ドイツ4番目の大都市、ケルン市(人口約109万人)で興味深いプロジェクトが進められている。ケルン市内のイスラム寺院で今後2年間、金曜日の祈り(サラート)を信者たちに呼び掛けるアザーンがスピーカーから流れるというのだ。ケルン市はで列記としたローマ・カトリック教の都市で、市中心部にはケルン大聖堂がそびえている。そのケルン市に毎週金曜日、「アラーは偉大なり。アラー以外に神はいない、ムハンマドはアラーの使徒だ」といった内容のメッセージが流れるのだ。ケルン市を初めて訪問した旅行者がアザーンを聞けば、戸惑うだろう。
もちろん、イスラム教徒が勝手に寺院からムアッジン(祈りの時を信者に告げる人)がスピーカーで祈りの時を知らせのではない。ケルン市政府は、ムアッジンが週1回、金曜日にスピーカーを介して礼拝を呼びかけることを許可したのだ。市当局関係者によると、「2年間のパイロット・プロジェクト」という。同プロジェクトは10月8日から開始される予定だったが、ケルン市民の中で批判の声が出てきたこともあって、実施が遅れているという。
イスラム教徒には「五行」と呼ばれる履行しなければならないの“聖なる義務”があるが、「礼拝」もその一つで、1日5回、聖地メッカに向かって祈ることが義務づけられている。そして金曜日はイスラム教にとって1週間で最も聖なる日だ(ユダヤ教では土曜日が安息日、キリスト教では日曜日が「主の日」と受け取られている)。その金曜日、キリスト教会で日曜日のミサを知らせる「教会の鐘」が鳴るように、イスラム寺院からムアッジンが信者に祈りを呼びかけることができるというのだ。
「教会の鐘」と「アザーン」は祈りの時を知らせる役割を果たしている点で同じだが、宗教学者は、「教会の鐘は非言語的なものだが、ムアッジンの呼びかけはアラーが最も偉大だという明確なメッセージが含まれている」と両者の違いを指摘する。
予想されたことだが、パイロット・プロジェクトが報じられると、ケルン市民から抵抗の声が上がった。「ケルン市でなぜイスラム寺院のアザーンを行う必要があるのか」といった素朴な疑問だ。イスラム教を知っている学者は、「エーレンフェルト地区の新しい中央モスクを含むケルンで多くのモスクを運営している『ディティブ』(Ditib)、『トルコ・イスラム連合』などの政治的イスラム教グループにプラスとなるだけだ」と指摘している。ちなみに、「ディティブ」はトルコのエルドアン大統領の「政治部門」と受け取られている。
「無神論者、ヒンズー教徒、ビーガン(完全菜食主義者)にはそのようなことを許可されていない。イスラム教徒だけが、ケルンの35カ所で毎週金曜日に5分間、彼らのイデオロギーをラッパで吹くことが許可されている」として、イスラム教への過度の優遇処置だという批判がある。ボンの地方紙ゲネラル・アンツァンガーの調査によると、ドイツ人の4分の3は、ムアッジンのアザーンに拒否反応を示しているという結果が出ている。
それに対し、ケルン市のヘンリエッテ・レーカー市長はツイッターで、「このプロジェクトはイスラム教への敬意を表したものだ。ただし、厳しい条件がある。たとえば、許容デシベルの制限と近所に報告する義務だ」という。
興味深い点は、ケルン大司教区で聖職者の性的犯罪問題が表面化し、同大司教区のライナー・ヴェルキ大司教(枢機卿)への辞任要求が飛び出し、教会脱会者が急増してきた時にパイロット・プロジェクトが開始されることだ。すなわち、ケルン大司教区でカトリック教会が大揺れする中、ケルン市当局はイスラム教徒への敬意の表現として金曜日の祈りのアザーンを認めたわけだ。
ところで、オーストリアのチロル州ランデック群のフリース村で2014年、夜の「教会の鐘」を止めるべきかどうかでちょっとした議論があった。フリースに宿泊する旅行者やホテル業者から、「深夜の教会の鐘はうるさい」という苦情が出てきたからだ。現地の教会神父は、「教会の鐘が時間を告げた時代は既に終わった」として、その苦情を受け入れ、「教会の鐘」を夜10時15分から翌日早朝5時45分の間、鳴らすことを止めことがあった。
当方が取材でボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問し、ホテルに宿泊していた時、ホテル近くのイスラム寺院のミナレットから祈りの時間を知らせる「アザーン」が鳴り響いてきた。それを聞いて、「ああ、ここはイスラム教圏だなあ」といった感慨を持ったことを思いだす。
ユダヤ教ではラッパが鳴り、キリスト教では教会の「鐘」が鳴り響き、イスラム教ではムアッジンの礼拝を呼び掛ける肉声が流れる。「アザーン」や「教会の鐘」は信者の日常生活にとって必要不可欠なものだが、信者ではない旅行者や異邦人にとって、一定の許容範囲を超えると騒音に過ぎない。
蛇足だが、欧州のカトリック教国マルタでは、「教会の時計」は止まっていたり、本物の時計ではなく、描かれた時計が多い。マルタでは「悪魔に教会の礼拝時間を知らせてはならない」と考え、教会側が恣意的に時計を止めたり、偽物の時計を飾るからだ。人が祈る時、神は耳を傾けるが、悪魔もその祈りを聞こうとする、と信じているのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。