国賓として米国を訪問したインドのモディ首相は6月22日、ホワイトハウスでバイデン大統領と会談した。グローバル・サウス(発展途上国の総称)の代表を自認するモディ氏は、国力の増大を背景に国際的な影響力を急速に高めている。人口が世界一となったインドを「世界経済を牽引する存在」と捉える論調が日増しに高まっている。格付け会社フィッチ・レーテイングは22日、今年度のインドの経済成長率の見込みを6.0%から6.3%に引き上げた。国際通貨基金(IMF)は「2027年にインドは日本を抜いて世界第3位の経済大国になる」と予測している。
グローバル企業の「中国プラスワン」戦略もインドにとって追い風だ。多くの国が中国一辺倒の投資に不安を感じるなか、リスクの分散先にインドが選ばれるようになっている。6月20日に訪米中のモディ氏と会談した米電気自動車大手テスラのマスクCEOは「テスラはインド進出を確信している」と述べている。モディ氏の訪米を機に世界のマネーがインドに殺到するとの期待が高まっている(6月22日付ブルームバーグ)。インドは人口が世界最多になるだけでなく、最も若年人口の比率が高い国の1つだ。インド人の年齢の中央値は28歳、米国や中国(ともに38歳)より10歳も若い。学生の3人に1人が理工系を専攻していることも強みだ。国連教育科学文化機関(ユネスコ)によれば、この比率は世界の主要国のなかで最も高い。世界のIT(情報技術)産業は今やインドの理工系大卒者抜きでは成り立たない状況になっている。
インドのIT産業全体を揺るがす未曾有の洪水が発生
インド経済は1990年代から先進国からのアウトソーシング(業務の外務委託)の中心地として注目されるようになった。IT集積地として名高いベンガロール市は「インドのシリコンバレー」と呼ばれている。同市には米ゴールドマン・サックス・グループが海外最大の拠点を設けるなど、世界のIT企業がひしめきあっている。ベンガロール市に長年にわたってインド各地から多くのIT人材が流入したため、空前の不動産建設ブームが起きた。だが、街の排水機能を軽視した開発を進めたことが災いして、昨年、インドのIT産業全体を揺るがす未曾有の洪水が発生してしまった。今後も大洪水が起きると懸念されているが、インフラの整備はほとんど進んでいないのが実情だ。
インフラといえば、インドでは6月2日、東部オディシャ州で過去20年間で最悪の列車衝突事故が発生した(288人が死亡)。衝突の原因は運行システムの故障だ。モディ首相は「責任者を厳正に処罰する」と述べたが、専門家からは「鉄道網全体の安全性が心配だ」との声が上がっている。
インドの鉄道の総距離は約6万4000キロ、1日の列車利用客数は約1300万人に上る。昨年の貨物輸送量は15億トンに達している。世界最大規模を誇るものの、鉄道路線の98%が英国の植民地時代(1870年代から1930年代にかけて)に建設されたものであることから、「世界で最も老朽化した鉄道」と揶揄されている。その上、鉄道設備のほとんどが数十年間、十分にメインテナンスされていない。英ガーディアン紙によれば、緊急時に自動的にブレーキをかける列車衝突防止システムは全体の路線の2%しか整備されていないという。モディ政権は鉄道現代化を強力に推進しているが、「前途遼遠」といわざるを得ない。
新興財閥アダニ・グループの不正会計問題
インド経済にとってアキレス腱といえるインフラの整備を担っているのは財閥グループだが、今年1月下旬、激震が走った。新興財閥アダニ・グループが米投資会社ヒンデンブルグ・リサーチによって不正会計が暴かれ、窮地に立たされたのだ。いわゆる「アダニ・ショック」だ。2021年度の売上高が3兆円を超え、今やインド経済を担う存在になったアダニだが、ヒンデンブルグの指摘直後に同社の株価は暴落し、インドの金融市場全体が動揺した。
騒動から4カ月以上が経ったが、アダニ・グループの株価はいまだにその影響から脱することができておらず、銀行団との融資交渉も難航している。創業者のゴーダム・アダニ氏は、モディ氏と同じ西部グジャラート州の出身であるため、野党から政治との癒着が厳しく追及されているのも気になるところだ。
貧富の差が極端に激しい社会を反映するように、インド経済は少数の大企業に牽引されており、その足腰は脆弱だといわざるを得ない。中国をはじめアジアの国々は、労働集約型製造業(中小企業が中心)の成長を足がかりに経済成長をスタートさせたが、インドはそのステップを踏むことができていない。世界銀行によれば、製造業がGDPに占める割合(2021年時点)は中国が27%、ベトナムが25%であるのに対し、インドは14%にすぎない。製造業に弱みを抱えているせいでインドの労働参加率(生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)に占める労働力人口の割合)は46%とアジア地域で最も低い。スキルを発揮できる雇用の場が提供できなければ、豊富な若年労働力は「宝の持ち腐れ」だ。持続的な成長の源泉にはならない。
好調に見えるインド経済にも景気後退の影が忍び寄ってきている。インド人材採用連盟は5月下旬、「同国のIT業界で昨年4月から今年3月までの1年間に嘱託社員の雇用が前年に比べ7.7%減少し、約6万人が失業した」と発表した。専門家の間でインド経済の今後を悲観視する声が出ている(4月19日付日本経済新聞)。「第2の中国」として期待されるインドだが、過去何度となく高成長の期待を裏切ってきた。今回も「二の舞」を踏むことになってしまうのだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)