人口史観とは何か
私は社会学における社会変動論としての「人口史観」を活用して、これまで社会システム論の観点から「少子化する高齢社会」の研究を行ってきた(図1)。これは有効な歴史観だから、少子化と高齢化の動向を説明する際にも大いに利用したい。
この要点は、マルクスの「唯物史観」、すなわち「経済の変動により一切の社会的事象の変動が行はれると考える経済史観」(高田、1947=2003:141)とは異なり、人口構造とこれに左右される「人と人との関係=社会関係」を社会変動の主因とするところにある(同上:198)。
人口数や異質性という人口の量質的組立が「人と人との関係=社会関係」を変化させた結果、社会システム全体が変動するというこの理論が発表されたのが20世紀半ばであり、今から半世紀も早かったために長い間黙殺されてきたが、少子化と高齢化が同時進行を開始した20世紀末からは復権した(金子編、2003)。
(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)③:選挙制度改革)
バーズアイビューの威力
バーズアイビューとしての人口史観の観点で、社会システムの経済、政治、社会統合、文化価値などの特定領域を限定して精査する方法は、政治による具体的ビッグピクチャーを求めた将来の政策展望でも有効である。
唯物史観ならば、さしずめ「土台」に「経済」が位置づけられ、その上に直接に政治、法律、制度、文化、社会意識が置かれる。ところが人口史観では、「土台」としての人口動態とこれらの媒介要因としての「社会関係」に大きな意味を持たされる。
少子化が進み高齢化が進行すれば、高齢者が増加して、若年者は減少する。そのような社会関係の中では、与野党ともに政治家は投票権を行使できる高齢者向けの支援策作りには熱心だが、投票行動に向かわない若い世代向けの具体策が乏しくなる傾向にあった注1)。
土台としての「社会の量質的組立」、それが規定する「社会関係」によって政治だけではなく、法律も経済も文化や精神もすべてが規定される。この包括性を人口史観で学びたい。
たとえば表1のように、人口構造の変化としての少子化の影響は社会システムの全領域に及び、主だった経済、政治、文化、福祉、治安、個人の現状と将来像などの領域を直撃する。
社会システムは人口構造が土台
要するに、国の政治、行政、経済、国民のものの考え方、精神構造などすべてに人口変動が影響する。これが人口史観の特徴であり、私のいう「少子化する高齢社会」(金子、2006)の日本は世界の中でその先頭を走っている。それに適切な対処をすることも政治家の主要任務の一つになる。
建築物と同じで、近代化の過程にある社会システムも人口という土台が大きく変わり、そこでの社会関係は神を意識した聖なる存在としての「人と人」ではなく、金儲けや犯罪すれすれの動きも含む世俗化を始める。専門用語でいえば、近代以降では「何であるか」という帰属性よりも、「何をしたか」という業績性が重視される社会が生まれたと見るのである注2)。
また、国家や会社や地域社会よりも個人そのものが重視され、その人権が最優先して守られる。社会的現象や個人のニーズ充足についても、普遍性よりも個別性に特化することが多くなる注3)。では、世界の人口動態から概観しよう。
世界人口の動向
最初に世界人口の現状についての情報をまとめる。「世界人口UNFPA版」(2022)によれば、表2のような上位11カ国が登場する。3位のアメリカと11位の日本を除けば途上国がほとんどであり、これに中国とロシアが加わっている。
人口大国は「ローバル」志向
2022年3月3日の国連総会ロシア非難決議で「棄権」(abstention)をしたのが、中国、インド、バングラデシュ、パキスタンであり、4月7日に実施された国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止する総会決議で、「棄権」に回ったインド、インドネシア、パキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュ、メキシコの7国はいずれも人口大国であることに留意したい。
これらの国ではそれぞれの人口数を背景にして、グローカルな判断ではなく「ローバル」な判断が優先されたと見ておきたい。なお「ローバル」(lobal=local+global)の意味については、連載第2回目を参照してほしい注4)。
