熊っぽい人、というわけではない。
新潟県の山間の村に、古くから伝わる胃薬があるという。その名もニセ熊。
ニセ熊?
かつてはいくつかの家で作られ、富山の薬売りのように行商に行っていたらしいだが、いまではその製法を継承する家もなくなってしまったのだという。インターネットとか文献を調べてもほとんど情報が載っていない。そんな謎に包まれた薬なのだが、名前からして怪しくてなんだかすごく効きそうな気がしないか。原料はある木の皮だけらしいので自分で作ってみたいと思う。
※2008年4月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
ニセ熊ってなんだ
ニセ熊。まずその名前だけでもぐっとくる。フェイクベアーだ。胃薬なのに熊の偽物なんてまず意味がわからないだろう。
しかしこれには理由があった。熊、というのは貴重な生薬である熊の胆(熊の胆嚢)のことなのだ。苦さや効能がこれに似ているということで「ニセ熊」と呼ばれていたらしい。ニセ熊は本家「熊の胆」同様、胃腸の薬として知られ、かつては各家庭に常備されていたほどポピュラーなものだった。しかし今ではその製法の特殊さからか、作られることもなくなってしまったのだという。
調べによるとニセ熊の成分はキハダと呼ばれる木の皮だそうだ。このキハダの皮を剥いできてひたすら長時間煮込む。すると煮出したエキスが凝縮されていき、黄色かった煮汁が最後にはどろりとした黒茶色になるのだとか。これを壺につめたり乾燥させたりして保存したもの、それがニセ熊と呼ばれる薬だったのだ。
前述したようにニセ熊は作るのにとても手間がかかる。なにせ販売できるほど大量のニセ熊を作るには何日間も煮込み続けなくてはならなかったという。天然ガスのわき出すこの地域ならではの製法といえるだろう(参考記事:庭がガス田)。しかしそのあいだ部屋中にキハダの黄色い蒸気が充満し、鼻の穴まで黄色くなったのだとか。
こんな面倒くさいこと、いまの人たちはやりたがらないだろう。ドラッグストアへ行けば太田胃散が売っているのだ。
しかしこういう伝統文化に守られた薬というのは実はさぞかし効くのではないか。僕はかねてからの胃痛持ちなので試せるものは試してみたいのだ。
まずはキハダという木を探すことから始めよう。図鑑によると日本全国にあたりまえに分布しているはずなのだが、地元新潟に住む妻の両親に聞いてみたところ「見たことない」とばっさりと言われてしまった。事前に調べたキハダの木の特徴は以下の通り。
・樹皮はコルク質、内樹皮は鮮やかな黄色
・枝には左右対称に葉がつく
・秋から冬にかけて黒くて小さな実をつける
これだけの情報をたよりに果たしてキハダは見つかるのだろうか。
見つかるわけがない
情報を頼りに山を歩くが、それらしき木なんてない。なにせ杉とか松とか、そういう前から知っている木ではないのだ。こんなにわかに図鑑で調べた情報だけで目的の木が見つかるわけもない。もちろん山にはたくさん木があるので、見ると全部がキハダに見えるし、全部がそうでないようにも見える。
さらに予定外だったのは、僕はキハダの特徴的な葉を手がかりに探そうとしたのだが、この時期、木の葉なんてすべて落ちている。手がかりなし。やみくもにそれらしい木は少し皮をむいてみるのだが、いっこうに黄色い内樹皮には出会えなかった。
もうあきらめようとUターンした道の脇に一本の大木を見つけた。上の方の枝に葉はついていないが、なにか小さな実のようなものが見える。
実。
まさか。あり得ないとは思うが、念のために皮をむいてみることにした。
しかしこの木が人を拒むかのように崖ぎりぎりのところに生えているのだ。はるか下方には雪解け水がごーごーいって流れている。映画とかだと必ずこれが財宝なのだが、現実がそうそううまくいくとは思えない。とにかく怖くて足がすくむ。胃薬を採ろうとしたストレスで逆に胃が痛くなりそうだ。おびえながらもはうように近づいてコルク質の樹皮を削ってみた。
軽く皮を剥ぐとなんと、目の覚めるような鮮やかな黄色の内樹皮が姿を見せた。なんともドラマチックな展開だが、この木こそがキハダだったのだ。うれしさのあまり怖さを忘れ思わず抱きついたのだが、今見たらこのまま崖下に落ちていきそうだな。
キハダの黄色い樹皮はたっぷり水分を含んでいた。爪で剥がすと指先がすぐに真っ黄色に染まる。これがニセ熊になるというのならば、このまま噛んでも毒にはならないはずだ。試してみた。
……すげえにがい
その苦さたるやこの世のものとは思えなかった。木特有の青臭い不快な味ではなく(もしかしたら青臭いのかもしれないが、そんなの隠れるくらい苦い)、衝撃が脳にあたるような苦さだ。苦いというか、痛い。
しかしこの苦さはこの木が本当にキハダであるという証拠でもあるだろう。これを持って帰っていよいよニセ熊を作ろうではないか。