主要国で日本だけにない不作為
岸田新政権が衆院を解散しました。与野党そろって巨額の財政出動を選挙公約に掲げ、選挙戦を戦います。日本の財政はすでに、制御不能の状態に陥っているのに、無責任な話です。
野党は与党の放漫財政策をけん制するどころか、消費税率の引き下げ(立民、共産、維新、国民)、一律10万円の給付金など、与党並みかそれ以上の大盤振る舞いです。経済的計算は全くしていない。
矢野財務次官が「日本はタイタニック号のように、氷山に向かって突進しているようなものだ。このままでは、日本は沈没する」との警告を雑誌に寄稿しました。その通りです。
どうも日本の財政金融を破綻状態に追い込み、1000兆円を超える国債をチャラにするつもりではないのかと、疑いたくなる。国債がチャラになれば、多くの銀行も破綻し、銀行の預金者も被害者になります。
野党は与党にけしかけて、与党の手で日本を破綻させる。そうすれば、政権が野党に回ってくるとでも、思っているのでしょうか。それほどひどい。
財政状態が政治主導で悪化するのをみて、1990年代から主要国は危機感を強め、「独立財政機関」を設置してきました。政府、政党から距離を置き、中立的な立場から国の財政運営について提言しています。
主要経済国で構成するOECDでは、ほとんどの国が「独立財政機関」を設けています。米国は議会予算局、英国は予算責任局(2010)、ドイツは安定化会議(同)、豪は議会予算局(2012)です。日本にはありません。
OECD36か国中、29か国に監視機関があり、このうち21か国は、08年のリーマン国際金融危機の後に設置されました。経済危機対策ばかりでなく、高齢化による社会保障費の増大で、財政のタガが緩んできたためです。
日本では、財政再建目標があり、「基礎的財政収支を25年までに黒字化する」ことになっています。達成は絶望的なのに、その旗を降ろしていません。監視機関も存在しないので、甘い目標でも責任を問われない。
経済成長率が名目2%ならば、29年度には達成できるとのシナリオは示しています。最近10年間の平均値は1%ですから、信頼できる数字ではない。
鈴木財務相は就任時に「2025年の目標に向け、しっかり取り組んでいく。財政出動と財政規律の両立は可能だ」と、述べています。口先だけです。
岸田首相は数十兆円の経済対策を選挙公約にしました。財源は赤字国債でしょう。1%に満たない構造的な低成長率のもとでは、数十兆円の財政出動と財政規律(25年度の黒字化)が両立できるはずはない。
日本には会計検査院があります。これは予算の不正支出、ムダ使いなどをチェックする機関であり、財政政策全体についての発言権はありません。
財政拡大策と超金融緩和が一体となったアベノミクスについて、検証しないまま、新政権が発足しました。日本の政治は事後検証を回避し、計画が行き詰まると、新しいスローガンを持ち出し、国民の目をそらさせる。
政府、政党から独立した財政監視機関を設け、政策の事後検証、政策目標の実現可能性、妥当性を吟味する。そうしたことをやってこなかった。それが先進国で最悪の財政状態を招いてしまった一因です。
拡大的な財政運営を提唱する現代貨幣理論(MMT)の致命的な弱点は、財政は「政治経済学」であるのに、もっぱら「経済学」的な視点から論じていることです。
「経済学」、あるいは財政理論の視点からみて、財政拡大策を修正する段階にきたと判断しても、「政治学」(政治力学)がそれを許さない。財政にブレーキがかからず、国債残高のGDP比は上昇する一方です。
岸田首相の「新しい資本主義」もネーミング先行で、大きくでました。中身が具体的ではありません。リーマン危機に次ぐコロナ危機の追い打ちで、世界の債務総額(政府、民間、家計の借り入れ総額)が史上最大の296兆㌦に膨張しています。
マネー資本主義の持続可能性が問われています。「新しい資本主義」を唱えるならば、もっと掘下げた問題提起が必要です。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。