この11位までの人口大国だけで見ると、「ロシアを非難決議」し「常任理事国停止」を求めた国は、アメリカと日本だけであった。この国連の結果をどう見るか、
ほとんどの分野で恒常的に日本の判断基準となり、上記の国連の2決議でも同調したイギリス(6850万人)をはじめとしたドイツ(8390万人)、フランス(6560万人)、イタリア(6030万人)、カナダ(3840万人)、オーストラリア(2610万人)、スウェーデン(1020万)など人口が5000万人前後の国々と、表1の人口大国との価値観の相違もまたロシアによるウクライナ侵略戦争への対応により歴然とした。
その意味で、敗戦時は7200万人だった日本において、1947年から49年生まれの団塊世代の800万人(50年生まれまでを算入すれば1000万人を超える)が人口増加に寄与した意義は限りなく大きい。教育、学術、芸術、スポーツ、労働、産業経済、東京都市圏の膨張など団塊世代への評価は分かれるが、この世代による膨大な消費力を感じさせるに十分な高度成長期以降の歴史が刻まれ、それは平成時代を経て、令和の時代で終盤を迎えた。
第二次世界大戦を国別人口数で考える
日本史では、1950年の総人口は世界第5位の8400万人であった(表3)。人口論的にいえば、太平洋戦争は8000万人の日本がアメリカ、ソ連、中国合計で8億人の国々と戦かったことになる。あるいは日独伊合計で2億人が、イギリス5100万人と4000万人のフランスを加えた5つの連合国、人口総計9億人との戦いを行ったのが第二次世界大戦となる。
日本の総人口の推移
次に、日本の総人口の推移について整理しておこう(表4)。
昭和に入ってから日本の人口は6000万人の大台に乗り、1950年には団塊世代が揃い、合計で8400万人になった。高度成長期も順調に増加して、高齢化率が7%を突破した高齢社会元年の1970年には1億人を超えた。その後も漸増して2010年が頂点の1億2800万人となり、以後は減少に転じた。
2016年10月では1億2690万人まで低下し、2022年3月現在の速報値では1億2526万人にまで落ち込んでいる。この10年近くは合計特殊出生率が1.30~1.40台で推移しているので、もはや人口増加の見込みはないが、確実に数年後には高齢化率が30%を突破する。
この推移に伴い、人口構成の3区分も激変した。表4から、日本の第1回の国勢調査で人口統計も完備した1920年の3区分の比率は0~14歳(年少人口)率が36.5%、15~64歳(生産年齢人口)が58.3%、65歳以上(高齢者人口)が5.3%であることが分かる。この比率の分布は発展途上国の人口構成そのものである。
全人口の6割が働き、社会全体を支える
明治から大正時代の前半までは国勢調査がなされていなかったが、その50年間もおそらくは似たような比率であったであろう。
すなわち古今東西すべての発展途上の社会では、年少人口は35%を超えており、高齢化率は5%程度にとどまり、残り60%がいわゆる生産年齢人口なのである。高校進学率も低いから、15歳以上は文字通りそのまま生産年齢層になる。ここからは、全人口の6割が働いて社会全体が支えられるという法則性が、ひとまず読み取れる。
しかし高校進学率が上がるにつれて、ほぼ18歳までは生産に従事しなくなるから、実際の生産年齢は上がってくる。そして大学進学率が半数を超えた時点で、18歳から22歳までは生産年齢層としては半数に止まる。
かりに大学生・専門学校生21歳と22歳全てを生産年齢と仮定すれば、残りの半数である19歳と20歳の大学生・専門学校生すべてを生産年齢としては非該当にする。そうしておいて、「年少人口」ではなく「非生産若年人口」と位置付け直せば、この0~20歳未満合計は2062万人(16.4%)になる。
20~69歳が「生産年齢」
現代日本の大学進学率を見ると都道府県別の差異は大きいが、平均すればこの10年間は55%程度である。
2022年3月のデータを使うと、20~69歳が生産年齢になり7647万人(61.1%)、70歳以上が2854万人(22.8%)と集計される。したがって、2022年3月現在では61%あまりが生産に従事して、社会全体(非生産若年人口、高齢者、無職その他)を支える構造になる。
これは高学歴化して長寿化が進む先進資本主義国では、普遍的にみられる世代間の支え合いの姿である。すなわち現状に合わせて統計を工夫すれば、令和の時代でも6割が働き、全体を支える人口構造が見えてくる。
