バズワードとして盛り上がっている「メタバース」。しかし、具体的に「メタバースでどんな世界が描けるのか」まで想像できている人は少ないのではないだろうか。
昨今のメタバースブームの影響でMeta Quest2などのVRゴーグル(HMD)を購入し、実際にメタバース空間を体験してみた人も増えてきているように感じる。メタバースは「百聞は一見にしかず」ならぬ「百聞は一体験にしかず」というものなので、自分自身で体験してみることは正しい。しかし、一度体験しただけで、そのあとも継続してメタバースで遊んだり、コミュニケーションを取ったりしている人は少ない。多くの場合、話題にのって一度体験してみたが、それきりという人が多いのが現状である。
一方で、一度メタバースを体験して、その世界に魅了され、一日のほとんどをメタバース空間で生活する人も、現実として存在する。前回、「メタバースにもUXを–仮想空間へ豊かに接続するためのデザインの重要性を考える」というテーマで、メタバースの障壁の高さをデザインの観点から取り上げた。今回は、メタバースをより深く楽しむために、筆者の齊藤大将自身が感じる必要なことを紹介する。
メタバースは「作る」が楽しい
VRゴーグルを装着してメタバース空間へダイブすることは、多く人々にとってまだまだハードルが高い。いちいちVR機器の電源を入れ、読み込み時間を待機するだけでも面倒だが、それに加えて、髪や化粧が乱れたり、長時間装着していると頭が痛くなったり、人によってはVR酔いをしてしまう。一度VRゴーグルを通してメタバースを体験しても、再びメタバース空間に戻ってくる人が少ないのは、このような物理的な理由からも、残念ながら納得できてしまう。継続してメタバースを楽しみ続けるには、なにか理由や目的が必要なのである。
筆者の周りを見ていても、VRChatをはじめとしたメタバース空間を存分に楽しんでいるユーザーには、クリエーター気質の人が多いように感じている。ただ単に、メタバースブームに便乗した、お金になりそうだから、仕事や勉強のために、というような理由では、メタバースを楽み続けるモチベーションになりずらい。それは、メタバースおよびVRゴーグルの必要性がその人たちにとってあまり高くないからだろう。
VRを使った会議や教育なども注目されているが、多くの場合は、まだまだ前者やウェブ会議、後者はタブレット活用などの需要が先で、VRを導入するまでは時間がかかりそうである。メタバースが人々の日常に取り込まれるためには、スマートフォンのように誰にとってもなくてはならない必需品になったり、もっといえばその人にとって依存度が高いものであることが必要だ。
一方で、メタバースを憩いの場として日々の生活に取り入れている人は、アバターを自分で作ったり、メタバース空間そのものを自分で構築して、そこで友人と交流したり、あるいはイベントを開催しているような、「クリエーション」がモチベーションになっているように感じる。
昔のPCゲーム開発において、まだまだリソースや技術が乏しく、素人が作ったもののソースコードがマイコン関連の紙の本などで共有され、そのコードを写して試したり、遊んだりしていたようだが(※筆者はその時代に生まれていない)、その話を聞くと、現在のメタバースにも似た雰囲気を感じる。自分の作ったアバターや空間をメタバース上で他者に共有できるという特徴は、モノを作ることが好きな人にとっては、魅力的な場所に感じているように思える。
近年のクリエイターは、SNSを通してコンテンツをシェアし、オンラインのマーケットプレイスを通してデジタル作品(絵、音楽、コンテンツなど)を売る傾向が強い。今後、メタバースがPCやスマホのように普及したら、新しいコンテンツが生みだされていくスピードは加速するだろう。メタバースをきっかけに、モデリングやプログラミングを始めたという人が筆者の周りにも多く、やはり現状のメタバースはクリエーター向きと感じる。
逆に、なにかモノを生み出すことに喜びを感じないタイプの人にとって、今のメタバースは面倒さを受け入れてでも、没頭するほどではないのかもしれない。モノを生み出すのが好きな人と、それには当てはまらない人とでは、メタバースへの期待とワクワク感に、大きなギャップを感じている。
遊ぶモノをデザインするのではなく、遊び場をデザインする
最近では、さまざまな目的を持ったメタバース空間が個人・企業の手によって構築されている。なかには、コミュニティが形成され長く続くイベントやメタバース空間もあれば、一度きりで熱が冷めてしまうものも少なくない。
遊び方、楽しみ方が固定されすぎてしまうと、ユーザーはそれ以外の楽しみ方を見いだせないため、飽きがくるのが早くなってしまったり、コミュニティ自体の成長の妨げになってしまう。一方で、なにをしていいのかわかりずらい場合は、ユーザーのメタバース離れも早い。物理的な制約のないメタバース空間だからこそ、リアルでも体験できる物理的なものを再現する必要もある。
現在のメタバースは、「子供の遊ぶ自由な公園のようなモノ」だと筆者は考えている。メタバースという、ある種なんでもありで、自分の想像したものを自由に創造することができる世界は、クリエーターの制限を取り除き、誰もが好きなように遊ぶことができる場所になっている。
メタバースを遊ぶ「モノ」としてデザインしてしまうと、遊び方は一つに絞られてしまう。ユーザーが自分で組み立てる楽しさなどを奪ってしまう。そうしたメタバースは売れるように作られるかもしれないが、ユーザーには寄り添ったものとはいいにくい。
遊ぶモノをデザインするのではなく、「遊び場」としてメタバースをデザインしてみることで、人々はその自由なメタバースという遊び場で、独自のものを作って空間やコミュニティに影響を与えたりして、勝手に楽しむことができるのである。
現在人気になっているメタバース空間には、そういった「遊び」の自由があるように感じる。筆者の創設した「私立VRC学園」も、学校という制限を作った上で、その中で生徒や先生がなにをするかの自由度が高かったために、コミュニティが自発的に成長していった。
メタバースを構築する側は、「遊び場」としてのメタバースを意識する必要がある。そして、そのある程度自由な「遊び場」のなかで、なにかを生み出してみる、作ってみるということが、メタバースを楽しむコツのようなものなのかもしれない。まだ、メタバースの魅力がいまいちわからないという方は、一度なにか作るということを試してほしい。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
Twitter @T_I_SHOW