なぜ、人は、自分の何たるかを説明するときに、職業をもってするのか。そもそも職業とは何なのか。
人は、生きている限り必ず消費し、消費する以上は、必ず原資となる所得を得ている。故に、職業を所得の源泉と定義すると、年金受給者は年金受給という職業に従事し、家族のなかで家計の主体になっていない人は被扶養という職業に従事していることになる。
職業は所得の源泉だとしても、所得の源泉は働くことでなければならず、職業とは仕事をすることであって、仕事には多種多様の種別があるので、職業を問わるときは、仕事の種類、即ち、職種をもって答える、これが職業についての普通の理解である。
しかし、年金受給者は、現に働いていないとしても、過去の働きの対価で生活しているわけだから、無職というよりも、長期休暇中の人と同じだとみなせなくもなく、また、働くことに金銭の対価がなくてもいいのだから、年金受給者が散歩、旅行、読書などをするのは、年金受給者に固有の仕事をしていることだといえなくもない。
そして、働くことに金銭の対価が必要ないということなら、赤ちゃんは寝るのが仕事、子供は遊ぶのが仕事、学生は勉強が仕事、主婦は家事が仕事、金持ちは財産管理が仕事というように、人間の活動は全て仕事であって、人間は常に何らかの活動をしているのだから、その活動領域をもって職業というのならば、無職の人はいなくなる。
働くことに金銭の対価は必要ないとして、通常の人の域を超えた最高度の専門性があれば、そこから金銭の対価を得る方法が生じる。趣味で登山をする人は、熟練により高度な技術を身に付けていけば、山岳ガイドとしての所得を得ることができるし、前人未踏の秘峰を征服するほどになれば、企業等のスポンサーがついてプロの登山家にもなれる。
一般に、スポーツ、芸術等の領域においては、それを職業とし、その活動において金銭収入を得られるためには、趣味の域を超えた次元の違った技術水準が要求されるわけだし、医師、弁護士、会計士等の資格制度に裏付けられた職業の場合にも、その資格を取得する段階において、既に高度な技術要件の充足が求められているわけである。
そこで、収入を得られるほどの高度な専門性が職業であるとすれば、同等の最高度の専門性をもっていても、そこからは収入を得られず、別の仕事から収入を得ている場合、所得の源泉のほうをもって職業というほかない。実際、山岳ガイドはプロの登山家ではなく、プロのガイドであり、哲学者という職業はあり得なくて、哲学を教える大学教授という職業があるだけなのである。
やはり、職業は所得の源泉なのであろう。
森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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