働く人口も60%を割り込む
おそらく2035年までは、働けない(働かない)高齢者が団塊世代を中心に増えて、少子化により次世代や次次世代による働く世代への参入が少なくなる。そこでは働く人口も60%を割り込むようになり、「少子化する高齢社会」がしばらく続くことを考慮して、具体的政策の順位を想定したい。
そのため、「少子化する高齢社会」では政策論的には従来の人口年齢3区分の見直しが急務となるが、世界205の国と地域では依然として15歳からの生産に従事する若者が多いから、こちらの統計もまた国際比較素材としては有効になり、日本では必然的に2種類の人口3区分統計が併存することになる。
日本人口の実態と推計
図2によれば、2010年をはさんで1950年の8400万人と2065年の8800万人間に、人口総数が接近することが分かる。しかし、その内訳は真逆に近い。
なぜなら年少人口率が1950年の35.4%に対して2065年は10.2%になるからである。もちろん高齢化率もまた1950年の4.9%に対して2065年のそれは38.4%となるからでもある。そうすると、生産年齢人口は1950年で59.6%、2065年では51.4%となるが、既述したように、生産年齢の幅が1950年では「15歳~64歳」であっても、2065年では「20歳~69歳」になっているから、同じレベルでの比較は難しくなる。
いずれにしても年少人口の割合が35%から10%まで激減し、高齢化率が5%から38%まで激増する時代の設計を政治家は今からきちんと行い、かつ実行するためのプログラム作成時期を迎えているということになる。
乳児死亡率の激減
このような人口構造の変化のうち、高齢化率を高め、平均寿命を押し上げた原動力に「乳児死亡率」の劇的低下があることはあまり知られていない。
日本の調査結果で最古のデータは1899年の「乳幼児死亡率」153.8‰(千分率)であり、2020年のそれは1.8‰であった。すなわち今日では、赤ちゃんが1000人産まれて、1歳の誕生日を迎えられない子が2人弱ということになる。これは日本社会が世界に誇れる偉大な成果である(表5)。
19世紀末ではなく太平洋戦争後の1955年の「乳児死亡率」と比較しても、まさしくその値は劇的な減少といえる。
医学の研究成果とともに、高額医療機器の普及、薬学の発展、国民皆保険制度の効果、国民の栄養の向上と知識の普及、公衆衛生学の成果に基づく生活衛生環境の向上、保健学などの研究成果と国民への知識の浸透、住宅事情の好転、インフラのうち上下水道の完備による公衆衛生水準向上などの総合的成果であり、これは産業化による経済成長による代表的なプラス効果といってよく、正しい評価をしておきたい。
経済成長と乳児死亡率との間には逆相関
ちなみに2019年段階の世界193か国では、乳児死亡率の最高が中央アフリカの81‰であり、最低はサンマリノ1.50‰であった(世界銀行「世界の乳児死亡率 国別ランキング」(2022年2月更新)。
187位の日本は1.8‰であり、よく用いられる比較対象国のうちインドが27.0‰、アメリカが5.4‰、ロシアが4.4‰、フランス3.4‰、イギリス3.6‰、ドイツ3.1‰、スウェーデン2.1‰になっていた。世界平均は27.4‰であり、日本における「乳児死亡率」の低さは世界に誇れる成果である。
これらの事例からすれば、経済成長と乳児死亡率との間には逆相関を想定することができる。すなわち、経済成長による国民生活水準の向上と乳児死亡率の低下の間には正の相関がみられるのである。
誕生データの後は、死亡に関する統計的事実をまとめておこう。
日本人の死亡原因
厚生労働省による「人口動態総覧」によると、2021年の出生数は84万2879人で、前年に比べて2万9786人減少した。一方、死亡数は145万2289人で、戦後最多であった前年の138万4544人よりも6万7745人増加した。その結果、自然減は60万9392人となった。
このように出生数の減少と死亡数の増大が同時に進行しているのが令和の日本社会の特徴の一つである。
2020年の死因順位をみると表6のようになる。
第1位は悪性新生物<ガン>で 37万8356人(全体の27.6%)であり、第2位は心疾患(高血圧性を除く)で20万5518 人(同15.0%)、 第3位は老衰で13万2435人(同9.6%)、第4位は脳血管疾患で10万2956人(同 7.5%)となった。
