大坂なおみ聖火点灯に思う複雑さ – 企業法務戦士(id:FJneo1994)

BLOGOS

ああだこうだ言われながら何とかここまで来た・・・ということで迎えた東京五輪2021開会式

23区内で生活していても、近隣に競技会場があるわけでもなければ、車で移動することもない。

以前なら、それでも仕事の関係で好むと好まざると”ムード”に巻き込まれざるを得ないようなところもあったが、今はそんな煩わしさとも無縁だから、「57年ぶりの大イベント」と言われても、これまで実感が湧くことは全くと言ってよいほどなかった

とはいえ、どこの国で開かれていようが「オリンピックは見る」というのが自分の流儀。

特に開会式に関しては、直前まで”炎上マーケティング”さながらの様々な混乱が報じられていたこともあり、一種の”怖いもの見たさ”で久しぶりに地上波にチャンネルを合わせて眺めていた。

式典を構成していた一つ一つのプログラムについては、式典の最中から百花繚乱、SNS上で様々なコメントが飛び交っていたし、自分も所々で感じたことは呟いたから、改めてまとめるなら、パフォーマーの方々の体を張った演技は素晴らしかった(グラウンド上のロープアートやタップダンスからピクトグラムまで・・・)*1し、MISIAの国歌独唱も今の日本国内の人選としてはベストオブベスト*2。ドローンを使った映像やプロジェクションマッピングの技術にも安堵した・・・というのが前向きな感想。

一方で、プログラム全体としての統一感は薄いんじゃないか、とか、伝えようとしていたメッセージが消化不良になってしまっていたのではないか、という疑問も当然ある。

「復興五輪」を掲げていながら、冒頭のカウントアップのスタートは2013年の「招致決定」からで、その背景にあった2011年の出来事が正面から取り上げられる機会はなかったこと、さらに、本当は新型コロナのずっと前から「東京五輪」に向けた動きには変調の兆しが多々見えていたのに*3、あたかも「新型コロナ禍」だけが時計の針を止めたかのように表現することの違和感は消えない*4

ただ、そういった複雑な感情を抱いてしまうのも、これが自分の国で行われている五輪であるがゆえ、この五輪の背景にある歴史や、五輪開催をめぐるゴシップ等々を知り過ぎているからであって、もしこれが異国で行われていた開会式で、何の先入観も持たずに見たらここまで変な感情を抱くこともなかっただろうから、ここまでの話に関してはこれ以上はもう良いかな、と思っている*5

むしろ、今回の開会式に問題があったとしたら、日が替わる直前まで「約4時間」もかかってしまったという事実の方で、特に選手の入場行進はあまりに長すぎた*6

もう何大会も前から「開会式が長すぎる」「アスリートファーストじゃない」と言われ続けている中で、今大会は「密集防止」という観点からも、”簡略化”を断行するには絶好の機会だったはず

行進するのは国名のプラカードと、旗手と、せいぜい選手団長と主将、副将くらいまでにしておけば、大幅な時間短縮はできただろうし、入場後の規律も保てたはずなのに、現実にはマスクを付けている以外はいつもの五輪と全く変わらないダラダラとした行進を2時間も続けてしまった。

入場テーマにゲーム音楽が使われたこと自体は画期的だったかもしれないが*7、行進に時間がかかりすぎてそれを繰り返し流さないといけなくなってしまった、というのはどうなのか・・・。