夢っぽさ。
4歳の子どもと東京で一番大きなすべり台に行った。子どもとの外出にはどうでもいい喜怒哀楽がたくさんある。
ずっと一緒にいてずっとすべり台
うちには4歳の子どもがいる。感染症が流行している影響で保育園に行けなくなり、ここ何週間かずっと一緒にいる。ずっと一緒にいて何をしているのかというと公園という公園に出かけてすべり台を楽しんでいる。
僕も一緒にすべる。もちろん楽しいのだが「なるほど、こういう感じか」と分かると飽きてしまう。大人なのだ。寒いし。
違う場所に行きたい。子どもにも新しい刺激を与えたい。そんな気持ちで、東京で一番大きなすべり台を提案した。
トルー(筆者):(画像を見せる)ここなんだけど、
子ども:行く!
トルー:東京で一番大きいんだって
子ども:えー!
トルー:東京って分かる?
子ども:分かる。分かるけど分かんない。分かんない。
トルー:なぁー…
東京とはなにか、説明しようとしたがとっさに言葉が出てこなかったのでまたの機会に取っておくことにした。とりあえず行くことにはなった。
子どもとの移動は色々ある
東京で一番大きなすべり台は青梅市花木園というところにある。電車にまあまあ乗って、そのあとバスに乗る。4歳の子どもと二人きりで行くには多少覚悟のいる場所である。
その日の朝、子どもはいつも以上にゆっくり起きてすごくゆっくり朝ごはんを食べた。「早く食べて行くよ」と言ったら「ゆっくり食べたくなっちゃった」と言われる。わがままが斬新で感心する。
騙し騙しリュックを閉めて電車に乗る。乗り換えが予定通り行かなくて乗りたかった電車が目の前で行ってしまう。
次の電車を待つ間に、と思っていたのだが、飲み物を飲んだらトイレに行かないと大変なことになる。
トルー:トイレ大丈夫そう?
子ども:大丈夫
トルー:でも行っとこうか
子ども:また電車行っちゃうよ?
トルー:もう一つ待ってもいいんだし(ジュース飲ませなきゃよかった…)
子ども:またジュース飲んで待つ?
トルー:ジュースはもう飲まないんだけどさ
こういった不毛なやりとりがあり、もしかしたら次の電車に間に合うかもしれないと走ってトイレに行って、大急ぎで戻ったら結局電車には間に合った。
東京で一番大きなすべり台のことなんて誰もちょっとも考えてない。乗り換えの時は乗り換えのことばかり考えている。子どもは、今を生きているのだ。
やっと着きました
このあと、なんと電車内で「おしっこ」と言われて慌てて途中の駅で降り、トイレを借りた。目的の駅の直前だったのでタクシーで公園に向かうことにした。子どもにそう伝えると「タクシー! タクシー!」と叫びながら歩きはじめ、それを聞いた通りすがりの方がタクシー乗り場を教えてくれた。
何もかも思い通りにいかないが良いこともある。
タクシーの運転手の方に青梅市花木園の住所をナビに入れてもらうことになったのだけど「青梅(おうめ)市」を五十音の「あ」の中から探すのでいつまでも見つからないという、子どもとは関係のない時間の浪費もあった。「青梅」と聞いて「あ」を連想しちゃうのはちょっと分かる。
青梅市花木園は、農業や自然に触れられる公園で、果樹の展示見本園や農園の体験実習ができたりする。その中になぜか都内最大級の、全長211メートルもあるローラーすべり台がある。
今日は花木園全体を堪能するわけではなく、この長いすべり台をひたすらすべる。
てっぺんが見えない。公園の遊具と全然違う。無粋にも「ここを登るのか…」と思ってしまったのだけど、子どもは「やる!」と張り切っている。来てよかった。すべり台を辿って上まで登る。
子ども:だっこ
トルー:えぇー
トルー:ほら、あの子も登ってるよ
トルー:あ、ほら大きい枝だよ(拾う)
子ども:それ持ったまますべっちゃいけないんだよ。転んで目に刺さるよ
トルー:うん(戻す)
トルー:ダンボール敷いてすべるんだって。持ってきたから
子ども:おしり痛くなっちゃうから?
トルー :そう。(ダンボール敷く)よし、先行っていいよ
子ども:…怖い
トルー :怖い? 一緒にすべる?
子ども:うん
そういうわけで、最初は膝に乗せて一緒にすべった。
ローラーの「ガラガラガラ!」という音と共にすべる。いつも一息ですべり終わるものが今日は終わらない。傾斜が変わってカーブをして、という風に「すべり」にストーリーがあった。
子どもも楽しかったようで次からは一人でガンガンすべってくれた。
足を伸ばして座る時に下にダンボールを敷くとすべりやすいしおしりが痛くならないのだけど、大人がやると「本当に今ダンボールある?」と思うくらいの振動と衝撃が来て結局おしりは痛いので、しゃがむ姿勢の方がいいと思った。子どもは体重が軽いからか、おしりの痛みは無いみたいだった。
トルー :おしり痛い!
子ども:おしり痛い(痛くないんだけどつられて叫んでいる)!
子ども:ダンボール無いかと思ったねえ
トルー:ダンボール無いかと思うよね。でもあるんだよね
子ども:でもあるんだよねー
トルー :おしり痛くない?
子ども:痛くない
すべっている間は大体臀部の痛みについて話し、話しながらひたすらすべって登るを繰り返していた。
ここからはいつもの過ごし方である。取り憑かれたようにひたすらすべる。すべってる気持ちになれる動画も撮れた。
[embedded content]
何回か、十何回か、とにかくたくさんすべって、シートを敷いて買ってきたアメリカンドッグやおにぎりでお昼にした。
子どもは以前、カラスがテラス席でご飯を食べてる人のチキンを持って行った様子を見てから、鳥が自分の食べ物を取りに来ないかをすごく気にしている。
子ども:鳥さん来ない?
トルー:来ないよ。いないもんね
子ども:おうち帰ったの?
トルー :別の場所にいるんじゃない?
子ども:寂しいから?
トルー :まあ、うん。一人だけでここにいたら寂しい
子ども:皆でいたら寂しくないんだけどね
中身のない会話だが、こうやって何かを丁寧に確認しているんだと思う。言葉を選んで一生懸命こういうことをしゃべる。
食べたらまた何回かすべって、あることが起きて(最後に紹介します)強制的に遊びが終わってなんやかんやあって帰った。
『ペヤングの辛さ4倍』のような
子どもにとって『いつも遊んでいるすべり台がすごく長くなる』というのは、大人にとっての『各駅停車ですごく遠くに行く』とか『ペヤングの辛さ4倍』とかそういう楽しみがあるのではないか。
帰ってから感想を聞いても特にそういう風には言わないが(楽しかったとは言ってくれる)、今後普通のすべり台をすべる度に「あれは長かったなあ…」と思い出すかもしれない。
うん、あれは長かった。すごく長かったし心理テストみたいだった。