悪性新生物<ガン>は一貫して上昇
死亡原因の推移をみると、悪性新生物<ガン>は一貫して上昇しており、1981年以降死因順位第1位となっている。
心疾患(高血圧性を除く)は、1985 年に脳血管疾患にかわり第2位となり、2020年は全死亡者に占める割合が15.0%となった。
老衰は1947年をピークに低下傾向が続いたが、2001年以降上昇しており、2018年に第3位に上がり、2020年は全死亡者に占める割合が9.6%となった。これは70歳以上がすでに2850万人超えたこと関連が深い。
脳血管疾患は、1970年をピークに低下傾向が続いている。肺炎は7万8445人で対前年比1万7073人の減少となったが、新型コロナウイルス感染者死亡原因の肺炎との区別がなされていないために、実のところは不明である。
健康日本二一(第二次)
このように、日本人の死因が「がんと血管系」で半数であることをみて、国民の健康づくりとして政治家も国民も何を優先するかを考えることは意味がある。
周知のような生活習慣病の予防、国民の運動習慣の定着、地域社会や職場での正しい健康生活情報の普及、世代ごとに異なる食生活の実行などは当然であるが、ここでは関連して、厚生労働省が過去20年間実践してきた「健康日本21」についての概要をまとめておく(金子、2014)。
厚生労働省は、2012年7月に告示し、2013年4月から10年間の国民の健康を総合的に推進する柱として、『健康日本二一(第二次)』を位置づけた。
これは日本人の健康増進として「個人の生活習慣の改善と環境の整備」の両方を含み、個人の生涯(ライフコース)としての乳幼児期、青壮年期、高齢期という世代はもちろん、男女(ジェンダー)、居住環境(コミュニティ)、労働環境(職場)にも配慮している。標語は、「すべての国民がともに支え合い、健やかで心豊かに生活できる活力ある社会の実現」とされている。
日本史のなかでは1950年まで結核が死因の筆頭であったが、ペニシリンなどの画期的な薬剤効果により1955年以降は急減した。
代わりに第2位であった脳血管疾患が1980年まで第1位を占めていた。肺炎も1950年からは低い状態で推移してきたが、高齢化が鮮明になった平成に時代になると、脳血管疾患の低下とは反対に上昇を続けて、2010年から第3位となり、その後5位に落ちた。
まとめると、ガンが日本での死因第1位は40年間以上続き、そして30年以上心疾患の死亡順位は第2位を保ってきたことになる。
在宅死
では、日本人はどこで死ぬのか。図3から1952年以降一貫して病院死亡者は増え続けていたのに、2005年に初めてブレーキがかかり、減少に転じたことが分かる。統計をとりはじめた1951年から一貫して伸びてきた病院死が頭打ちになり、2011年ではわずかではあるが、その比率が低下して今日に至っている。
これには2000年4月の介護保険制度の発足で特別養護老人ホームやグループホーム、老健施設、有料老人ホームの整備が進み、そこに入所する高齢者が多くなったことも要因として挙げられる。
換言すれば、病院死の減少の代わりにそれらの施設での死が増えてきたからであり、実際に2005年から診療所2.5%、老人ホームが1.5%、老健施設が1%程度占めてきており、その合計の死亡率は9%まで上昇した。それが病院死の減少分にほぼ相当する。
反面で、在宅死は依然として横ばいの状態にある。在宅死は厚生労働省が狙う後期高齢者医療費削減の手段にもなっている。
なぜなら、病院死や施設での死亡は、その直前の終末医療のために社会的医療費の増加になりやすいが、在宅死であれば外来か往診か訪問看護になり、患者および家族の負担が増えるからである。
単身者の在宅死には家族以外の支援も必要
仮にに末期の患者を日常的に支えるのが家族ではないとすると、週に数回の訪問で1回が2時間程度のヘルパーだけでは不十分になるから、家政婦などの家族以外の支援者を雇用するしかない。
ちなみに24時間泊りの家政婦への支払いは1日で15000円程度にはなるので、月額では45万円の実費負担が求められる。
この費用は国民健康保険などの医療保険からも介護保険からも支払われないので、社会的費用としては発生しなくて、患者個人かもしくはその家族の負担として計上される。
政令指定都市の合計特殊出生率
最後に日本社会の死亡に関するデータを受けて、今度は社会全体の出生についてまとめておこう。合計特殊出生率は日本全国でも47都道府県でも市町村別でも明らかにされており、それぞれに利用目的に応じて活用できる。
