パナ復活のカギは「脱創業者」か – 大関暁夫

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新社長の手腕に注目が集まるパナソニック

来年4月の持株会社化を半年後に控えたパナソニックが、その準備を本格化させています。楠見雄規社長は持株会社スタート半年前の段階で会見し、「事業戦略の推進アプローチを変える」と宣言して具体的には「利益などの結果数値で管理しない」という方針を明らかにしました。

同社は単純な売上ベースではここ四半世紀ほとんど増加がなく、リーマンショック以降は厳しい収益環境が続いています。

ここ10年の経営舵取りで、ライバル企業ソニーに大きく水を開けられた感が強い同社ですが、この先復活はあるのか。就任から半年、新社長の手腕に注目が集まっています。

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同社をはじめ、我が国の大手電機メーカー各社は、戦後我が国の高度成長をけん引して生きた昭和の功労企業でもあります。そんな彼らは幾多の試練を乗り越えて今世紀に至っているわけですが、2008年のリーマンショックでは軒並み巨額の赤字を計上し創業以来の大ピンチに陥りました。

その後10年の彼らの復権に向けた道筋と現状をみるに、昭和的経営との決別の如何が現時点までの優勝劣敗を決定づけているように映るのです。

復権を果たした現時点での勝ち組と言えるのは、日立やソニーでしょう。日立もソニーもリーマン後の苦境から、事業の大幅な転換を経て21年3月期には揃って過去最高益を計上するに至っています。

一方の負け組は、東芝、パナソニック。東芝の敗因は、いまだ改まらぬ昭和的ガバナンス不全が大きな問題を繰り返し、経営の闇から抜け出せぬまま今に至っているということに尽きます。

パナソニックに関しては、それとは異なる視点で昭和的なマネジメントが足を引っ張ってきたのではないか、と思われる節があります。最大のライバルであるソニーとの比較において、その点はより明確に浮かび上がってくるのです。

多角化した事業がソニー復活の推進力に

ソニーもパナソニックも、リーマンショック直後の2009年決算では大幅な赤字を計上。さらにそこからの回復途上にあった2012年に、円高による海外向け事業の大不振が追い打ちをかけ、国際競争の激化も加わって赤字幅が大きく膨らんで経営危機が現実味を帯びて語られるに至ります。

ソニーに関しては昭和由来の企業でありながら、らしからぬ先進的で柔軟性に富んだ企業文化が特徴です。創業者の井深大氏は技術者でありいわゆるカリスマではなく、その後世襲もなく経営の周囲に創業家も存在しません。

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一方のパナソニックは、松下幸之助というカリスマでかつ「経営の神様」と呼ばれる偉大な創業者がいます。

それは企業の精神的支柱として創業来常に大きな力を持つ存在であり、創業家は現在経営の実権こそ握っていないものの直近まで常に脇に鎮座して、2019年まで創業者の孫である松下正幸氏が取締役副会長の座にありました(現在は特別顧問)。

復活したソニーの10年を振り返ってみると、同社をリーマン危機以降の低迷から救ったのは、祖業のエレキ事業の復権ではなく、ゲーム事業であり、エンタメ事業であり、金融事業でありました。

中途入社の米国人経営者から生え抜きの日本人経営者に実権を戻したことで、社員たちの根底で脈々と生きてきた自由でチャレンジャブルな組織風土への回帰がはかられたのでした。

そしてこの蘇った風土の下で過去から多角化してきた事業が有機的に結び付けられるようになり、復活に向けて新たな推進力が生み出されたとみています。

特にゲーム事業やエンタメ事業においては、時代を先取りした売り切りスタイルビジネスから課金スタイルへのビジネスモデル変換が功を奏して、業績の底上げに大きく寄与しています。

昨年にはグループ間での事業連携やサブスクリプションに代表される新たなビジネスモデルをより強固に進めるために、ソニーグループとして持株会社化し、2年連続で過去最高益を更新するなど今や絶好調と言っていい状況にあるのです。

パナソニックの苦悩は「松下幸之助伝説」に翻弄された結果か

同じ観点で考えた時に、パナソニックの拠り所は実に難しいです。その苦悩は、松下幸之助が考案した同社の事業部制の変遷にみてとることができます。

松下幸之助氏(昭和53年12月5日撮影/共同通信社)

創業者がこの管理制度を作り上げたのが1933年。これを金融危機後の不景気下にあった2001年、時の中村邦夫社長が業務のダブりが非効率であるとして廃止。しかし、その後過去最大の赤字決算を受け2013年、津田一宏前社長は収益管理の徹底に向けた「原点回帰」の旗頭としてこれを復活させます。

さらに2013年には事業部制からカンパニー制に移行。そしてそれも大きな成果をみせることなくこの10月に廃止され、来るべき持株会社制への移行準備に入ったのです。

このように過去20年における創業者由来の事業部制の変遷を見るに、傍目には迷走としか思えないのです。この複雑怪奇な変遷は、長らく創業家を経営の傍らに置くがゆえに「松下幸之助伝説」に翻弄された結果のように思えてなりません。

同社の組織風土の根底をなすものが動かしようのない創業者の功績という昭和の伝説であり、同社の経営がいまだこれを引きずらざるを得ないのだとすれば、昭和終焉から30余年を経た今や時代順応力を削ぐ以外の何ものでもなくなっていても何ら不思議はないのです。