スーパーマーケットビジネス

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2週間ほど前の日経ビジネスの特集「スーパー戦国時代 大再編を生き抜く知恵」は日本ならではの内容です。やや日本型ビジネスのスタイルに遠くなった自分に「あぁ、そうだった」と思い出させるものがありました。

AJ_Watt/iStock

スーパーマーケット、毎日の買い物、夕飯の献立、チラシと目玉商品… これを昭和の話とするのか、現代でも脈々と続く日本型ライフスタイルの一部ととるかは日本にお住まいの方のほうが詳しいでしょう。また、大都市圏に住む人と地方都市に住む人の価値観や時間配分も違います。が、食の品質に対するこだわり方と「食費に対する感性」の歴史はダイエーにみられたような大店舗で1円でも安いものから始まり、セブンイレブンでコンビニの便利さに変わりました。現在を第3期と捉えるなら私はレッドオーシャンの陣取り合戦という意味で日経ビジネスの「スーパー戦国時代」というタイトルはズバリそのものなのだと思います。

かつて西友がアメリカ ウォールマートの真似をしてEveryday Low Priceを打ち出したのですが、失敗したのを覚えているでしょうか?失敗の理由は「毎日安いんだったら急いでそこに買いに行く必要がないじゃないか?」であります。

それこそ昭和の話ではないですが、朝刊の本紙はお父さん、チラシはお母さん、お父さんは「おぅ、巨人は強いな」お母さんは「〇〇スーパーのお醤油、凄く安い!」と全くかみ合わない朝の会話のあと、洗濯をしたらお母さんは自転車を飛ばし、10円でも安いものを探し求める大好きな「お宝さがし」の心理を読めなかった西友の戦略ミスともされます。この「食費に対する感性」は最安値をゲットするスリルであり、お財布の中身と必ずしも連動しないことはあったと思います。

今回の日経ビジネスで印象に残ったのがスーパー、コンビニ、ドラッグストアでの食品販売比率で、それぞれ80、63、34%となっています。ドラッグストアは美容品その他の売上比率が46%であることを考えればいかに食品は手を出しやすく、客を引き込む商売ネタかを証明していると思います。

もう一つ、感じたのは日本各地にあるスーパーの連携、提携を通じて起きていることで、「売り上げ至上主義」です。これは卸す側からすれば100個より1000個、それより1万個という薄利多売の論理そのものだということ、食べることだけは人間、止めることができない確実にある需要であり、市場シェアのもつ意味が大きいことが改めて理解できます。

ではカナダはどうなのか、といえば主観は入りますが、スーパーの個性がそれぞれ違い、消費者のニーズで使い分けされています。例えばオーガニックが欲しいのか、ハラルフードが良いのか、中華系の特別の素材がいるのか、高級がいいのか、多少傷がついていても安い野菜が良いのか、で消費者が自ら判断をして好みの店に行く、よって値段であちらこちらに振られるという傾向は少ないと思います。

日本はPB(プライベートブランド)が増えてきた今日でもナショナルブランドがまだ幅を利かせています。これは売り手の仕入れ先の都合が優先されているとも言えます。もう一点は日本人の食への感性は国民全体が非常に似ている点です。つまり、品質へのこだわり、鮮度、流通ルート、価格への繊細さがほぼ均一化された感性と常識観を生み出しており、そのレベルは飛びぬけており、北米のバラバラな生活感覚とは差が大きいとも言えます。

私はそれこそ面倒になると買い物に行かなくなるので冷蔵庫を開けると冗談にもならないほどほぼ何もないこともしばしば。これで何が作れるかに挑戦するのがむしろマゾ的というほど粗食でもありますが、海外生活を長くするとこれほど食に対する感性が変わってしまうともいえるのでしょう。

スーパーマーケット戦争は日本の文化そのものです。消費する側も経営する側もそこに卸す各種食品メーカーから農水産事業者やJA、漁港まで巻き込んだ世界でも特筆すべき一大ビジネス構造が浮沈艦のように存在しており、これが日本の食文化を生み出したともいえるのでしょう。実に奥深いものを感じます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年5月2日の記事より転載させていただきました。