枝野ビジョンに見る立民党の綻び – 宇佐美典也

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元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第13回のテーマは、立憲民主党の枝野幸男代表の「覚悟」について。5月に出版された「枝野ビジョン 支え合う日本」で綴られる枝野代表のめざす社会像を評価しつつも、そこには「綻び」があると指摘しています。

「私が枝野幸男氏を有能だと思う理由」

立憲民主党の枝野幸男氏が政権構想をまとめた「枝野ビジョン 支え合う日本」という書籍を出版したようなので、「まがりなりにも日本の国政第二党の代表が書いた本だから読んでみるか」と思い先日購入し、一読してみた。

本書は日本社会が抱える問題とその問題への大枠での対処方針を示した良い本だ。しかし、枝野代表の「決意」や「思い」が一方的に語られる内容が中心で「ビジョン」には無理が生じている箇所も見て取れる。しかしよくよく考えれば、この書きぶりになるのには枝野氏なりの理由、というか、事情があると考えるに至った。

総理になる覚悟が決まっても支持率が伴わない現実

共同通信社

立憲民主党結党直後に闘った2017年の衆院選で枝野氏が「右でも左でもなく、前へ!」と訴えたことも印象的に記憶に残っているが、政治家としての枝野氏は右か左かという概念を超えて政治を推し進めるという信条を持っている。他方で現実には「立憲民主党=リベラル=左派=反権力」というレッテルを世間から貼られていることに大いに不満を持っている、と本書で述べている。

民主党政権時代には官房長官や経済産業大臣といった政府の重役を務め、権力というものの機能・魅力を十分に知っている。またその実務能力の高さは十分にそのときに実証されており、そこに疑問の余地はあまりない。

彼としては本当に政権に返り咲きまた重責を担いたい、少なくとも国の政策に影響を与えられる立場になりたい、という思いを持っているのだろう。実際本書でも野党第一党党首として総理になる「準備と覚悟の一端を示すことができた」と述べている。

ただそんな枝野氏の個人的な覚悟とは裏腹に、足元の立憲民主党の支持率を見ると野党第一党とは言え6.4%で自民党の35.8%とは程遠く、このまま同党が「反権力政党」とみなされたままでは政権獲得はとても実現できそうにない。

枝野氏も支持勢力を広げる必要があるという問題意識は持っており、「今の自民党は本当の意味の保守ではない」と位置付け、「立憲民主党こそが本来の意味での保守であり、また、リベラル的側面も有している」と再定義することで、党内の意識を変え、立憲民主党の社会的なポジションを変更しようとしている。

10万円“一律給付”に見る枝野氏の「分かち合い、支え合う」社会像

写真AC

枝野氏が本書の中でたびたび述べる目指すべき社会の方向性は、「自己責任社会」から「豊かさも痛みもしっかりと分かち合い、支え合う」社会への転換である。

安倍政権以降の自民党は経済成長を目指し自由競争やグローバル化などの「新自由主義」を推し進めてきたと指摘する枝野氏の主張を要約すると、以下のように自党を位置付けている。

「『物質的豊かさ』を求めるのは、安倍政権以降の自民党が重視する『明治維新以来の150年』の発想だ。それに対して立憲民主党は、年金や介護、雇用や子育てに関する不安を解消し、それらを通じて『より安心できる社会』を作る、そのために『支え合い、分かち合うための処方箋』を提示していく」

実際には安倍政権下では経済成長はそれほど実現できず、それを糊塗するために、むしろ子育てや介護を充実させようとする政策が推し進められてきたので、この主張にはやや違和感も覚える。しかし本書ではあくまで安倍政権以降の自民党を仮想敵としてその反作用として立憲民主党のポジションを明らかにしようとしたものと受け止める。

そして枝野氏が具体的に「処方箋」として提示しているのは、所得や資産などで制限をつけて支援をする「弱者保護」的社会政策から、必要性のみを判断基準として給付を判断する「支え合い」の社会政策の転換である。

