韓国は竹島を再び政治ゲームの舞台とするのか

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司馬遼太郎の「竜馬が行く」に岩崎弥太郎が竹島に行くシーンがあります。私も読んでいてあれっと思ったのは、岩崎が竹島に上陸するとそこには韓国人の家がすでにあり、居住している気配があったため、そこに火をつけて逃げ帰ってきたという趣旨の記述です。岩崎は当時、土佐藩の官僚で長崎に駐在です。その際に「竹島」に向かうわけですが、日本の島で自分が開拓者ぐらいのつもりだったのでしょう。

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ただ、この話は少し深掘りしないと読み間違えます。当時、竹島というのは韓国の鬱陵島のことで江戸時代を通して日本ではそれを「竹島」と呼び、その後、「松島」と名称変更しています。日本はこの鬱陵島との縁が深く、江戸時代初期、幕府が鳥取藩に鬱陵島への渡海の免許を与え、漁業や林業をしていたとされます。そして我々が今言う、竹島は鳥取藩など当時、日本人が鬱陵島に向かうための航海上の目印とされたものです。

鬱陵島自身は今は韓国領ですが、李朝朝鮮は鬱陵島の無人島政策を460年も貫いていることから鬱陵島より日本寄りに位置する竹島に朝鮮人が上陸、占拠していたという事実は考えにくいのであります。

韓国側が主張する竹島の領有権については古い地図に竹島が記されていたという点ですが、当時の地図は不明瞭で測量に基づいたものでもなく、どの島のことを言っているのかわからないという代物です。それこそ、鬱陵島が竹島だったのかもしれません。

その中、1952年に李承晩大統領の「李承晩ライン」で日本海上の境界線が勝手に描かれ、竹島もそこに含まれたのです。これが韓国人に「竹島は我が国のもの」と主張させる勢いをつけたのです。この李承晩ラインはその後、取り消されていますが、韓国人はそんなことはお構いなしなのは皆さん、ご承知のとおりです。

さて、前置きが長くなりすぎましたが、この竹島に韓国の警察庁長官が上陸しました。その理由は様々な憶測がありますが、来年の大統領選挙に伴う大規模な人事異動を前に警察庁長官が自己アピールをしたのではないか、というのがまともに聞こえる理由です。

これにより日本は激しく抗議、アメリカで開催されていた日米韓の次官級会議で三国間の共同声明を中止しました。また日中韓の首脳会議の21年度の開催も見送られる方向となりそうです。

もしも警察庁長官の竹島上陸にもう一つの理由があるとすればわざと日米韓の関係を壊したのではないか、という気もするのです。これはこの会議の目的が「自由で開かれたインド太平洋」問題であり、中国を刺激する内容です。韓国は中国とアメリカの双方に良い顔をする二面政策をとっていますのでこれで中国を怒らせるわけにはいかなかった、そこで外務省ベースではアメリカに服従するふりをしながら内政で中国に良い顔をする余地を作っておいた、という見方です。これは私がふと気が付いたことでほかのメディアは指摘していないと思います。

ご記憶にあるかと思いますが、李明博大統領(当時)が突如竹島に上陸したのが2012年8月10日。大統領は翌年2月に朴槿恵氏に代わっています。つまり、韓国では大統領選が近づくとパフォーマンス的な行動が当たり前のように行われ、李明博氏においては人が変わったような行動を次々とったことで記憶にある方も多いでしょう。しかし、韓国のその常軌を逸した行動は時として大衆の声に押され、非論理的な行動に出るのです。

今回の竹島問題も韓国側は大して何も思っていないでしょう。インパクトもないし、パフォーマンスの効果もかつてほどではなくなっています。むしろ、外交的に日本との関係が悪化の一途を辿ることをかの国はどこまで理解しているのか、実に理解に苦しむのであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年11月22日の記事より転載させていただきました。