうものだと思うのだが、中にはよくよく見るとおかしな気持ちになってくるものもある。代表的なのはパンジーではないだろうか。
その柄が人の顔にも見えて怖いパンジー。何気なく見ていると気にならないのだが、一度気にしてしまうと顔にしか見えなくなってくる。
花壇で見かけても、なんとなく目をそらしがちだったパンジー。今回はそんなパンジーと向き合ってみました。
※2006年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
むやみに表情豊かなパンジー
公園や街路の花壇ではレギュラーメンバーと言ってもよいパンジー。かなり広く親しまれている花だと思う。
にぎやかに咲いている様子は遠目から見るとかわいらしいのだが、ひとつひとつの花をじっと見てみるとまた違ったものが感じられてくる。花壇に咲いているのをよく見てみた。
色や柄のバリエーションがかなりたくさんあるパンジー。そうでもないのもあるのだが、右の写真のように人の顔に見えるものも多いと思う。
独特の雰囲気をかもし出している。花に対してそういうものは求めていないのだが、気づくと引き込まれてしまう。
もっといろいろなパンジーを見ようとして園芸店に行ったのだが、現在(7月上旬)はパンジーのオフシーズンらしく、売っていない。いつでも咲いてる花だと勝手に思い込んでいた。
そういうわけで生パンジーを見ることはできなかったのだが、種ならばかなりの種類があった。「顔っぽさ」を基準にしていくつか購入。
何か気に入らないことでもあったのか、かなり不機嫌そうに見えるパンジー。あからさまな激怒の表情を浮かべてるものもあるではないか。
意外にも気性が激しそうなパンジーだが、そういうものばかりというわけではない。
穏やかそうなパンジー、派手でイタリアンなパンジーもいる。一度「顔としてのパンジー」というスイッチを自分の中で入れてしまうと、勝手にキャラクターづけをしたくなってくる気がする。
パンジーが顔に似ているというのは、相当古くから気づかれていたことらしい。ウィキペディアのパンジーの項によると、
『パンジーは、フランス語の「思想」を意味する単語パンセpenseeから名づけられた。この花が人間の顔に似ていて、八月には深く思索にふけるかのように前にうなづくところからこのように名づけられた。』
とあり、名づけの時点で顔がらみなのだ。思索にふけるという受け取り方もあるのは個人的には新鮮だった。
ホラーパンジー
季節的に生パンジーと向き合うのは困難なのだが、それでもできるだけ生っぽいパンジーを見つめてみたい。そういうわけでやってきたのは造花の専門店だ。
造花といってもかなり精巧に作られているので、店内は生花店のような雰囲気。もちろん季節に関係なく、パンジーコーナーもあった。見つけたときの距離で見るとやはりかわいらしいパンジーたち。
ただ、少しずつ近寄って見てみると、雰囲気が変わる。
…たくさんのパンジーがこっちを見ている。不気味な表情をしている者や、意味不明の笑いを浮かべている者もいる。こ、こわいよ……。
いくつか見つくろって購入したのだが、袋を覗き込むとちょうどこちらと目が合うように見える。それぞれとじっくり向き合ってみようか。
特に顔っぽく見えるものを選んでみると、さらにおっかなさが増幅。こういうのが出てくるおばけ屋敷や映画があったような気がする。
おっかなパンジーの花の部分だけを摘み取って並べてみると、さらに恐ろしさが盛り上がる。
もしかすると夢に出てきそうな感じの写真になってしまった。花びらのゆがみが微妙な表情を作るのに一役買っている。
『ザ・パンジー』というホラー映画も作れるのではないだろうか。ひたらすパンジー大写しの映像が淡々と続いているのは、それだけで結構おっかないと思う。
顔に似ているということで、適当な雑誌類の顔写真の部分にパンジーを乗せてみた。胴体とつながることで、またも怪しさがアップ。
逆に考えると、「あ、この人パンジーっぽい」という顔をした人もいるのではないかと思う。みなさんのまわりではどうだろうか。もし心当たりがあるのなら、あまり口にせず「この人パンジーっぽいな」と思っておけばよいと思う。
見る者を異次元へいざなうパンジー
にぎやかな花壇に陰を落とす花、パンジー。
今回いろいろなパンジーを必要以上にじっくり見ていたせいで、目を閉じてもパンジーが浮かんでくるようになってしまった。これはまずい。
ずっと見つめていると本当におかしな気持ちになってくるので、適当に切り上げた方がいいと思います。