普遍的に「支え合」う社会の議論は現在世界各国で行われていることで、日本でも記憶に新しいところでは、2020年にコロナ対策として所得を制限せずに実施された特別定額給付金をめぐる議論が思い出される。当時財務省などは「真に困窮している弱者に限定して支援すべき」という立場を取ったのに対し、野党や公明党が「コロナ禍で不安を覚え支援を必要としているのは全国民なのだから所得に制限をつけるべきではない」という立場を取り、後者が採用されることになった。

結局この特別定額給付金の大半は貯金に回り、そのほとんどは使われることはなくある種無駄になったのだが、枝野氏はそれもあらかじめ想定して「効率的にお金を給付して、高所得者からは税金で徴税してそのお金を回収し直せばよい」としている。いわば「大きくて効率的な政府」の実現である。

板挟みで綻びが見える枝野ビジョン

共同通信社

それはそれで理屈が通っており、我が国が抱える問題の一つの解なのかもしれないが、こうした制度を実行するには高度にデジタル化した政府―徴税システムが必要となる。簡易、迅速に政府から給付でき、他方で国民の所得や資産についてはもれなく把握でき、柔軟かつ簡易に徴税できるようなシステムである。

一般にそのためのキーとなるとされるのはマイナンバー制度となるわけだが、残念ながら立憲民主党の支持団体は総じてマイナンバーによる資産管理には後ろ向きであるため、ここで枝野氏は「重要なのは行政の効率化であって、マイナンバー制度やデジタル化そのものではない」という論陣を張っている。仮にマイナンバーという名前を使わずとも、デジタル化には個人識別番号による行政情報の集約化が必要なことは自明なのだが、この辺りのことを濁して誤魔化すしかないところに枝野氏の立場の苦しさが現れている。

他にも本書には「大きくて効率的な政府」「支え合い、分かち合いの社会」の実現のためのアプローチについて書かれているが、「正社員」への異常なこだわりや、反原発、反公共事業思想への配慮との間で板挟みになった枝野氏の苦悩が透けて見えてくる。

立憲民主党はその成り立ちから、選挙のために異なる思想を持つ議員が集まり結成され、他方で自民党のようにその異なる政治思想を集約化する仕組みがない、支持団体と「反政権」という以外に共通項を持たないバラバラの集団である。

枝野氏としてはそれでもこのバラバラの集団を「前へ!」進めるために、未成熟でまだ穴が沢山あると分かりつつもあえて、党内で最大公約数を取れるような理論を作ってこのビジョンを発表したのだろう。しかし実際はビジョンというほどの統合された社会の将来像を描けておらず、立憲民主党が目指すべき方向性を個別に列挙したプロパガンダの域を出ない。

それは立憲民主党の代表という彼の立場を考えれば責任ある態度のように思うし、それを形にしたのは彼の有能さの表れだと思う。

ただ仮に本当に立憲民主党が政権獲得に近づいたとなればこのビジョンの随所に見える綻びは、誤魔化しようがなくなることもまた目に見えている。ましてや共産党と選挙協力を進めるとなればますます制約が増えていくことになるだろう。実際彼ほどの優秀な政治家がそれに気づかないはずがない。もしかしてそれすらも枝野氏は覚悟の上なのか。

余談になるが、本書の中に、「(かつて)自民党は『長期政権を維持するために社会党の政策を3年遅れで実施する』戦略を取った」との記述がある。本当に枝野氏が目指しているのは立憲民主党をかつての社会党のようなポジションにまで推し進めることで、それ以上のことは望んでいないのかもしれない。枝野氏が尊敬する政治家は主戦論を表で唱えながら太平洋戦争を終結に導いた鈴木貫太郎氏であることは周知の事実だが、邪推かもしれないが目的のために方便を使い事態を前に押し進める枝野氏の姿は、彼の尊敬する鈴木氏にかぶるものがあるように感じる。

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