見渡す限り砂の海である砂漠。小学生の頃、砂漠の存在を知った日は怖くて眠れなかった。水が枯れ果てているだけでなく、方向が分からない死の大地とか怖すぎる。しかも、自主的に広がっていくというではないか。意志でも持ってんのかよ。小学生にはヘビーすぎる現実だ。
知ったのはアニメだったのだが、遭難して水がなくなり死にかけのところに雨が降ってきて狂喜乱舞するシーンがあった。アニメだと砂漠で雨が降ったら宴が開かれがち。やっぱり、ガチの砂漠民も雨が降ってきたらテンションが上がるのだろうか?
・アニメでありがちなこと
ほとんど海外に行ったことがない私。もちろん、砂漠も行ったことがなくて、アニメでしか見たことがない。とは言え、砂漠の背景って結構アニメに出てくる。で、大体、それは困難とセットだ。
『映画ドラえもん のび太とドラビアンナイト』でも、スネ夫が蜃気楼に惑わされてのび太が日射病で倒れる。要は、長編ドラえもんお決まりの、物語が盛り上がる前の一番沈むパートが砂漠になっているのだ。
ちなみに、その後、オアシスを見つけて「水だー!」と泣きながら水かけをするのだが、ここがあるあるの部分。もし、雨の場合でもリアクションは同じ。主体が現地民だと宴になるし、真顔感が強いアニメだと砂漠に大の字になって泣き崩れるキャラとかもいるが、みんな一様に死ぬほど喜んでいる。
・元砂漠の民
こんな喜び方、私の人生ですることないだろうな。砂漠ってだけでドラマチックになるのかもしれない。そう思ったので、元砂漠の民に話を聞いてみることにした。
話を伺ったのは、サハラ砂漠で半年間ラクダ使いをしていた砂子間正貫記者。仕事中、同僚のモロッコ人ラクダ使いと寝食を共にしていたらしいが、その際はガチでモロッコのメルズーガ大砂丘エリアで生活していたというから、完全に砂漠の民である。
・ラクダ使いの雨へのリアクションは
砂子間記者いわく、モロッコのラクダ使いはカラッと明るい人達で、キャンプファイヤーを囲み、太鼓でリズムを取って踊るといった宴をことあるごとにするらしい。イメージ通りすぎる。そこで単刀直入に疑問をぶつけてみた。じゃあ、雨が降った時とかも宴するんですか?
砂子間正貫「無視ですね」
──悲報。砂漠の民、雨では喜んでなかった。砂子間記者いわく、砂漠にいる時にパラパラと雨が降ったことが1度だけあったが、ラクダ使い達は気にする様子はなかったという。
傘をさすなどのリアクションを一切取らなかったというので完全にスルーだ。「言われてみたら砂漠で傘をさしている人を見たことがないから傘自体が売ってないかも」とのことであった。
・ガチ勢のオーラ
ちなみに、大人はそういう感じだが、子供はハシャイでいたとのこと。ただし、それは日本の子共が雨でハシャぐのとおそらく同じ理由と思われる。
というわけで、現実の砂漠の民は雨が降っても宴を開いたり、死ぬほど喜んだりはしないことが判明した。想像とは違ったが、そのテンション感にはガチ勢のオーラを感じたのであった。
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.