黄昏のアメリカ:日本のように失われた数十年に突入しようとしている

アゴラ 言論プラットフォーム

私は中学、高校生の時、アメリカンミュージックに陶酔し、ロックからR&B、カントリーまで音楽の幅の広さと奥行きに圧倒されました。青山の高級スーパー、紀ノ国屋やソニープラザでは見たこともない商品や食品に異様なまでの好奇心を持ち、マクドナルドは私にとって日常食になっていました。私がアメリカに初めて足を踏み入れたのは42年も前。そして強烈なアメリカ文化への崇拝は私をあらゆる意味で虜にしました。

tampatra/iStock

アメリカではドライブインシアターなるものを経験し、東部アメリカをキャンプでフロリダまで下りながら文化の広さ、人種の問題を実感したものです。そんな巨大な発信源であるアメリカは様々なトラブルを抱えながらも世界の中心であるという確信はゆるぎないものでありました。

その後の勤務などを通じてアメリカとは切れることなく、長く縁を頂いてきました。個人的に印象深かったのは勤め先で請け負っていたフロリダのディズニー内のホテル建築工事が完成した時にオープニングセレモニーに帯同させて頂き、その後、タキシードのパーティーに出席した際の興奮は未だに忘れることがありません。

それだけ長い間、遠からず近からずの距離で見ているとアメリカが変質化していることに否が応でも気がつきます。感覚的には今世紀に入ってからアメリカは徐々にその体質を変えていったように思えます。アメリカを述べる時、二つの面、外ずらと内面を分けて考えることをしなければアメリカをきちんと判断することはできません。

外ずらは経済と外交で政治がそれを包み込むことになります。内面は多民族国家、それをアメリカという一つのアイデンティティで括るメルトポット文化が果たして現代社会でも有効なのだろうか、であります。

経済については私は断言しても良いのですが、基軸通貨ドルがあるが故のアメリカである、と考えています。つまり経済のバイブルはそこに行きつきます。仮定の話はしたくないですが、米ドルが基軸通貨でなければ今のアメリカはない、と言い切れるでしょう。

政治は正直、長年二流だと思っています。それは戦後の大統領は誰一人国民を一つにまとめ上げることが出来ず、国家の高揚感を生み出せませんでした。二大政党の枠組みに抑え込んだのではコンピューターのように0か1の選択をさせられたと言ってもよいでしょう。敢えて言う例外は911事件でありますが、それは「アメリカ本土がついに襲われた日」と言う意味での一体感であり、本来の意味とは違います。

外交についてはオバマ氏が世界の警官を辞めたとしたのが印象的ですが、個人的にはルーズベルトもトルーマンも酷かったと思います。外交とは強者の論理であると言わんばかりでした。モンロー主義と言われたアメリカですが、あれほどの孤立主義、唯我独尊の国家は時々の大統領の話ではなく、アメリカに脈々と息づいている思想なのであります。

では私が今世紀になってなぜ、失望したのでしょうか?それまではそれらのマイナス面を補って十分余りがあるほどリーダーシップと牽引力と世界を俯瞰する能力を備えていたのです。ですが、世代替わりし、アメリカの主導者は自分たちの利益を第一に考える癖がより強まり、マイナスのアメリカとなりつつあるのです。

例えば60年代の若者の間の反戦運動は国民の正しい声が世界にも共鳴したのですが、今のアメリカの保守と民主の戦いは傍で見ていても体力消耗戦でしかありません。バイデン氏は老猾ですが、習近平氏を「独裁者」と発言する意図は何だったのか、と思います。米中はWWFのプロレスをしているわけではないのです。

国民も方向性を見失っているように思えます。生きる価値観は何か、と問えば「マネーである」と言わんばかりの自己実現のための拝金的思想は頂けません。本質的にラーメンが2-3000円するわけはないのです。アメリカの材料費は安かったし、流通も整備されています。高くなったのは人件費と作業効率が下がったことです。経営者だけがビジネスの意義を追求し、被雇用者は給与だけを追求するミスマッチが体力を奪っているともいえるでしょう。

2000年代に入りアメリカのMBAブームは磨きがかかりましたが、これぞアメリカを二極化させたもう一つの切り口であるのにそれを指摘する学者は誰もいません。それは学者が自分を斬ることになるからです。

黄昏(たそがれ)のアメリカが向かうところは何処でしょうか?私はふと思ったのは日本のように失われた数十年に突入しているではないか、であります。日本の陽は再び上るのか、という他人事よりアメリカの太陽が太平洋に深く沈み込み、その太陽は遠くアジアを輝かせるのではないか、とすら感じます。地球は太陽が進む方向と同調し、西に向かって発展、成熟し、退化します。80年代、アメリカはバトンを日本に渡そうとしたがそれを落としたのが日本とされます。あれから40年経ちましたが、今、日本は再チャレンジできる権利を持っています。それは日本を中心とするアジア連合だろうと考えています。

老いつつあるアメリカを日本やアジア諸国が今後、養う日が来るのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月2日の記事より転載させていただきました。