アプローチを間違えた武蔵野市長

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ある意味全国が注目した武蔵野市の外国人住民投票条例案が21日行われ、14対11で否決されました。ほっとしました。本件については12月14日の本ブログに「武蔵野市の外国人住民投票権問題に関しての意見」と題してなぜ、外国人の住民投票権付保がおかしいのか、私なりに意見を申し上げました。

武蔵野市議会 NHKより

開票後、松下玲子市長は市民への周知が十分ではなかったとして議会に再提案する方針を示しました。

12月14日のブログでも申し上げたように住民投票というのはそうそうあるものではないのです。しかも概ね9割方は市町村の合併絡みの住民投票であり、松下氏が頭に描く外国人の意見も広く聞くという趣旨とはずれがあると思うのです。しかもその住民投票は法的拘束力がないから問題ないと言い放っています。

松下氏に聞いてみたいのは武蔵野市に一歩踏み込んだだけで誰でも参政させたいのか、という点です。つまり松下氏の主張は手法ありきでそれを得たら施政に生かす、という流れです。わかりやすく言えば武器を入手してから敵を探すといった発想です。普通は逆です。

例えば国政で憲法改正論議が再び進みそうな気配がありますが、これも何をどう変えたいのか、すでにいくつも重要なイシューや議論は上がっています。その上で、これを進めるのに憲法96条の衆参全議員の2/3の賛成を経て国民投票という流れのハードルが高すぎるからこれを変えようではないかといった議論が後に続くわけです。

もしも私が市長なら公聴会制度を市議会に取り込みます。私の言う公聴会制度は日本の狭義の意味のそれではなく、英語で言うPublic Hearing です。日本は公聴会という場合、専門家や利害関係者を招いて話を聞くことですが、北米には市民が自由に意見を述べるPublic Hearing 制度があります。これも公聴会と訳しますが、極めて広義で日本の標準とは全く異なります。議員が当選したらあとは任期中、何をやっているのかほとんど知らない方が大半だと思いますが、それは市民が議会を見ることもないし、そこで意見することもないからです。公聴会は基本的に利害関係者であれば一市民でも意見を述べることができますので国籍に関係はありません。これを取り入れれば居住する外国人の意見にも広く耳を傾けることができるし、そもそも閉鎖的な議会を変え、参加型の市政にすることが可能です。

カナダでは公聴会は日常茶飯事。特に多いのが近所で再開発などが計画され、通常の建築規定を変更してより高層の建物を建てたり既定の用途と違うものを建てるケースなどにおいてその変更案が近隣住民に受け入れられるか市民の声を聞くのです。またよくあるのは住宅街に近いエリアでのパブ(飲み屋)の営業許可取得で公聴会では確実に炎上するアイテムの一つです。

私が今、開発中の高齢者介護施設も住宅街のど真ん中に一般規制より大きな建物を建てるため、土地の用途変更のプロセスを経ました。これは公聴会が要件で今から1年以上前に実施しました。私どもは近隣説明会を事前に現場で行い、住民に開発の意図と近隣へのインパクトを説明し、公聴会への対策を行ったわけです。それでも議会当日は近隣住民から反対の声が続出します。議員は一通りの意見を聴取したあと、採決を行うという流れです。可決はされましたが、その後の反対派の意見を市の都市計画課と内容吟味の上、それらの意見を尊重しながら最終的な計画許可の条件を詰め、取得という流れになります。

日本の市町村なら条例の可否を公聴会にかけると施政は極めて参加型になります。当然、思った通りに進まなくなり、市政の停滞も起きますが、議論を尽くすというのは重要なことです。

この公聴会はかなりハードルが高いもので市政の案件が何でも通るようなものではありません。役所が公聴される計画の詳細な資料を公開し、市民はそれを読む権利があります。つまり、突然賛成だ、反対だという話ではなく、意見を述べる人もそれなりに十分勉強し、既定時間内で議員を説得できるプレゼンをしないと耳目を集められないのです。反対派も大変なのです。

私はデベロッパーですのでどうしても不動産開発のことに目が行きますが、公聴会で潰された開発計画は数多く、また私の知るある開発計画は公聴会が3日間ぶっ続けで行われたこともあります。しかし、これが本当の市民参加型の市政だと思うのです。松下市長はどう思っているのかわかりかねますが、もしも外国人の意見も聞きたいというならこういうやり方を検討するのも一案ではないでしょうか?

いくら法的拘束力がないといっても投票の結果は極めて重要な客観的判断基準となります。その判断を下すベースが誰なのか、という議論があり、それが結果として市民を二分するのであればアメリカが民主共和で市民社会を分断しているのと同じことです。それを武蔵野市という市民の教育レベルが高いエリアで行おうというのでしょうか?それはあまりにも短絡すぎるし、知恵がなさすぎると思います。

意見を聞く方法はいくらでもあるのだ、ということを認識頂き、自分の考えに固執するのではなく、どうすれば市民がうまくまとまり、盛り上がる街づくりができるのか、もっと大所高所に立った「市民の公益」を考えるべきかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年12月22日の記事より転載させていただきました。