10年前の池袋を歩く 第4回〜変わらない大学街とKTVと

デイリーポータルZ

10年前の池袋を歩いている。
前回までは東口を歩いてきたが、今回は西口に行ってみよう。

東口のような変化はあるのだろうか。
 

1997年生まれ。大学院で教育学を勉強しつつ、チェーン店やテーマパーク、街の噂について書いてます。教育関係の記事についても書きたいと思っているが今まで書いてきた記事との接点が見つからなくて途方に暮れている。

前の記事:10年前の池袋を歩く その3 〜再開発地帯を歩く

> 個人サイト Note

西口の再開発も進んだ

さっそく西口の駅前を見てみると、広々としたスペースにベンチなどが置いてあり、小綺麗な広場が広がっている。

この広場の10年前はどうだったか。

(2009年)ちょうど工事中であった。この広場、10年前には存在しなかったことが明らかになった

さっそくのこの変わりようである。

さらに驚くのは、広場から少し歩いたところにある芸術劇場前広場である。

現在

2009年

大変な変貌ぶりである。パッと見ただけでも、すごく違うことがわかるが、もっと細かく見てみるとよりその変化が見えてくる。

例えばここにあったオブジェは

どこかに行ってしまった。撮影しながら、こういうオブジェも無くなるんだね、という話をしていた。どこにいったのだろう

かつての噴水は

現在無くなっている。かのように見えて、

実は、この噴水、下に埋まっているだけで、夏場はここから水が出るのだという。

かつて噴水があった場所の上。ここから夏場は水が出てくる。埋まってしまっても水の記憶は残っていくのであろうか。

もちろん変わらないものもある。

変わらない大学街

芸術劇場前から進むと、立教大学の方に近づいてくる。さっきまで繁華街にいたと思ったら、すぐに大学街・学生街になるのが池袋の面白いところだ。

立教大学の正門近く。現在。

立教大学大学の正門近く。10年前。

大学は変わらない。少なくとも目に見える部分では

立教大学までの道、通称立教通りを歩いていると、学生街だということもあって変わらない部分も多い。

(2009年)かつての「文庫ボックス」は現在、

看板もほぼ変わりなし。10年間ここに鎮座している

それでも変化は迫り来る。

(2009年)

伝説のすた丼屋は学生街らしい店だった。それが、

中華料理屋へと変貌しているのだ

池袋の西口を歩いていて思うのは、中国系のお店が格段に増えたことだ。

いったん広告です

KTVが増えた

例えば、少し場所は変わるが、あるコンビニが入っているビル。

2009年。昔はなんの変哲もない雑居ビルだったのが

KTVという看板が目立ち始めている
この店、「カラオケ達人・美食」と書いてあるから、どうやら中国語のカラオケ店らしい

ここにも中国の波が迫っていた。

中国語のカラオケ店は池袋西口を歩いていたらやけに目にした。

どでかい看板。「超豪華」「超震撼音」などと書いてある。ちなみにこの看板はかつて、

ゴルフだった(2009年)。

「飲む」「打つ」「笑う」「競う」という謳い文句から、「歌う」への一元化。日本人向けのゴルフカフェ&バーから、中国人向けのカラオケボックスへ。そこに池袋の変化がある

さらに、別の雑居ビルにも、KTVが入居。

現在。真ん中の紫色の看板に「KTV」と書いてある。しかも、2021年3月なので最近オープン

さて、中国っぽいものが目に入ってきたところで、ここからは西口から北口にかけて広がる中華街、その周りに広がるロサ会館を中心とするエリアに足を踏み入れてみよう。

辺りにはすでに、中国料理の匂いが立ち込めている。その匂いに誘われながら、10年前の池袋にさらに入っていこう。

次回は、池袋北口の中華街周辺を歩きます

 れんさい企画「10年前の池袋を歩く」