日本全体の人口動態の全体像を押えたら、日本社会の10年先を走る大都市の動向を知っておきたい。それには東京都23区と20の政令指定都市の姿を確認することが近道になる。
図4は2018年の合計特殊出生率比較である。そこでは全国平均よりも低い政令都市が9、高い政令都市が11あることが分かる。合計特殊出生率が高い都市の多くは地方中核都市としての県庁所在都市であり、低い方は首都圏と関西圏に札幌市と福岡市が該当する。特に大阪市、札幌市、東京都23区では合計特殊出生率が低い。
歴史的な原因と今日的な理由に配慮する
とりわけ札幌の合計特殊出生率の低さが顕著であるが、これは明治初期から単身者か夫婦だけによる移植者が多かったことがあり、家族規範が弱く、離婚率も高い。単身者も多く、家族を作ろうという意欲に乏しく、未婚率が高い。既婚者が産み控えているわけではないが、日本全体と同じく婚外子には消極的なので、未婚率の高さが自動的に出生数の低下に結び付く注5)。
いわゆる「子育て環境が未整備」といった原因への対処だけでは、政府が4兆円を10年以上費やしてきた少子化対策もまた成功しなかったのはやむを得ない。
出産や子育てもまた文化の一環を構成しているので、自治体の歴史に配慮した原因と今日的な子育て環境のうち男女の働き方の見直し、乳幼児の育児施設とスタッフの増員、子育て世帯と子育てしない世帯との費用負担の差異の改善、高騰した高等教育費用の社会的負担などを合せた対応が急務になっている(金子、2016)。
(次回:「政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑤」に続く)
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注1)その意味では「こども家庭庁」が新しく設置されることに期待が持てる。
注2)「業績性と帰属性」はパーソンズのパターン変数の一部である(パーソンズ、1951=1974)。
注3)国単位で見ても、世界全体の普遍的平和ではなく、自国の安全を最優先して侵略戦争を継続する個別性がロシアによるウクライナ侵略戦争では鮮明に認められる。
注4)「ローバル時代」の世界システムの特徴として、一定以上の国内人口を背景にした個別空間的な「コモンの成長」を優先する力学が働き、世界システムの普遍性と衝突する傾向が顕著になる。これは半世紀前にエンジェルがのべた命題、「対立する利害は、新しい統合によってのり越えられなければならない」(エンジェル、1965=1970:110)を証明する出来事である。すなわちロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって、UN(国連)という「世界包括主義」のなかで、新しい「ロ-バリズム」という「地域結束主義」が登場したと解しておきたい。
注5)札幌市の少子化の原因と対策については金子(2016:82-85)を参照。
【参照文献】
- Angell,R.C.,1965,“The Sociology of Human Conflict.”in E. B. McNeil,(ed.),The Nature of Human Conflict. Prentice-Hall,Inc:91-115.(=1970 袖井孝子訳「紛争の社会学」千葉正士編訳 『紛争の社会科学』東京創元社):92-119.
- 金子勇,2013,『「時代診断」の社会学』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2014,『日本のアクティブエイジング』北海道大学出版会.
- 金子勇,2016,『子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2022,「政治家の基礎力②ローバル時代の政治家」アゴラ言論プラットフォーム(2022年5月1日)
- 高田保馬,1947=2003,『階級及第三史観』(高田保馬・社会学セレクション2)ミネルヴァ書房.
- Parsons,T.,1951,The Social System,The Free Press.(=1974佐藤勉訳『社会体系論』青木書店).
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